Monday, March 31, 2008

Today's Song - 4 Minutes by Madonna feat. Justin Timberlake & Timbaland



At 2100, all of sudden, my (home) phone rang, and I thought it was you calling. I gave you my number yesterday, and I thought you couldn't wait for another day to try it. But it was just a wrong number, and I sighed...

Where are you right now? Are you, by any chance, holding some pretty face in your arms? Do you even have a minute a day to think about me? When you say you love me, do you really mean it? How can I believe all you say?
負け犬はオンラインショッピング

「負け犬の遠吠え」っていう本が数年前に流行った頃、「負け犬は踊る」っていうパターンがあったわね。 負け犬の女性たちは趣味に没頭する(余裕がある)ってことらしくて、ダンス教室に通う人が多いらしいのね。 その中でも(ひとりで踊れる)フラメンコに夢中になる人が多いらしいって。

そういえば一瞬(2ヶ月くらいだけど)、私も社交ダンスに熱中したっけ。 まあ私の場合は、シングル・ファーザーのBFに会えない寂しさを埋めるために、教室に通っていたんだけど。 それに後でわかったことだけど、実は彼もこっそり(私と踊ることを夢見て)、同じ教室に通っていてくれたらしいから、「負け犬は踊る」っていうパターンに思いっきりはまっているってわけでもないんだけど。 

でも最近 あたらしいパターン 「負け犬はオンラインショッピング」 ってのもあるかなって思ったわ。

社交的だと思われがちな私だけど、動かなくていいとき(=仕事にいかない日&デートのない日)はとにかく家にこもっているのね。 メールボックスに郵便チェックに行くのも、近所のコンビニに行くのも、ごみだしに行くのも、とにかく面倒くさい。 たった数分の行動のためにフルメイクをしたりはしないけど、とりあえずは部屋着くらいは脱いでそれなりの外出服を着なくちゃいけないし、ボサボサの髪の毛をまあまあ見られる状態に整えなくてはいけないでしょ。 それがイヤでね。

そんな私が活用しているのは、オンラインショッピング。 休日なんだからちょっと出かけて、買い物すればいいんだよね、ホントは。 でも電化製品とか化粧品とか下着とかすぐに使わないものはもちろんのこと、今から数時間後に欲しいもの、例えばピザとかお酒とかお花とかも、何でもかんでもとにかくネットで注文している。 

デリバリーの人っていうのは通常は若い(20代前半の)男の子で、本来なら気合が入るはずのターゲットなんだけど、彼等がグッズを届けてくれるときにも色気なく、すっぴんのまま、部屋着のまま、ひっつめの髪の毛でドアを開けちゃうの。 動くとき(=仕事に行く日&デートのある日)には考えられないようなことをやってのけるんだから、怖いよね。

実は今日、数日前に購入したヴィクトリアズ・シークレットからのパッケージを受け取るはずだったのに、UPSの配達がなんと11時半で、そんな時間に家にいるわけもない私はデリバリーをミスってしまった。 急いで再配達のお願いをしたんだけど、今夜は間に合わなかった。 楽しみに帰ってきたのに、拍子抜けしちゃったわ。

注文した品物の量を考えると、ポストに入れておいてくださいっていう大きさじゃないし、何しろ関税とか消費税がかかるから、代引き同様ドアで受け取らなくちゃいけないのね。 だから仕方ないんだけど。 あ、関税といえば、婚約解消して今から家を出るって時に、ハワイで買ったウエディングドレスの配達があって、その時の関税が3万円もして、弱り目に祟り目だったことを思い出すなぁ。

「負け犬」じゃない子たちはきっとオンラインショッピングをそんなにしないんじゃないかしら。 だって20代の若い子たちは休日になると同世代のBFたちと一緒に買い物に出かけてるでしょ。 結婚している女性で専業主婦だったら配達をミスることなく家にいられるし、旦那さまや同居している親が家にいてくれたり、裕福な共稼ぎ夫婦だったらナニーとかが受け取り人になってくれるでしょ。 

「負け犬」って、ひとりでこなさなくちゃいけないでしょう。 買い物にだってホントは行きたいけど他にやることもたくさんあるから、だからオンラインショッピングに頼ってしまうのね。 でも受け取りの時間に家にいることはほとんどないから、大体がいつも再配達をお願いするはめになってしまうのね。

はー。 今日はなんだかため息が多いわ。 次回は「負け犬はため息が多い」 っていうのを書こうかしら。 
涙はらはら

今日は待ちに待った新しい(イケメン)スタッフの初出勤日♪


彼の姿はまだ見ていないけど、パーテーション越しに低くてやわらかい感じの声が聞こえてくる。 一生懸命「関東弁」を話そうとしているのに、所々に「関西弁」がにじんでる。 そんなところに妙に親近感を覚えてしまう。 

朝からずっとプログラムの予算を立てている。 トータルにして8千ドルくらい、そんなに大きくはない規模。 機械的に作業を進めてながら、BGMのように彼の声を聞いていたら、ある瞬間から涙がはらはらとこぼれだした。 それはまるで、今日の冷たい雨に打たれて落ちる桜の花びらのように、次から次へと、はらはらと。 


いったいどうしたんだろう。 週末はゆっくり休んだというのに。 

「出逢いと別れが隣り合わせの、ともすれば危うい季節」 という彼からのメールのせい? それとも彼が他の女の子とイチャイチャしてるから? それとも新しい(イケメン)スタッフの声の波長が、私の中のどこかに触れ、ずっと長いこと忘れていた何かを呼び起こしたのかしら?

いやそれにしても、なんにしても、体力・気力ともに有り余っている月曜日に、それも朝からこんな風になっちゃうのはどう考えても尋常じゃない。 


よし今夜は、パーっと飲んで、いらないものを振り落として、可愛いウェイターの「元気」を吸い取って、それから家に帰ろう! 

Sunday, March 30, 2008

Letters With Stamps

1990年に初渡米してから、1999年に帰国するまで頂いた手紙を、久しぶりに読み返してみた。 ずっとクローゼットの奥、年代物のスーツケースにしまって封印していたもの。 50%以上は家族からのものだと思っていたら、意外にもその割合は1990年から1991年までにしか当てはまらず、それ以降のものは全て友達やボーイフレンドたちからのものだった。

好きで好きでどうしようもなかった彼が、家族と一緒にオーランドへ行ってしまったお正月休みにくれた手紙。 「5日分カードを書きました。 毎日1通づつ開けてください。 もし郵便が遅れて、1月5日以降に着いたら、6時間おきくらいにあけて、時間調整をして味わってください」 1月6日分の手紙にはこう書いてあった。 「たった5日間の別れがこんなに苦しくて寂しいものだとは分かりませんでした。 この封書を読んでいる貴女と今日はやっと同じ街の夜景の下に戻れると思うと 胸がいっぱいです、なんてことを今日6日の私はきっと思っていますよ」

仲良くしていた精神科医の友達からの手紙にはこう書いてあった。 「(あなたとの)出会いは私には何か運命的なものを感じさせるものでした。 NYのいろいろ楽しいところを紹介してもらったりしていただいただけでなく、私の今までの人生で欠落していた部分を充足させていただいたように思います。 精神的に成長できたように感じます。時にはつらく苦しいこともありましたが、それも重要なことだと思います。 感謝しております」 

10枚以上になる長い長い手紙をくれた男の子は、手紙の最後のほうにこう書いていた。 「(あなた)のことをつかみきれないから、つい突っ走ってしまう。 (あなた)の心の重荷になるだろうとわかっていても、愛してるだの口走ってしまう。 電話もガンガンかけてしまう。 すまないと思っています」

雪の降る中、NJから駆けつけてくれた人の手紙は、「いつもすみません」から始まっていた。 「最近2箇所ほど、別の店を訪ねてみたのですが、確かに内装とかは比較にならないほど豪華で、女の子の数も桁が違うのには驚かされました。 が、やはり貴女ほど、一生懸命接客している女性はなかなか見当たりませんでした。 貴女といれるこのとき、この瞬間、私は言葉で表現できない幸せを感じています。 貴女に会えて、本当に幸せです。 愛しています。 心の底から貴女を」

もらった手紙の全てに、私に対する愛が込められていて、私を心配する気もちが溢れていた。 あぁ、私は、みんなにそんな風に思われていたのに、ものすごく大切にされていたのに、ちっとも彼らの気持ちが分かってなくて、いつも寂しい寂しいって言ってばかりいて、なんてダメなヤツだったんだろう。 今でこそ大きな組織に入りこんで、それはとてもラッキーなことで、全てが順調にすすんでいるように見えるかもしれないけど、実は今も内側はあの頃と同じで寂しくて寂しくて、昔の私と今の私は思考も嗜好も全く変わっていないような気がする。

昔の友達との疎遠になって、新しいネットワークが出来だけど、でもそれは顔ぶれが変わっただけで、私の彼らとの付き合い方は今も昔もまったく同じで、ただ私と関わる人たちが私に接する中で何かを感じてそして成長していく。 それなのに私は相変わらずで、取り残されていくんじゃないかな。 そう思うとむしょうに不安になってきた。

これからはメールじゃなくて、たまには手紙を、切手を貼った手紙を、愛する人たちに書いてみようかな、と思った午後。

約束

来週金曜日空けておいてよ って彼が言って、うん って私が言って、来週誕生日なんだよ って私が言って、だから金曜日会おうって言ってるんじゃん って彼がいって、でも私の誕生日は土曜日なんだけど って私が言って、土曜日は彼と約束があるんじゃないかなと思って って彼が言って、その時少しだけ悲しくなったけど、ふたりの未来がつながったことが嬉しくて、彼の腕にキスをしながら うん って私は笑った。

Friday, March 28, 2008

All Those Little Things

もう二度と会えないと思った(数)時間があったから、彼と一緒に過ごす時間の中の小さな出来事の全てが嬉しい。
 
タクシーを捜して一緒に狭い路地を歩いたり、餃子と炒飯を1人前注文して小皿にとりわけないで一緒につついたり、大勢で飲んでるときに私のグラスが空になりそうなことに気がついてくれたり、買ったばかりのスプリングコートが偶然同じ色だったり。

「今晩はひとりでカウンターでビールを飲んでます。 でもカウンターにはカップルばかりで寂しくなってしまいました。」 ってメールしたら、「明日は隣で並んで飲むからさ。」 って返事がすぐにきた。 

そういう何気ないひとことが嬉しい。 明日会えるってことが嬉しい。 これからも一緒にいられるってことが嬉しい。 彼を好きでいてもいいんだってことが嬉しい。 
ひとりよりふたり

近所の格安お寿司屋さんに入り、一人前のお刺身を肴に、ひとりビールを飲んだ。

私の右隣には、お一人様の50代の男性が、お通しを肴に焼酎を2杯を飲み帰っていった。 その後に座ったのは60代の女性、またもやお一人様で、貝づくしのにぎりを食べて帰っていった。 

左隣には、40代のラテン系の男性と日本人女性が、焼きサーモンを連続でオーダーし、その横には30代前半の日本人カップルが、春野菜の天ぷらと白魚のポン酢を肴に安い日本酒を飲んでいた。 その横には40代の夫婦が、黒板に書いてある「今日のお勧め」を片っ端から注文していて、男性はビンビールを、女性はお茶を飲んでいた。 

ラテン系の男性と日本人女性は英語とポルトガル語と日本語をちゃんぽんで話していて、「日本で買うとどうしてZARAは高いの?」 とか、「あの時あなた彼女のこと見てたでしょ」 とか、「お前はどうしてそういう話をここでするんだとか」 いいながらイチャイチャしていた。 その横の日本人カップルは、「きみのその服いくらだったの?」 「あら、これは前から持っていたでしょ」 なんて話をしていた。 その横の夫婦は会話が全くなくて、でも男性のほうはお酒に酔って赤い顔をしながら、チラチラと私を見ていた。

板さんは私に気をつかって、何度も何度も 「次何にしましょう」 と聞いてくれたから、そのたびに何か注文しなくちゃいけないような気がして、お腹いっぱいなのに私はあれこれと注文してしまって、結局、いわし、ほたて、穴子、中とろ と合計8貫も食べてしまった。 最後のほうになると 胃がハチキレそうになって、ビールがちっともすすまなくて、でも残しちゃ悪いと、大学生のころみたいに気合で飲みほす自分がバカみたいだった。

「久しぶりに魚が食べたい」 と彼と一緒に下北沢のお魚屋さんに行ったのは2日前。 フラッシュバックに負けて、その時の再現がしたくなったわけじゃないとは思うけど、でもカウンターにひとり、食べるお魚はあまり美味しくなくて、あぁ彼と一緒だったから何もかも美味しかったんだなぁと思い知った。 

ひとりで何でもできるけど、やっぱりひとりよりふたりがいい。
サクラサク 

私の職場近くには、長い桜並木が続いています。 

天気の良い今日のような日のランチタイムには、 あちこちのオフィスの人たちがその下で、携帯で写真を撮ったり、 ビール350缶を片手に花見パーティーをはじめていたり、 テイクアウトのランチを食べていたり・・・。

それはもう一年に一度のビッグイベントですから、大騒ぎです。 


Tuesday, March 25, 2008

待受画面

(新しい)携帯の待受画面を、彼と一緒に撮った写真にした。 それも友だちの顔をくりぬいて、2人だけで撮った写真みたいにして。 

「よかったら待受、送って」 と彼が言うから、「彼女は一緒に写ってないけどそれでもいいならね」 と無駄口を叩きながら送った。 「ありがとう、大切にする」 っていう彼の言葉を、バカみたいに信じちゃったりしてね。

私の(新しい携帯の)待受画面の中の私と彼は大酔っ払いで尚且つ無邪気に笑っている。 昔、最愛の(今は亡き)BFが言ってた言葉を思い出す。 「お前と一緒にとった写真をみた瞬間、(今の)彼女が、『これ元カノでしょ』 って言ったよ」 

こうして待受を眺めていると、(今は亡き)彼の言っていた意味が分かる気がする。 だって私、かなり幸せそうに、そして少し自慢げに笑ってるもの。 

あぁ・・・どうしよう。 
(産卵中に想う)彼のこと

帰りの電車、南北線に乗った瞬間、彼の匂いがした。 私の周りでも3人はつけている、最近流行りの香り。 あの人も、この人も、その人も、同じ香りをつけてるけど、私にとってこの香りは彼の匂い。 

喉風邪をひいてしまってるし、あと数日したらまた会えるし、それに今夜は彼だって予定はあるだろうし、急にお願いっていったって会えるわけないのに、わかっているけど、それでもどうしても会いたくて仕方なくて、メールしようかなと思ったら、「今ごろは、彼の腕の中かな?」 なんて軽いトーンのメールがきて、胸がギュンと痛くなった。 

「俺はどっちかっていったら、胸より足フェチだな」 っていつかあなたは言ってたから、そんなあなたのために、最近の私はいつも、会えるか会えないか分からないけど、キラーレッグスが強調されるスカートをはいているのよ。 それに・・・。


足の指がキャンディーみたいに美味しく見えるように、ショッキングピンクに塗ってもらったり、前回は巻き毛カナリアみたいな外巻き・かっこいい系ヘアーだったから、今回はエビちゃんみたいに内巻き・可愛い系にしてもらったり、私の唇にそそられるように、恋焦がれるように、グロスをいっぱい塗ってみたり。


そういう全ては、あなたに会えるかもしれないっていう毎日の1%に賭けてのことなのに、どうしてもなんとしてでも会いたいのに、その 「会いたい」 という一言がどうしても言えない(打てない)。  私のすること全てがあなたのため、あなたが少しでも私を好きになってくれるように、最近の私の24時間は全てあなたを中心に廻ってるというのに。

あぁ、それだというのに、肝心なあなたは、ちっともそんなことわかってなくて(それは分かるわけもなくて)、私をからかう言葉のジャブ。 間に受けて、痛い目にあってる私は、自分のバカさ加減にあきれて、そして悲しくなるばかり・・・。 

うふふ。 この状態、ちょっとロマンティックに響くでしょ? でもねホントはもっと原始的なことなの。 満月にはライオネスになる私が、今日はウミガメみたいになって産卵中。 ウミガメは泪目で産卵していたけど、哺乳類の私は産卵中にさかってしまうのよ。

Monday, March 24, 2008

Today's Song - Dancing Queen by Abba
(またですかぁ・・・)

It's been a while since I last did sing a song (and felt like wanting to sing for someone like you). You probably don't know, but I was once paid to sing... ;-)

MISS YOU SO MUCH TONIGHT.



♪♪ You’re a teaser, you turn ’em on
Leave them burning and then you’re gone
Looking out for another, anyone will do
You’re in the mood for a dance
And when you get the chance...
You are the dancing queen, young and sweet,
only seventeen (WHAT???)
Dancing queen, feel the beat from the tambourine
You can dance, you can jive, having the time of your life
See that girl, watch that scene, dig in the dancing queen ♪♪
Circle Of Love

あぁ、愛が滲んでいる。 溢れていく。 波及していく。 繋がっていく。 廻っていく。 続いていく。 絶え間なく、永遠に繰り返される・・・。 

ボーイフレンドと愛人の違い、それは何かというと、ボーイフレンドとはハズバンド同様、メインストリーム。 唯一であり無敵な存在。 愛人は、その名のとおり愛(しい)人、サブストリーム。 ボーイフレンドがいてはじめて存在する。 その数は1人に限らない。 愛人#1や#2がいても問題ないし、数人いる場合には、それぞれを同じ割合で可愛がるもよし、その中の1人または何人かを特に可愛がるのもよし。

会う頻度は、必ずしもボーイフレンドのほうが愛人より高いというわけではない。 ボーイフレンドと愛人との比較の場合、会う頻度と愛情の深さは比例しない。 しかし愛人同士を比較した場合は、頻度の高さは気持ちに比例する(ような気がする)。 

昔、私をとりまく男の人たちの目を通して自分をいう存在を見ていた頃には、彼らの世界の中での自分の立場がイヤだった。 彼らに 「愛人」 と括られる自分をものすごく毛嫌いした時期があった。 でも今の私は違う。 今の私にとって愛人とは、世間で言われているドロドロしたものではなくて、ただ単に愛(しい)人ということ。 私主体の世界の中では、あの彼も、この彼も、その彼も、みんなが愛(しい)人。 彼らを愛人とカテゴライズすることになんら罪悪感はない。 そしてそこには既婚・未婚の区別も、年齢や職業による差別もない。 ただ彼らはボーイフレンドではなく、愛人なのだ。

「あなたじゃなくて、俺があなたの愛人なの?」 と愛人#1は驚いたように言った。 いつも部屋を出る前には必ずハグをする。 ふたりで決めたルールではないけど、そういえば最初の日からそうだった。 いつも私たちがしてしまう癖のひとつみたいなもの。 ハグ同様、2人だけの秘密が少しずつ増えていくことが嬉しい今日このごろ。 

私が 「私たちって仲良しね」 というと、「仲良しっていう言葉はありふれているから、その意味を自分たちだけに当てはまるように定義しよう」 と愛人#2は笑った。 「私たちって仲良しね」 というと、2人の距離がどんどん縮まっていくような感じがして、それがとても嬉しくて、何度も何度も繰り返した。 

(ずっと放置していた)シュードラ#1が今日、香港へ旅立った。 今までだったら 「あ、そう」 というくらいの反応だが、今日の私は愛に溢れていたから、彼の滞在ホテルに先回りしてウェルカムレターを送ってみた。 シュードラの彼はいったいどんな顔をして私からのメッセージを読むのだろう?  帰国後、いそいそと 「ただいま帰りました」 メールを送ってくるだろうか?

いよいよ明後日、ようやく(2週間ぶりに!)BFに会える。 私にとっては彼こそがメイン・ストリーム。 喜ぶココロ半分、緊張でお腹が痛くなっちゃうくらい、彼が好き(というか、彼に好かれたいと熱望している。)  愛人たちはそんな私を笑うけど、それでも私にとっては彼がボーイフレンドなんだから仕方ないっしょ。
 幸せ、ホントに幸せ。 ありがとう、ホントにありがとう。 愛に包まれて、胸がいっぱいで、あまりの多幸感で、このまま倒れてしまいそう。 

Sunday, March 23, 2008

夢か現か

昨日も会ったような、もう数週間も会っていないような、さっきまで隣で寝ていたような、もう二度と会えないような、そんな不思議な感覚に悩まされる今日このごろ。 気がつくといつも 「あなた」 のことばかり考えてしまってる。 「ねぇ、次はいつ会えるの?」 なんて聞く女は最低だと思っていたけど、今はそんな女(たち)の気持ちが分かるような気がする。 会いたくて会いたくて仕方ないのに、会った瞬間にはその想いの1%も伝えられない。 ホントは駆け寄って体中にキスしたいくらい嬉しいのに、「あ、おまたせ」 みたいな軽い感じを装ってしまう。


「あなた」 という対象が分刻みで変わっていく。 さっきまでは 「あなた」 のことを思っていたのに、そのすぐ後は 「あなた」 のことだった。 そして今は 「あなた」 のことを思い出してる。 次の瞬間の 「あなた」 はいったい誰なのかしら? 

「小学校の校長先生の部屋、校長室に大きな黒いソファーがあったでしょう? ニスでテカテカした木彫りのセンスの悪いローテーブルがあって、窓際には安っぽい灰色の机とそれとはマッチしない革張りの椅子があって。 窓の外、遠くにはゴツゴツした岩山があって、所々にゴルフ場みたいな緑が点々としていて。 窓のすぐ下、校庭では、ブルマーの女の子たちや短パンで駆け回る男の子たちがキャーキャーいいながらドッヂ・ボールをしてたり、先生の罵倒する声が飛び交う中、陸上や、サッカーや、ミニバスケットボールをしてたり。 そういう穏やかで清らかで正しいものがすごく近いところにあるっていうのを強烈に意識しながら、その大きな黒いソファーに両膝をついて、遠くの岩山をぼんやり見つめながら、後ろからされるっていう妄想をしちゃうんだよなぁ。」  

私がそう話すと、「あなた」 は声をあげて笑って、そのすぐ後、私は、「あなた」 をめちゃくちゃにしてしまいたいっていう、今まで感じたこともないくらいのものすごく大きな欲望が沸いてきてしまって、信じられないくらい呼吸が浅くなってしまって、死にかけの金魚みたいに口をパクパクしてもちっとも空気が入ってこなくて、頭がぼーっとしてきちゃって、そのうちにものすごく喉が渇いてきて、それを鎮めるのにゴクゴクと唾を飲み込んだ。 

ねぇ、今見ている 「あなた」 との思い出、これは夢なのそれとも現実?

Thursday, March 20, 2008

神保町ばる

私が好きな店、何度も通っちゃう店、には共通点があるんです。 

一番分かりやすいポイントは・・・私を(必要以上に!)大切に扱ってくれること。 これは東京でもニューヨークでも同じ、譲れないところです。 その次に挙げるとしたら・・・お店やスタッフに清潔感があること。 (オープンキッチンで)換気扇が油でベトベトだったり、何週間も洗濯していないようなユニフォームをスタッフが着ていては萎えてしまう。 それから・・・お料理に「華」があること。 基本に忠実にきちんと枠にはまっているようなものもイヤだし、あ~これ知ってる知ってるという感じのどこの店でも見かけるようなサプライズのないものでは困ります。 そしてそして・・・照明が薄暗いのがいい。 お料理にはスポットを当てれば美しく映えるけど、30代後半の私に明るい照明を当てれば肌の状態がクッキリしてしまい興ざめでしょ。 それからそれから・・・まだまだたくさんポイントはあるけど、例えばトイレの利便性とデザイン性のバランスが絶妙だったりとか、インテリアの材質とか肌触りとか色とかがスッとしてる(必要なら説明します♪)こととか、ウェイター&ウェイトレスが可愛いこととか、ワインリストが長くもなく短くもなく丁度良い長さだったりとか、等など、条件をリストアップしたらきりがないので、この辺でやめておきます。

で、最近のお気に入りは 「神保町ばる」 です。

場所は、都営三田線のA5出口から徒歩(5分と謳ってるけど)7分くらいのところ。 あれ?ないなぁ、この道まちがってないかなぁ?と思いながら人通りの少ない(かなり物悲しい)通りを歩いていると、急にボワっと灯りのついたサインが出てきます。 私個人の意見ですが、デートで行くお店というよりも、団体でワイワイ食べたい&飲みたいときにぜひ選びたい店です。 

この店に注文をつけるとしたら(上から目線!)、この店の価格設定には少々問題があるのでは?ってこと。 (この店が大好きなだけに)この店のお料理は安すぎる!と思うのです。 ホント、これは感謝すべきことなんだけどね、でもね、ものすごく美味しいお料理だというのに(小川シェフ、ありがとう♪)、どれもこれも1000円切ってるってどういうこと~?と思うんです。 巷にはたくさんスペイン料理屋さんがあるけど、そのどの店にもひけをとらない、いやいやそのどの店よりも美味しいお料理が、そのどの店よりもずっと安く食べられるんですよ。 例えば赤坂見附のスペイン料理屋さんで生ハムを1皿食べるとすると、神保町ばるでは多分3皿は食べられるんですよ。 それに、ワインリストのワイン(全てスペイン産)が素晴らしいんです! 安くて旨くて、1人1本空けたとしても(え?1人1本空けるんですかぁ?)予算的には問題なしです。 今までの長い飲酒(&ドラッグ遊び)ヒストリーの中で、「安いワインは飲んでる最中から頭痛に悩まされる(&安いドラッグは返しがキツイ)」という刻印をされた私なんですが、この店のワインは全く大丈夫です。 安いワイン=二日酔いが怖い、という図式はすっかり覆されましたよ!

褒めて、褒めて、最後にひとつ、唯一(ホントに唯一です!)しんどいなぁと思う点は・・・照明が明るすぎるんです(苦笑) でもその解決策はこちら→→→ これから落とそうと思っている男の子を連れて行く場合は、どこか馴染みのバーでまず軽く1、2杯ひっかけて、ほろ酔い加減で行けばいいのではないでしょうか? そうすれば皺とか染みとかそういうマイナス要因はバレナイと思いますよ♪ よっしゃ!!

もっと知りたい方はこちら: 
神保町ばる
LAST CALL

国際シンポジウム 「セカンド・チャンス社会へ――女性の再就職支援」

いよいよ明日3月21日(金)、アメリカ大使館と日本女子大学主催の国際シンポジウム「セカンド・チャンス社会へ――女性の再就職支援」が開催されます。 


女性が子育てや介護でいったん職を離れると、その後、再び仕事に就こうとするのがとても難しい。 これは世界各地の女性が直面している問題です。 このシンポジウムでは、働く女性と雇用側の双方にとって有益な解決策を見出すための議論が行われます。 

申し込みが済んでいない方&もっと知りたい方はこちらまで: Tokyo Women

Tuesday, March 18, 2008

Today's Song - Born Slippy by Underworld



大好きなBFと一緒にこの曲を聞きたい。 思いっきり大きな音がでる、低音が子宮の奥までガッツリ響く、そんなスピーカーで聞きたい。

音符が空中を走るのが見えるような、そんなスペースの中、2人で汗だくになりながら、音のシャワーを浴びながら、見つめあって笑いあって(永遠に)踊りたい。

アゴがガクガク震えるのをやっとのことで抑えながら、手の平までビッシリ汗をかいて、周りの人たち全員に『愛してる』って言いながらハグしたりしながらね。

好きな音楽がカブるって、幸せなこと♪ 


いや、でも~っ、私は彼みたいな綺麗なココロを持ってないので、今この瞬間にもいろいろなイケナイことを妄想しながら興奮してますっ♪♪

Monday, March 17, 2008

機種変更

「携帯 オソロにしたよ」 と喜び勇んでメールをしたら 「俺の携帯知ってるの?」 ってあなたは言ったわね 酔っ払っているからってひどい そりゃないでしょ? だってだってだってだって・・・

表参道のお寿司屋さんのカウンターで 「あ それ 格好いいね」 って褒めたじゃない? そしたらあなたは 「薄くて軽いから どこにしまったか分からなくなっちゃうんだ」 って笑ってたじゃない?

その後何を飲もうかっていう話になって 私が お寿司だけどワインにしてもいいのかな? って言ったら、板前さんが お客様のお好きなものを飲んでください って言って あなたと一緒にワインリストを覗き込んで よしじゃあシャブリにしよう って言ったじゃない?

あっという間にシャブリを開けて この後どうしよう って言って 私が メルローが好き って言ったら たまたまリストにカリフォルニアのメルローがあって 珍しいね じゃあそれにしよう って言って メルローもまたあっという間に開けたじゃない?

野菜のお寿司を食べて お味噌汁を飲んで お箸は持って帰ってもいいって言われたのに持って帰るのを忘れちゃって フラフラしながら表参道からタクシーに乗って帰ったじゃない? 

途中のコンビニで 飲み物を買おう ってことになって 500ミリのビールとチューハイをカゴに入れた後 あなたに おいそれはやめろよ って言われたのに私は聞かなくて 大きなポテトチップスの袋までもカゴに入れてレジに並んだじゃない? 

そういう小さな景色のひとつひとつ 酔っ払って記憶をなくす私が あなたに関することは 比較的多く 覚えているっていうのに どうしてどうしてどうして・・・

「俺の携帯知ってるの?」 なんて悲しくなるようなこと聞くの? 

ドコモN705iμ: http://www.n-keitai.com/n705imyu/index.html

Sunday, March 16, 2008

Wanna Know What My Type Is?

今まで、好きになる男の人には共通点が全くないと思ってた。 でも実はあるのではないかと思う今日この頃。 


同僚Kは 「小さい男が好きなんでしょ 笑」 と(いつも!)からかう。 最初は 「は~?」 とピンとこなかったけど、今は、Kのオブザベーションは、と間違ってはいないような気がしている。 小さい男が私みたいな大女とつきあうってことは、それに抵抗がないってことは、かなり自分に自信があるってこと。 自信に溢れているってことは、とても魅力的なことだと思う。 そういえば、8歳年下のベトナム人のBFは身長は私と同じくらいだった。 綺麗なカラダと輝く笑顔が素敵だった。 彼は不安定な社会の中で確固たる地位を築き、26歳だというのにメイドを2人も抱えて、大臣の月収が40ドルの国で月収3000ドルを稼いでいた。

セクシーであること、まずはそれが基本。 カラダが綺麗なのはプラスであって、マストではない。 でもいくらカラダが綺麗でも、バービー人形のようでは困る。 カラダ全体から香りたつ色気があることは必須。 それは仕草だったり、表情だったり、歩き方だったり。 それは客観的なものではなくて、主観的なもので、私を見る視線、私を触る手、私をエスコートする身のこなしが、いかに私に性的に訴えかけるかどうかというもの。 そういえば、パーカッションを叩いていたBはいつも蝶が舞うように歩いた。 どっぷりと甘いカール・ラガーフェルドの香水に体臭が混じり、いつも絶妙な香りを放っていた。 彼の1メートル以内によると私はパブロフの犬のように、彼が欲しくて欲しくてたまらなくなり、まるでサカリのついたビッチだった。

私を喜ばせることに一生懸命であることはもちろん、他の人たちに対してもそういう風に接する男がいい。 相手の反応を観て、自分の影響力を知る。 他人の目に映る自分の姿を観て、自分の存在価値を計る。 他人から自分は圧倒的に必要とされているという、ある意味勘違いに近い自負がある男は美しい。 そういえばTは、いつも私の一歩先を行こうといつも神経を尖らせていた。 そんな彼の努力を無駄にしたくなくて、私はいつも歩幅を小さくして彼の一歩後ろからついていく努力をした。 そしてそんな自分を可愛いと思っていたし、そんな自分にさせてくれるTを愛しいと思った。 

学歴とか、肩書きとか、そういうものが、危機的状況下では通用しない、サバイブするには役にたたないということをわかってる男。  勘と知恵をバランスよく使い分けることができる男。 そういう男は賢くて、優しくて、そして強い。 そういえばMほど動物的で、人としての経験値も高く、賢く、優しく、強い男に出会ったことはない。 結婚したいと思った相手はそれまでにもいたけど、この男の子供が欲しいと思った相手はMが初めてだった。 だからタバコもやめたし、カラダに悪いドラッグは全て諦め、健康オタクになろうと決めた。 全てはMの子供を身ごもる準備のため・・・。 


今現在、ありがたいことに、私のまわりには、タイプだなぁと思う男が何人かいる。 素敵な男1人に大切にされるということは、そこら辺にゴロゴロ転がっている全然イケてない男たち1千人に愛されるよりずっと充足感がある。 まるで自分がどこかの国のプリンセスになったような気分になり、長い年月の中で塵のように積もってしまったネガティブなものが、きれいさっぱり浄化されるような気がする。 

あぁ、私は幸せ者ですぅ。

Saturday, March 15, 2008

Who Are We To Judge?

『私たちの幸せな時間』 を観た。 いや~、大変。 ちっとも 『幸せ』 じゃないよぅ。 泣いて泣いて、呼吸困難。 

死刑はOKか否か。 これは勢いで書いてはいけないトピックだし、私みたいな頭の悪い女が一時の感情に流されて叫ぶことではないし、多分冷静な時でもまだまだ社会的に認められてない(若造な)私の言葉は説得力に欠けるし。 それは十分分かっているけど、でも、それでも、議論のテーブルにあげたい。

ねぇ、私たちは人を裁く立場にあるのかな? 

違うよって思う立場の人がいるのは重々承知&覚悟。 でも、それでも、考えてみてもらってもいい? 死刑執行が全ての悪の解決策かどうかってことを。 

実際、私たち、憎むことでは平安が得られてないでしょ? 永遠に続くこの(ネガティブ)スパイラルから抜け出す道は、赦しにあるのでは? あのヤロウに死んで欲しいと願う心が、愛するあの人を蘇らせるわけではないのよね。 (愛する)彼は、どんなに(加害者を)憎んでも、帰っては来ないのよね。 

ねぇ、どうよ。 考えてみてよ。 

私の愛する彼があのヤロウを恨んで帰ってくるなら、あのヤロウを死刑にすれば、彼がこの世に戻ってくるのなら、私は毎日毎日毎日毎日ずっとずっとずっとずっと、あのヤロウの死刑を願うけど、でもね、私の愛する彼はどんなにあのヤロウを憎んでも帰ってこないのよ。 

ねぇ、死刑は違うんじゃないのかな?
Count Down

沈黙が気まずい雰囲気になるほど彼も私も子供じゃないっていうのに、彼と一緒だとなぜかいつも照れてしまって、必要以上におしゃべりになってしまう。 

私のこと何も知らないじゃない、私のこと知りたいと思わないの? と聞いたら、俺のことだって何も知らないだろう、でも知らないほうがいいかもしれないな、と笑った。 

大学の時は遊びすぎた。 田舎に家が2軒帰るくらいのお金を両親に使わせてしまった。 巨額のお金を投資してくれたというのに、私は未だに結婚もしてないし子供も生んでないし、両親は元が取れてないと嘆いていると思う。 何も返すことができなくて、ホントに親不孝な娘なんだ、という話をしたら 「そんなことないよ」 と一言。 他人にかけてもらった言葉で、今までこんなに優しさに溢れるものはあっただろうか、いやきっとなかったな、と思うくらい彼の言い方は温かく、私をすっぽり包みこんだ。 

ねえ、他の男とは会うなって、なんで言わないの? と聞いたら、他の男はやめて俺だけにしろって言ったっていうこと聞かないだろう って表情が固くなった。 そう言ってくれたらその通りにするかもしれないのに。 そう思った自分に照れてしまって、ますますおしゃべりが止まらなくなった。

会えば会うほど、気持ちが募っていく。 彼以外の男の人には会いたくない って思うまでのカウントダウンはもうすでに始まってる。

Thursday, March 13, 2008

Today's Song - Love Fool by The Cardigans
 (またこの曲?)

いいの、あなたはそのまま嘘つきで。 だってそんなあなたが好きなんだもの。
だから、私を好きだと言って。 そのウソをバカみたいに信じるから。
そしていつか私に飽きたら、躊躇せずに私を捨ててね。
きっと私は、捨てられたことにも気づかず、相変わらずあなたを想ってるわ。

・・・ってどうよ? 

 
微熱

街中で彼の名前を見かけるたび、胸が苦しくなる。 息が止まりそうになる。

それはタバコ屋だったり、八百屋だったり、クリーニング店だったり、床屋だったり、酒屋だったり、文房具屋だったり、洋品店だったり。

そこからリンクするのは、彼の顔ではなくて、もっとズームインしたパーツの映像。

ゴツゴツした指の関節だったり、白髪の混じる髭だったり、目元の笑い皺だったり、明るい茶色の虹彩だったり、カラダに残る手術の後だったり。 

それらの映像は、まるでスライドショーのように、数秒ごとに変わっていく。 そして私は、まるで微熱が出たときのようにダルくなってしまって、何もかもがどうでもいいような気になってしまう。


会いたくて会いたくてどうしようもない。 どこへも出て行かない熱を抱えて、これからどうしよう。

Wednesday, March 12, 2008

Today's Song - Mehboob Mere by Sunidhi Chauhan

今夜の気分はこんな感じです♪
(どんな感じ?)

数年ぶりに彼からのメール。
開ける時、思わず震えた。

もっと話そうよ。

言わなくてもわかるっていう 「あ・うん」 の呼吸、なんだか変な風に解釈されてるような気がする。 本来、言わなくてもわかるっていう状態に達するには、言わなきゃわからないっていう状態を何年も過ごさなくてはいけないのにね。 

ある日突然、出会ってすぐの頃に、「私たちってスゴクない? お互いの思っていることが大体わかるのよねぇ」 なんてありえない。 「もぉ、何回言ったらわかるのよ」 「何でこんなこといちいち言わなくちゃわからんないの?」 「は?どうしてそういう風に受け取るわけ?」 「だから違うっていってるじゃん」 「全然ポイントがずれてる。 全く当たってない」 みたいなことを繰り返して、それもイヤっていうほど繰り返して、長い年月の中で、こういう時にはこういう風に動くみたいな、お互いの状況に対する反応の仕方、が微かに見えてくる。

それでも ハズレを何度も引いて、「やっぱり他人だから分からん」 って思い、諦め、それでも苛立ち、いやいや実はそう思うことがほとんどだけど、でもそのうち相手の反応の仕方に対しての予測の当たる確率が高くなってくる。 または、「おいそれは違うよ」 って否定するのが面倒になって、「はいはい」 「そうそう」 って言い合ってるだけなのかもしれないけど。

だからその、基礎工事の部分=言い合いの時期は絶対に避けては通れないし、それなしで分かり合えるっていうなんていう勘違いはしたらダメだし、そんなことをしたら最後、絶対に砂の城みたいな結末が待ってるだけだと思うのね。 

だから、もっと話そうよ。

Tuesday, March 11, 2008

Today's (Could Be Everyday's!) Song
  - With Or Without You by U2

久しぶりに神経がピリピリして疲れた1日。 20代の頃を思い出した。 よくこんな状態で毎日生きてたもんだ。 もうこういうテンションはしんどいな。 年とるって最高! ブラボー30代(後半)!!
 


♪ My hands are tied
My body bruised, she's got me with
Nothing to win and
Nothing left to lose

And you give yourself away
And you give yourself away
And you give
And you give
And you give yourself away

With or without you
With or without you
I can't live
With or without you ♪
最愛の妹

毎朝、目が覚めた2秒後にするのは、メールチェック。 今日のスケジュールのリマインダー、今日の天気予報、ベッドタイム(22時半~23時)以降に入ってきた友達からのメールの数々を一気に読む。 

今朝はその中に、妹からのメールが混ざっていた。 着信は午前3時1分。 「近いうちに(亡夫)に会いにいきます。 身勝手をお許しください。」 思わず手が、足が、カラダを流れる血の最後の一滴までもが凍ってしまったように感じた。 

昨年、一昨年と不幸が続いた。 一昨年の3月に母の母が、9月には父の母が、そして昨年5月には妹の夫、私の義弟が亡くなった。 祖母2人は共に90歳を超えていたので天命をまっとうした感があったが、義弟の死は違った。 

享年34歳、負債を抱えたことを苦にして、職場での首吊り自殺だった。 遺書は7通残されていて、そのうちの3通は妹に宛てたものだった。 その中には何度も試みた
が死ねなかったこと、どれだけ妹を愛していたかということ、負債をつくってしまったことの謝罪、妹との思い出の回想や、妹の今後の心配などが書かれていたという。 

彼の突然の死は私たち家族の生きる気力を殺いでしまった。 彼の死をどう受け入れたらいいのか、誰にもその術が見つからなかった。 どこにもぶつけられない苛立ちを抱え、「もっと死ぬべき人はいいぱいいるのに」 と悪態をつく日もあった。 残された私たちは皆、自分の無力さを悔やんだ。 


なぜ救えなかったんだろう。 こんなに近くにいたのに。 なぜ悩みを打ち明けてくれなかったんだろう。 いくつもいくつも沸き起こってくる 「なぜ?」 の答えはどこにも見当たらなかった。 毎晩、彼と一緒に晩ご飯を食べていた母と妹は特に激しく自分たちを責めた。

私たち家族は、義弟の死を悲しむ時間の余裕も与えられず、莫大な負債をどうするかということに悩まされた。 その額は専業主婦の妹に背負えるものではなかったけれど、どうしても彼との思い出のたくさん詰まった家を手放したくない妹は、(すぐに)遺産放棄の手続きをしなかった。 そのためその負債までもを負の遺産として引き継ぐこととなってしまった。 結果、妹は自己破産という選択をせざるを得ず、結局、どうしても守りたかった家も売却処分することなってしまった。

昨日、自己破産の書類上の手続きが終わった。 そして妹に残ったのは空虚感。 夫を失い、財産を失い、社会的な信用も自己破産という形で失い、これから先の数年間は、まるでプリズナーのように、制限のかかった生活を強いられることとなる。 そんな中で妹はいったい何を希望にして生きていけばいいのだろう? 

妹からのメールに返す言葉がなかった。 でもすぐに何かを返さなくちゃいけないような気がして、今朝見た夢の話を書いた。 それは、妹と一緒に買い物をしている最中、お財布を盗まれて、探してみたら店内で見つかったけど、その中身は空っぽで、あまりの怒りと悔しさとで、外へ出て大声でGo to Hell と叫んだ。 その喉からしぼりだすような悪魔のような自分の声に驚いて目が覚めた、というものだった。 

「死ぬな」 とか 「生きていればきっといいことがある」 とか 「いつかまたきっと好きな人にめぐり合える」 とか 「天国の彼の分も生きなくちゃダメ」 とか 「あなたはたくさんの人に愛されているのよ」 とか 「人はみな平等」 とか 「人生は山あり谷あり」 とか 「生きたいと思っても生きられない人もいるのよ」 とか、そんな自分でも全く信じられないような言葉を、最愛の妹に送ることなんて出来なかった。 そんな浮ついた言葉よりも、今朝みた夢の話のほうが(体験したことという意味では)リアルだったから、迷わず夢の話を書くことを選んだ。  

「昨日は会えなくて残念だったね。 また会おうね。」 未来につなげたい一心で最後の一行そう付け加え、送信ボタンを押した。 時刻は6時26分だった。

Monday, March 10, 2008

あの早春の思い出

(写真は今日の職場近くのウメ)

あれは春まだ早い頃、良く晴れた朝だった。 ピリッとした空気の中、駅までのまっすぐな道を、私たちは並んで歩いた。 

前の晩は、あれだけたくさんのお酒を(混ぜて)飲んだのに、その朝は二日酔いが全くなかった。 ただほんの少しの倦怠感が残り、「よく飲んだなぁ」 と実感、それがとても心地良かった。

駅に着き、ホームで(急行)電車を待つ間、私たちはなぜか妙にぎこちなくて、ちっとも会話が弾まなかった。 「別に初めての朝ってわけじゃないのに」 そう思ったすぐ後に、「あ、そっか、一緒に帰るのは初めてだった」 と気づいた。 いつもは必ず私が先に帰る。 それもいつも慌ただしく、逃げるようにして。

「キリンビールのキリンのマークの中にキリンって文字が入ってるって知ってる?」 AB型らしく突拍子もない質問を彼がした。 「知らない。 どこ?  漢字? それとも、ひらがな? カタカナ? それは並んでるの? それともバラバラ?」  私が立て続けに質問すると、彼はちょっと困ったような顔して笑った。 「そんなの昔に流行ったじゃんって流すかと思ったのに」


「いや、流行ってないでしょ」 「いやいや、流行っったよ」 しばらく戯れながら言い合った後で彼は、『男梅のど飴』 という可笑しなネーミングのキャンディーをくれた。 「昨日あなたを待ってる間に買ったんだ」 そういえば待ち合わせにはいつも私が遅れてしまう。

同じ(急行)電車に乗り込み、「ねぇ、これから帰ったら何をするの?」 「あの葉山のホテル、もう行ったの?」 「へぇ、サーフィンするんだ 今年の夏は教えてよ」 なんてとりとめのない話をしていたら、あっという間に彼の降りる駅がやってきた。 外は相変わらずカラっと晴れた春空。 車内はこれから始まる1日を楽しみにしている人たちでごった返していた。  

それまでは何ともなかったのに、電車が減速して足元がふらついた瞬間、急に寂しくなってしまった。 彼と離れたくないと思いはじめてしまった。 「だから一緒に帰るのは嫌。 次回からはやっぱり私が先に帰ろう」 心の中でそう決意した時、彼が私の指に指を絡めて言った。 「じゃあまたね。 見送らないよ」

電車を降りる直前にはもう、すっかり気持ちを切り替えて、私のことなんてスッキリ忘れてるに違いないと思ったのに。 私のことをギリギリまで想っていてくれたことが嬉しかった。 いや実は彼にとっては無意識の動作で、実は彼の気持ちはすでに前を向いていて、実は私のことなんてとっくに意識の外だったのかもしれないけど、指を絡める、そんな小さな彼の仕草が、私の(突発的な)淋しさを吹き飛ばしてくれた。


そしてガタンと電車が走りだし、私の気持ちは前を向いて動きはじめた。 ほんの一瞬も彼の姿を振りかえることはなかった。 

あぁ今夜、この早春の晩、彼はいったいどこで何をしてるのだろう? 私を想う瞬間はあるのだろうか?

Sunday, March 09, 2008

Today's Song - So Nice by Bebel Gilberto

大好きなDからのミュージックギフト。
彼は今夜も聴いてるのかしら? 
 
歌詞がぐっとくる。
私のつぶやきそのものなんだもの。



♪ Someone to hold me tight
That would be very nice
Someone to love me right
That would be very nice
Someone to understand
Each little dream in me
Someone to take my hand
And be a team with me

So nice, life would be so nice
If one day I'd find
Someone who would take my hand
And samba through life with me ♪

Saturday, March 08, 2008

Positive Energy

国会議員、外交官、大学教授、民間企業役員などが200名ほど集まったセプション。 その受付(招待状とIDの確認)が終わり、同僚と待ち合わせしているバーへ急ぐ。 新橋に着き、銀座線を降り、JRに乗り換えるまでの数分間、私はかなり至近距離で3人のホームレスとすれ違った。  

まるで光と影、いや違う、コインの表と裏。 誰もが社会の上層部に昇りつめたり、下層部に転げ落ちたりする可能性を持っている。 ほとんどの人々はそのどちらでもない中間に属している。 いや違う、属しているというようなハッキリとした境界線なく、ぼんやりと漂っている、という感じだ。 

境界線を越えること、それはラッキーかアンラッキーかというようなことでも、どれだけお金をもっているかということでも、あちこちの宗教で唱えている戒律とやらをしっかり守ったかどうかということでもないような気がする。 もっと大きくて、大きすぎて見えないもの。 それは宇宙の果てにも私たちの中にあって、常にエネルギーを発していて、それは全てひとつにつながっている。 そのエネルギーを有効に使うかどうか、それによって浮いたり沈んだりするような、そんな気がする。  

JRの窓の外、遠くに見えるビル群の灯りは緑。 残像を残しながら右から左へと流れていく。 昔マンハッタンを南下しているときにキャブの中から見た景色に似ていた。 品川駅で下車、大きな交差点で信号が青に変わった瞬間、前方からそして両脇から大きな人の波がわっと押し寄せてきた。 流されないように、飲み込まれないように、エネルギーを一点に集中し、進んでいく。 

視点の先には同僚の待つバーがある。 明かりが店外に漏れ、真っ暗な周囲を温かく照らしている。 ガラスのドアごしに同僚の大きな背中が見える。 「もうすぐいいエネルギー交換ができる」 と逸る心を静めるため、大きく一息つき、勢い良くドアをあけると、まだ声もかけてないのに同僚が振り返り、大きな笑顔で私を迎えた。   

Friday, March 07, 2008

数秘術における個人年

「人生の転機」という本を読んでいたら、数秘術における個人年について書いてある部分があった。 それによると、「・・・生まれた月日を利用することで、新しい方向性が見つかる時期(1個人年)から、基礎を築く時期(4個人年)、収穫の時期(8個人年)を通過して、完成の時期(9個人年)に至る9年間の発展サイクルのどこにあなたがいるのか理解でき(る)」らしい。 そしてこの9年間サイクルの中の今「どこ」にいるか、というのが(今年の)個人年というものらしい。

(今年の)個人年の割り出し方は、意外に簡単。 誕生の月+誕生の日+現在の西暦=Xで、このXが個人年となる。 Xの数が2桁の場合は、10の位+1の位=Xとさらに足し算を続けていく。 (注)誕生の月や日が2桁の場合、例えば11月11日は、10の位と1の位を分けて別々に足し、1+1+1+1となる。

例えば私の場合は、4(誕生の月)+5(誕生の日)+2+0+0+8(現在の西暦)=19。 2桁なのでさらに足して、1+9=10。 まだ2桁なのでさらに足して、1+0=1となり、私の(今年の)個人年は1だと分かる。 

さて、私にとって今年2008年の特徴は・・・
<全体> 計画作成。新事業の開始、引越し、新しいチャンス、明晰性、選択、独立、独創性、知的活動、執筆、企画、指導。
<注意> 傲慢、臆病、混乱、恐怖、自信喪失、注意散漫
<行動月> 4月、9月

ちなみに大好きな彼の(今年の)個人年は8。 
「・・・人からの承認、目標達成、昇進、収入UP、過去の成果の収穫」など、全体的に良いことが並んでいて、今までの精一杯の努力が実る年になりそうな予感♪ (私がドキドキしてどうすんのっ!)

Thursday, March 06, 2008

「トジティブ」

昔は単純に信じられた。 「好き」と言われればすんなり受け入れられた。 でも今の私はいちいち「なぜ?」と思ってしまう。 好きになるには理由が必要でしょ? 理由がはっきり見えなければ、その「好き」を信じることができない。

理由なんてわからないけどただ「好き」だと心が叫んでる、そういう感情があることは知っている。 そんな風に「好き」になったことも過去にはあったし、その相手から同じように「好き」になってもらった経験もある。 でも多くの恋愛を重ねてきた今の私にとってそれは、幻想のようなもの。

 
例えばAが私を「好き」だという時、その「好き」は分かりやすい。 長年お客様にサービスすることを職業としてきた彼は多くのスタッフを使う立場となり、現場から遠のき、お客様とダイレクト関わる機会を失い、お客様の喜ぶ顔を見ることができず、お客様からの賞賛も得られず、どの方向へ向かっているのか確認する術がなく、それはとてつもなく幸せな状況なんだけれども、不安を感じるようになってしまった。 誰でもいいからサービスしたい。 誰かの喜ぶ顔が見たい。 自分のチカラが他人に及んでいることを確認したい。 彼は現状に対してリアルな不満はないし、「欠け」の部分を補修してほしいわけではないから、その対象は本当に誰でよくて、ただ唯一リクエストがあるとすれば、根拠のない「不安」を見透かしても何も言わないでいてくれる(または関心のない)人であってほしいということくらい。 そしてその対象に私がぴったり当てはまっているから、彼は私を「好き」という。


BFが私を「好き」だというたびに、その理由が見えなくて悲しくなってしまう。 彼の「好き」を信じることができない。 いったい私に何を求めているのだろう? 私の(恋愛)経験? それとも(かなり偏った)人脈? どうやらお金ではなさそうだ(苦笑)。 理由なんてわからないけどただ「好き」だと心が叫んでる、そんな風に彼が私を想っていると結論づけるほど私は無垢・無傷ではないし、 そんな期待を1%以上抱くほど私はリスク管理がなっていないわけではない。 

開きかけた心が閉じようとしている。 ふと元彼の言葉を思い出している私。 「トジティブ」 心が閉じている状態を彼はそう呼んでいた。 繊細だった彼の心の動きを鈍感な私が100%共感できるわけはないけど、今のこの状態、「トジティブ」 っていうんじゃないかしら? 久しぶりに元彼に会っていろいろ話がしたいなぁと思う。

Wednesday, March 05, 2008

A Month Before My 39th Birthday

来月5日は39回目の誕生日。 


30歳になったばかりのころはまだまだ若いと思っていた。 でもここ数年、特に35歳を超えてからは、加速度をつけて老化が進んでいるように感じる。 女性の平均年齢が80歳を超える今、39歳なんて人生の折り返し地点にも達してないはずなのに。 いくら不摂生しているからとはいえ、長寿の家系に生まれた私なのだから、たぶんあと40年くらいはいけるはずなのに。 

かつては美しかったはずの体型も今は情けなく崩れ
透き通るような色白で瑞々しくはりがあった肌も今はくすみ+たるみ+しみやしわが目立つようになった。 

何か面白いことはないかと24時間ピリピリしていたはずの感性も今は退屈な作業の繰り返しの毎日の中では不必要になり鈍感になった。

「きみはきちがいだ」という最高の誉め言葉をもらっていたころは話術に切れがあったのに今ではお酒の飲み過ぎで会話の流れにドラマがないばかりか時折どもってしまったり途中でポイントがずれたまま主流にもどれなくなってしまうこともある。

心身ともにずいぶん年老いてしまったとしみじみ思う今日このごろ。 

Tuesday, March 04, 2008

国際シンポジウム
「セカンド・チャンス社会へ――女性の再就職支援」

3月21日(金)、アメリカ大使館と日本女子大学は、アメリカ、日本、韓国の有識者が一堂に会する「国際ポジウム:セカンド・チャンス社会へ――女性の再就職支援」を開催します。女性が子育てや介護でいったん職を離れると、その後、再び仕事に就こうとするのがとても難しい――世界各地の女性が、そうした問題に直面しています。シンポジウムでは、参加者が働く女性と雇用側の双方にとって有益な解決策を見出すための議論が行われます。

詳細はこちらまで: Tokyo Women

Sunday, March 02, 2008

Love Me, Love Me Not...

隣のテーブルには20代のカップルが仲良さそうにメニューを覗き込んでいる。 お互いの好き嫌いを確認しあうほどまだ二人は出会って間もない。 悩みに悩んだ末やっとのことで2皿を選び、彼はアイスウーロン茶、彼女はマンゴージュースを注文した。 終始会話と笑顔が絶えることがないニ人を見ていたら、なんだか急に悲しくなってきた。 若いってそういうこと。 同年代ってそういうこと。 並んで歩くことがとても自然で、好きな人との未来に希望を持つことができる、そんな二人がとても羨ましかった。

彼らのテーブルの横で私は、同年代の男と餃子を食べながらビールを飲んでいた。 そしてまるでBGMのように彼らの会話を聞きながら、私はのことを考えていた。 私とが並んで餃子を食べながらビールを飲んでいたら、私たちはどんな風に他人の目に映るんだろう? そんなことを考えていたらまたさらに悲しくなってきた。

「おいしいか?」 と聞く声で我に返ると、私の横には同年代の男がいた。 同年代の男が私を見つめる瞳に偽りはなく、それがかえって息苦しく感じた。 私をまっすぐ見つめて、出会えて良かったと笑う。 私はそうねという表情で口元をほんの少し上げて笑い返す。 同年代の男と歩いてゆくことが現実的なチョイスだと強く言い聞かせようとする私と、を好きな想いをあきらめたくないと叫んでいる私が、戦っている。

「俺のこと好きか?」 私は言葉に詰まってしまい返答することが出来ず、その代わりに力なく笑ってしまった。 同年代の男に不信感を抱かせてしまったかもしれない と思ったら冷たい汗が脇の下に滲むのを感じた。 「に聞かれたときは0.01秒後に好きと答えたのに・・・」 

そうこうしている間にも、次から次へと浮かんでくるのはとの思い出のシーン。 私はのことがとても好きなんだなと思った次の瞬間、と別れる日がきたらどうしようと不安になってしまった。 若いカップルに視線を移すと不安はさらに大きくなり、それからはもう嫌なことばかりが浮かんできて、負のスパイラルから抜け出せなくなってしまった。 

Saturday, March 01, 2008

実年齢と精神年齢

昨夜ベロベロに酔っ払って26歳の彼の目の前で50歳の男の人とタクシーに乗って帰った。 メールも電話もしないでそのまま倒れこむように寝て起きたら今朝7時だった。 

携帯には彼からのメールが3通。 最後の1通には心配をとおりこして、怒りをとおりこして、落胆と失望の色。 「なんでメールしないの」って怒ってくれれば「ごめん」って素直に謝れる。 でも「がっかりした」って突き放されるとその先が怖くて何もいえない。 

「今無事に家に着きました」という一行の大切さを知った。 そういうことが彼のいう 「信頼は小さなことの積み重ね」 だと分かった。  そしてことの重大さに気づいた。 もしかしたらもう二度と彼に会えないかもしれないと思うと胸が苦しくて、いてもたってもいられなくて、何度も何度も彼のメールを読み返した。 

昼すぎに彼から電話がかかってきた。 出るべきか出ないべきか3秒間悩み、死の宣告を待つ囚人のような気分で電話に出た。 Helloの後が出てこない。 沈黙の後、ぎくしゃくした言葉のキャッチボールが続き、「あぁ、使い古しの雑巾みたいにポイって捨てられちゃうんだ」 と覚悟した瞬間、彼が優しい言葉をかけてくれた。 「ホントは怒ってたよ。 でもがっかりしたって言ったほうが効くだろうなと思って。」 怒るってことは期待しているから、無視するのはどうでもいから。 

彼は実年齢では私よりひとまわりも下だけど、精神年齢は私よりずっと上。 私がいつも遊んでいる年上の人たちよりももしかしたら上かもしれない。 いつの日か彼の精神年齢に追いつきたいけど、実年齢で彼が私に追いつかないのと同じで、それは無理なのかもしれないね。