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Sunday, February 07, 2021

I AM LOVED

保育園に通っていた頃、毎日とても寂しかったことを覚えています。お友だちはお迎えがきて次々と帰っていく中、私は、大きなスヌーピーのぬいぐるみと遊んだり、オルガンを弾いたりして、母が迎えに来るのを待っていました。それでもなかなか母はこなくて、待ちくたびれて、まだかまだかと、保育園の門の横にある木に登って待っていました。そして母の姿を見つけるとすぐに遊戯室に走り戻り、何事もなかったかのようなふりをしていました。「綾ちゃん、お母さんお迎えにきたよ!」と先生に言われて、本当は小躍りしたい気分なのに、「あ、そう」なんて子供ながらに平静を装っていました。本当は甘えたかったけど、お母さんは仕事で疲れているし、ご飯の支度もあるし、妹の世話もしなくちゃいけないし、私がはしゃいで騒ぐとおばあちゃんやお父さんにお母さんが怒られてしまうから、我慢していました。本当はとても寂しかった。妹はおばあちゃんと一緒に家にいられるのに、なんで私は朝から晩まで保育園に行かされるのかな、なんでお迎えが一番最後なのかな、もしかしたら私は要らない子なのかな、愛されていないのかなと、幼子心に思ったりしていました。小さな子どもだった私は、毎日寂しくて、小さな心は毎日傷ついていました。

両親は当時、今の私よりはるかに若く、仕事と子育てを両立しようと必死だったんだと思います。両親が休みの日には、あちこち連れていってくれたことをよく覚えていますし、たくさんの写真が残っていますし、写真の中の両親はとても優しく私を見つめていて、私を愛してくれていたんだということはひしひしと伝わってきます。もし両親が愛してくれていなかったら、私は生きてこれなかっただろうし、両親のおかげで今日まで生きながらえることができたんだということは、今の私にはわかります。でも、当時の幼い私にはそれがわからなかったんだと思います。そして勝手に傷ついてしまったんだと思います。

幼少期でなくとも、成人してからでも、傷を負ってしまった心が癒えるのには、とてつもなく長い時間がかかるように思います。こうして今、幼少期を振り返ってこのブログを書いている最中、自然と涙がポロポロとこぼれてきます。朝の7時47分ですよ、シラフなのにですよ。

傷が完全に癒える日はくるのかしら。それはわからないけど、希望はあります。ゆっくり確実に着実に癒えていると感じていますから。全てはこの約11年間、ほぼ毎日一緒にいてくれているBFのおかげです。雨の日も風の日も晴れの日も雪の日も、良いときも悪いときも、私が暴れても、すぐにポロポロと涙を流しても、甘えることができなくても、幼児に戻ったかのようにぬいぐるみを抱きしめても、どんなに私が不安定でも、いつもどんなときでも変わらずそばにいて支えてくれているBFのおかげです。Thank YOU! 

私は愛されていて、必要とされています。BFの長年の努力(=愛の注入)の成果です。そう感じることができるようになり、寂しさを感じることは少なくなり、心の平安を保つことができています。日々大切にしてくれるBFに感謝。そして命を与えてくれて大切に育ててくれた両親に感謝です。

Sunday, January 24, 2021

Motherhood

ずっと子供がほしいと思っていました。でも30歳で授かったとき、私は諦めてしまいました、いろいろな「育てられない」理由をつけて。

後悔しても仕方ありませんが、51歳、ホルモン治療中、閉経している今、「もしあのとき諦めないでいたら・・・」と思うことがあります。2000年2月29日が出産予定日でしたので、今年、21歳になりますね。息子さんだったのかしら、娘さんだったのかしら。たまに、不思議なもので幸せなときに、思い出します。たまにでごめんね。水子供養しなくちゃね。

私は恵まれています。肺に転移しているがんは奇跡的に縮小を維持していますし、毎日美味しく食事をとれますし、暖かい部屋で過ごすことができますし、このコロナ禍でも仕事があり、贅沢なことによい条件で転職することができましたし、愛してくれる人がいて愛する人がいて、本当に幸せです。いつも支えてくれているBFには心から感謝しています。そしてBFが授けてくれた子どもたちがいることで、私は心の平安を保つことができます。なんてありがたいことなんでしょう!

ここ数年、自分の健康のことばかりで余裕がありませんでした。そんなときに寄り添ってくれたのは長男のリラ。です。昨年後半から、変化の時期がやってきたと感じています。私の中には愛が満ちていて、注ぐ対象を求めていました。そんなタイミングで、次男のルカ。がやってきました。そして先日、長女のローズマリー。がやってきましたよ。Thank YOU! 

これからも一緒に、みんなで生きていこう。ママになれてよかった。私をママにしてくれたBFには心から感謝しています。

*****

長男リラ。


次男ルカ。と長女ローズマリー。


ローズマリー。がほしいと駄々をこねてます。結局、BFがローズマリー。を連れてきてくれましたよ。Thank YOU!


Tuesday, May 12, 2020

Thankful

I am so thankful for having food and shelter and being healthy!
家があり、食事ができ、健康であることを心から感謝しています。

・・・とFacebookに投稿したとおり、本当にありがたいことだと思っています。ひとえに支えてくれているBFのおかげだと思っています。Thank YOU!  もちろん家族や同僚たちにも感謝しています。

世界がひとつになってCOVID-19と戦っている(or 共生の方法を模索中の)今、これまで当たり前だと思っていたことの数々が実はとてもありがたいことだったってことに、世界中の人々が気づきました。それらひとつひとつに感謝しながら、今、自分にできることは何かを考え、そしてそれを行動にうつし、さらには私たち人間が自然や動物と共生していくにはどうしたらいいのかという、そんな壮大な計画にも思いを巡らせつつ、目の前の愛する人と笑い合い、一日一日を大切に過ごしていきましょう。

 以下の撮影は、いつもの通り、BF=努力家の写真家でございます。
(いつもありがとう)

数日前のディナー #おうちで食べよう



昨日のディナー #おうちで食べよう



今日のディナー #おうちで食べよう

Thursday, April 09, 2020

家族への手紙(緊急事態宣言)04/07/2020

おはようございます。

日本でも緊急事態宣言が発令され、要請とはいえ外出自粛が本格化しそうです。昨夜ニュースが流れて以来、買い占めに動き出した人たちもいるそうです。でもどうか今はスーパーに行かないでください。混雑が予測されますので、感染のリスクが上がります。

さて、家の目の前にあるケヤキの木々に新緑が茂ってきました。その木のひとつにカラスのお父さんとお母さんが巣を作って子育て中です。木の枝だけでなく針金で出来た色とりどりのハンガーをも使って巣を作っています。

私たち人間の世界では社会的距離をとって過ごすことになりますが、動物の世界では今まで通りの営みが続いているのを見て和みました。

引き継ぎ、手洗いとうがいをしっかり、不要不急な外出は避けて、どうか安全に過ごしてください。


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父からの返信
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茨城県は宣言枠外ですが京都に次ぐ六十二名の感染者です。対岸の火事ではありません。先ほどスーパーで買い物をしたら店員はもとより客の殆どがマスクをしているのに驚きました。恥ずかしい思いでした。お父さんもお母さんも戦後の貧しい時代を生き抜いてきましたので今回の事態には精神的な不安はありませんが、後期高齢者による体力的不安はあります。行動自粛には注意したいと思います。そちらのカラスの巣に対して当方より玄関の山桜と庭の二輪草の群生を送ります。体調管理に留意下さい。


Saturday, April 04, 2020

家族への手紙(ニューヨーク医療現場)04/04/2020

おはようございます。

ニューヨークの医療現場で働く日本人医師のインタビュー記事です。


日本でも感染者が急増しています。

感染のリスクを下げるために私たちに出来ることは、不要不急の外出をせず、手洗い・うがいを頻繁にすることです!

また、十分な睡眠と栄養をとり、身体を冷やさないようにし、免疫力を維持することも大事です。

これからが正念場ですので、今まで以上に気をつけましょう!

追伸: 

4月末まで在宅勤務となりました。上層部曰く、「スタッフの健康が最優先」とのこと。私の感染リスクはグッと下がりましたので、安心してください。

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父からの返信
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在宅勤務で一安心です。先日の政府の全国へのマスク配布は皮肉を含め哲学的です。そして緊急事態宣言を引き延ばしているのも哲学的です。ひょっとすると正解かもしれません。この日本人的な発想は乗り切れるか否かの、どちらかです。日本人の勤勉さ、消極的、集団的行動、単一民族のまとまりはコロナウイルス感染には強い免疫力があるのかもしれません。ニューヨークやヨーロッパのような感染爆発はないのではと信じたい。昨日は母ちゃんと尚子の遺影と、グリーンベルトの桜観をしてきました。来年も観られますように。体調管理に留意下さい。

家族への手紙(在宅勤務)03/30/2020

おはようございます。

この週末、職場スタッフに新型コロナウィルスの感染が確認されたため、今週は在宅勤務となりました。(昨夜、急遽決まり、連絡がきました)

当該スタッフは、広報部勤務で、現在、特に大きな症状はなく、自宅隔離となっています。おかげさまで私は、彼女と濃厚接触はありませんでした。

というわけで、1週間は自宅待機となり、時間はふんだんにあるのですが、こういう状況なので、帰省できず残念です。どうかくれぐれも手洗いをしっかりとして、安全に過ごしてください。

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父からの返信
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自宅待機、ご苦労さま。お前は既往症があるので格別の注意をお願いします。折角の機会ですので今後の人生後半の計画の構想を練るのも一案です。東京のコロナウイルス感染も先のお彼岸の三連休の結果が出る四月上旬が山場との事です。新たに初期感染時の症状に味覚、嗅覚が失われるとのことが追加されました。お互い注意して我慢しましょう。

Thursday, January 30, 2020

Every Three Months

今日は2ヶ月に一度の血液検査・診察・経口薬処方の日でした。BFが病院まで送ってくれましたよ。 Thank you!

まずは前回(11月)のCT検査の結果から。

「右胸壁再発腫瘤た多発肺転移は縮小を維持しています」

所見では、前々回(5月)のCT検査の結果との比較。

「右乳癌に対し乳房全摘後、再建後。
インプラントの上外方に観られていた皮下腫瘤は縮小を維持しています。
右内胸リンパ節の描出は初回検査から変化なく、リンパ節転移は指摘できません。

以前に見られていた多発肺転移は索条構造となって、縮小を維持しています。
ほか、肺野に小結節が散見されますが、著変ありません。

肝外側区の横隔膜直下の低吸収病変に経時的変化は認めません。
胆、脾、膵、両腎、両副腎に特記すべき異常はありません。
多発子宮筋腫があります。

胸水や腹水貯留を認めません。
骨転移を示唆する硬化性/溶骨性変化は認められません。」

つまり、新規の悪い奴はいないってことですね。
よい方向に向かっているってことですね。

この結果を見て、先生が、「次は3ヶ月後にしましょう」って言ったんです。

再発してから2年になりますが、この1年くらいは2ヶ月に1度の検査・診察だったのが、次は3ヶ月後になったんですよ!1ヶ月伸びたんですよ!!この患者は、間隔あけても大丈夫、死なないわって思ったってことですよね!!!

次の予約は4月末。ゴールデンウィークの少し前です。血液検査をして、6ヶ月溶剤のリュープリン注射を打って、(今の治療の副作用で骨密度が減るリスクが上がるので)初・骨密度の検査をして、経口薬の処方をしてもらいます。

診察が終わって、職場に向かう道すがら、乳癌の手術後、少しずつ少しずつ、病院に通う間隔があいて、頻度が下がってきたことが嬉しかったことを思い出しました。病院から足が遠のくってことは、命が伸びたってことだって思ったことを思い出しました。

乳癌が見つかった瞬間から今日まで、ずっと支えてくれたBFに心から感謝しています。毎日祈ってくれている両親、妹弟に感謝しています。私の免疫力アップに一役も二役もかってくれている友人たちに感謝しています。

「3ヶ月後」がパターンになり、「3ヶ月おき」となりますように。そして次はもっと間隔があいて、「4ヶ月おき」「5ヶ月おき」「6ヶ月おき」となりますように。

Tuesday, November 26, 2019

Thanks

「ありがとう」を集めてみよう。今日という日が良い1日だったと思えるだろうから。

BFに、ありがとう。毎日早起きしてくれて、会いに来てくれて、満員電車に乗らなくてもすむように車で送ってくれて、迎えにきてくれて、美味しいごはんを食べさせてくれて、リラ。のことを大切にしてくれて、気分屋な私に10年も忍耐してくれて、5年前に胸をなくしてセックスもできないカラダになってしまったというのに今も変わらず優しくしてくれて、泣いてるときは涙をふいてくれて、(キリストのように)私が歩けないときは私を背負って歩いてくれて。

両親に、ありがとう。いつも私の健康を祈ってくれて、父は毎日、先祖に手を合わせてくれて、母は毎日、好きなコーヒーを絶ち願掛けしてくれて、親孝行できない私に忍耐してくれて、それでも愛してくれて。

妹と弟に、ありがとう。元気でいてくれて、会う時はいつも楽しい話をしてくれて、めったに帰省しない私の代わりに両親を支えてくれて、気難しいところがある私に忍耐してくれて、それでも嫌いにならないでいてくれて。

友だちに、ありがとう。ありのままの私を受け入れてくれて、神様や天使たちに導かれてだろうね、私が弱っている時にメールや電話をくれて、その時一番聞きたいだろう励ましの言葉をくれて、わがままな私に忍耐してくれて。

同僚たちに、ありがとう。いつも声をかけてくれて、励ましてくれて、笑顔をくれて。

ひとりでは生きていけない、人はね。たくさんの人に支えられてるから、前にすすめるんだね。

「ありがとう」x∞です。

Tuesday, July 24, 2018

Letters Between Sisters

妹から小包が届きました。中身は、(妹の趣味である)手作りビーズアクセサリー、(歯が白くなる)歯磨き粉、アロエのフェイスマスク。そして手紙が同封されていました。

SNSが大流行し、LINEやWhatsAppのような様々なソフトウェアでコミュニケーションが主流の今、手書きの手紙をもらうことは稀で、とても貴重で、とても嬉しいことです。妹の手紙を読み、私も手書きの手紙を書けば「粋」だったんですが・・・つい、この嬉しさをすぐに伝えたくて、メールをしてしまいましたとさ。

妹と私の手紙&メールのコミュニケーションは以下のとおりです。

***
妹からの手紙

Dear きゃべべ(=私の愛称)

体調はどうですか?
こう暑くちゃしんどいかなぁ?

くりり(=妹の愛称)はとっても元気です。

書道も上手になってきてると先生に言われました。最初はなんだってうまくは行きませんから。

休みがいっぱいあれば思う存分ビーズをしたいかな?

これからいっぱいいろんなところに一緒にいこうね。また旅をしよう。

姉妹がソウルメイトっていうのもあるんだね。きゃべとくりりは前世でもあっていたんだよ。きゃべは忘れちゃったね。

旅行も良いし、ランチでも良いし、とにかく楽しいことをたくさんしましょう。

お父さんはスイカ作ったりして忙しそうよ。お母さんは仕事が忙しそう。

くりりも夜勤が少しつらいけど、社員はやるしかないから、帰ってきてから薬を飲んでいます。

退院して3年になります。

新しい彼氏さんともちょうど3年たちました。退院してから出会いました。いつもお母さんにお菓子をくれるの。とても優しい人よ。いつもお寿司も楽しく食べさせてくれる。ジョークがさえていてゲラゲラ笑うんだよ。

生きているって素晴らしいね。入院している時はイヤでしかたなかった。人生が、退院したら、クレパスで色がついた様よ。灰色の人生に色がついた。

きゃべが私のお姉さんで本当に良かった。

定年を迎えたら、たくさん温泉とか行こうね。龍ケ崎に日帰り温泉が出来てすごくいいんだよ。一緒に行こう。

一日一日をお互い大切にしようね。

体に気をつけて。またおいしいお酒を飲もうね。

少ないけれど、おにもつ送ります。

では またね。
元気で。

くりり

***

私の返信(メール)

Dear くり

こんにちは。

お手紙ありがとう。アクセサリーや歯磨き粉や顔パックありがとう。あまり気を遣わないでね。

くりが日々幸せを感じていること、とても嬉しいです。愛する人が幸せだったことはとても幸せなことよ。これからも幸せな時間をたくさん過ごしましょう。

8月のスケジュールが分かったら連絡しますね。休みが合えば上野でルーブル観ましょう。

これから何年も何十年も生きて、一緒に楽しいことをたくさんしましょう。

いつもありがとう。

Love and light,
きゃべ

***

妹との写真はたくさんあります。でも近年は、お互いにいろいろあり、妹のご主人が亡くなったり、妹が入院したり、私が闘病したり等、なかなか会うことができず・・・それに、たまに会った時に撮った写真の中のふたりは元気がない感じで・・・今年2018年後期は元気なふたりの写真をたくさん撮りたいな。

(1998年だと思います)
妹が約1ヶ月NYに遊びに来てくれました。当時仲良くしていたNテレビ局のニューヨーク支局長がニューヨーク郊外へ車で連れて行ってくれました。

ユニオン・スクエアでリアル消防士さんと一緒にパチリ!

Tuesday, January 03, 2017

帰省


12月31日(土)〜1月2日(月)まで、帰省しました。

ざっくり振り返ると、よく食べ、よく飲み、よく議論し(のちケンカに発展もあり)・・・私の家族らしいお正月の過ごし方となりました。

ここ数年は叔父や尚子(父の溺愛していたラブラドール享年8歳)との別れがあり、妹や私の健康不安があり、落ち着かない年末年始だったので、今年は思いっきり騒げて良かった!と思っています(お酒を一滴も飲まず酔っぱらいに付き合う母には騒がしすぎたかもしれませんが・・・)

高級おせちを買っていた時期もありましたが、今は近所のスーパーで買った食材(紅白かまぼこ、伊達巻、たこ、厚焼き玉子、田作り、数の子、栗きんとん)やお歳暮で頂いたハムを大皿に盛り付けるスタイルが定着しています。筑前煮、紅白なます、ネギぬた、人参甘煮、ごぼう煮、黒豆、里芋等は、昔から続く伝統というか、31日の夜に女たち(今は母がメインで、私と妹はお手伝い)が作ります。

1日(日)は、弟は早朝から出勤でしたが、残りの家族は全員、午前7時から午後2時すぎまで、おせちを食べながら、ビール、ウイスキー、ワイン等飲みながら、色々な話をします。熱が入り過ぎてバトルが始まることも多々あります。食べ疲れ、飲み疲れ、夕食は午後5時くらいに、ほんの少々頂きました。

翌2日(月)は、家族全員が揃い、午前8時から、おせちを食べながら、酒盛りが始まりました。午前10時、毎年恒例の年明けカラオケへ。2時間思いっきり熱唱し、お昼ご飯は回転寿司へ。酔っ払って食欲が出ているので、かなりの量を食べましたよ。

そして午後2時くらい、優しいBFが迎えにきてくれました。(酔っぱらいの私の酔いを覚まそうと?)お台場へ連れていってくれました。このときの話と写真はまた後日アップします。Thank YOU!

家族と一緒に過ごす年末年始は、気疲れもあり、胃腸の疲れもあり、毎年大変なことになるのですが、やはり一年に一度くらいは全員で集まり、お互いの調子を確認したいものです。良い帰省でした。

大皿に盛りつけたおせち(筑前煮と里芋の写真を撮り忘れました・・・)

父が作っている野菜(水菜と大根)をもらってきました。大根の根はおろしにしてしらすをかけていただきます。葉は油揚げと一緒にごま油で炒めました。水菜は酢味噌で合えていただきます。母がくれた切り干し大根はひじきと一緒に煮ました。今週はこれらを頂き、暴飲暴食で疲れている内蔵を休ませようと思っています。

Thursday, May 05, 2016

Toxic Parents

母から電話がきた。

「明日、会社のお客様のお葬式が入っちゃったの。だから、午前中は駅まで迎えにいけるんだけど、帰るときに駅まで送っていくのは午後8時すぎになっちゃうんだけど、大丈夫?」

「そんな忙しい思いしてまで送迎してくれなくていいよ。ぶっちゃけ、私だってかなり無理して帰省しようとしてるんだよ。別の日、また別の週末に帰省するからさ。」

これから、次々と、溜まったものが出てきてしまった。母の日が近いというのに・・・母の心をナイフで切り刻んでしまった。

「今のこの状況は・・・お父さんとお母さんの責任だよ。お父さんとお母さんが作った子供たちだよ。お父さんとお母さんが会話して、解決すればいい。妹の件も、弟の件も、結局、私が手助けすることになったけど、でも本来これは、お父さんとお母さんがすべきことだよ。確かに、留学した時、たくさん投資してもらったから、今はお返しする時期なんだと思ったけど、もうこれ以上はできないよ。私は自分のことで精一杯。治療も大変だし。いつ死ぬか分からないんだし、もうこれ以上、イヤ。」

はい、今日は(も)、酔っ払ってます。でも私、酔っ払ってる時は、全てのミッターが外れているので、本心を伝えやすいようです。ただそれによって、周囲の人を傷つけてしまうこともあるようです。気をつけないといけないですね。

でも、周囲の人は、私ほど、傷つきやすくはないみたい! だから気にしない、気にしない!

Tuesday, March 08, 2016

父と娘の会話(RE:息子=私の弟の肥満について)

父: 先日はご苦労様。[息子=私の弟]の肥満が止まらない。このままだと死ぬ恐れ。食生活を大幅変換可能か、自己規制可能か、それとも入院するか、本人に打診下さい。このままだと、五年先に[娘=私の妹]、[息子=私の弟]、二人、重傷で、家族共倒れの危険あり。今の内に、対策が必要。お金は用意します。生活、仕事、鬱病、肥満の悪循環を断ち切る処方箋は体力を強くして、自信をつけるしかないと思う、これはお父さんの経験と知恵です。

娘: 私も(弟の肥満が)心配になりました。[弟]と休みを合わせて肥満外来クリニックに連れて行きます。今後、病気になるかもしれないし、ならないかもしれない。なった場合は(運命なので)仕方ないと思いますが…家族なので見捨てるわけにはいきません。出来る限りのサポートはして行こうと思います。まずは自己管理。自分を管理出来ない人は他人を助けることも出来ないですから。

父: お前も病み上がり。先々のことも不安。しかしお父さんが元気である限り、支援します。有事の時は連絡方。

娘: 明日午前9時に自由が丘駅で待ち合わせし、肥満外来があるクリニックに連れて行きます。経口薬、運動、食事制限、メンタルケア等で治療してくれるそうです。[弟]も同意しました。診療の後、昼食を一緒にとった後、私は職場へ向かう予定です。

父: 有り難う。本人が、成人病の危険を認識して欲しい。未だ生きて人生を知って欲しい。苦労を掛けて申し訳ない。費用は請求して。重ねて感謝します。

娘: もっと早くアクションを起こせば良かったと、(こうなるまで放置していたことが)悔やまれます。これからはしっかりサポートしていきます。

Sunday, March 22, 2015

My Sister

妹は今月10日(火)に緊急入院しました。

当日、妹は、母と一緒に某つくば市の精神病院へ。外来のつもりで行ったんですが、そのまま入院となりました。事前に、病院の相談員さんへ、母からも私からも相談をしていて、「入院については家族一同合意しています」という話は伝わっていたので、納得の結果です。

母曰く、先生から、「お母さん、どう思いますか」と聞かれ、母は、「車の運転も心配ですし、ひとりで生活しているのも心配ですし・・・」と小さな声で返答したところ、先生が、「お母さん、どうしたいんですか!」と言われたとのこと。その後、先生は、「あなた(妹)の話を聞いていて、入院しての治療が必要だと思います」と、妹に向かって強い口調で言われたそうです。そして妹は、有無をいう間もなく、ナース数人に囲まれて、入院病棟へ。母はその後、相談員さんの話を聞いたそうですが、衝撃なことだったようであまり覚えていないそう。

さて私ですが、昨日から実家に帰省し、妹のアパートの処分についての手配をしていました。結果、来月中旬にアパートを出て、レンタルトランクルームに所有物を入れるということになりました。引越し業者の相見積もりをとったり、トランクルームのレンタル契約をしたり、電気・水道・ガスの利用停止手配をしたり・・・妹不在の中、両親はまったく動かず、それは少々手間のかかる仕事でしたが、私が主導権を取って、全て完了しましたので、結果オーライということで。

今後も、この調子で、私主導で、物事を進めて行きたいと思いますし、それに対して両親がOKだということがわかりましたので、もう迷いはありません。ただ進みのみです。ひとつずつ。

ただね、妹のアパートに入ったら、泣けてしまいました。 

冷蔵庫も洗濯機もテレビもなく(全部、元旦那に持っていかせたんだって)。そんな殺風景な空間に、ダンボールがあちこちに転がり、「思い出」「重要」「書類」「確定申告」等とラベル分けされたジップロックが転がっていて。そして、走り書きのようなものがあちこちにあり、その全てが、「〇〇はいつまでに支払」「〇〇円−△△円=□□円」というものでした。

2Kの部屋のあちこちに、私と一緒に撮った写真が飾られていて。ニューヨークに1ヶ月遊びにきた時に撮った写真やら、私が帰国した時に行ったハワイ旅行の写真やら、先日帰省した際にとった写真やら・・・

こんなに想ってもらっていたのに、そして妹が昨年末から、色々な形でSOSを出していたというのに、全く気がつかず、いや、気がついていても対応するのがこんなにも遅れてしまったことが、今になって悔やまれます。どんな思いで、日々、あの空間にいたのかと思うと、本当に不憫で、今まで何もできなかったことが申し訳なく、とても辛い想いでいっぱいです。

今やっと入院し、必要な治療が受けられるという状況になったのですから、妹にはとにかく、治療に専念してもらって、その他の心配事は忘れて。その他のことは、私たち家族(いや、私か?)で、なんとか処理したいと思っています。

Tuesday, March 17, 2015

Death of My Uncle

叔父が、3月7日(土)に亡くなりました。

享年67才でした。通夜は12日(木)、告別式は13日(金)に、無事、執り行うことができました。

父は、なかなか前に出ることが出来ず・・・

私が背中を押すと、ようやく、棺に近づき、叔父の顔に触れ、泣きながら「よくがんばった」と声をかけていました。花を手渡すと、その花を叔父の顔の近くに手向けていました。

火葬場でも、後方でモジモジしていたので、最後のお別れをしましょうと背中を押しました。棺が焼却炉へと入る前に、もう一度、顔を見る機会をもらえました。

拾骨の際も、後ろの方にいたので、前に出てくるように指示し、喪主、息子夫婦の次に、骨が拾えるようにしました。

父から私へ、箸が手渡され・・・何も言わずとも、想いは伝わります。血というのはとても濃いものですね。

語りたいことは多々あります。もしかしたら来週以降に書けるかもしれません。でも今は、これが出来る全てです。

Saturday, February 21, 2015

Package from My Sis.

妹から小包が届きました。

私がお世話になった方へのギフトがふたつ。

私へのギフトがふたつ。

手紙が入っていて・・・

読んだら、涙が止まりません。

私が何か悪いことをしたのかな。

なんで妹がこんなに壊れちゃうんだろう。

Sunday, February 15, 2015

Family Crisis

家族内に問題があり、1泊2日で帰省していました。

結論からいえば、家族全員で問題を共に認識し、解決のための道筋を見出し、それに向かって進んでいくことで合意することができました。

「なだめすかし」の話し合いでした。あの手この手をつかいました。「がん患者なの・・・」という反則ギリギリのカードも使いました。

私は、「モデレーター」としての役割を果たし、目指していたゴール(←家族にとってはここからが本当のスタート)にたどりつくことができたことに、疲れたけど、満足しています。

ここからが始まりです。一歩一歩確実に、胸に希望を持ち、焦らず、直近ゴール(=問題解決)に向けて、しっかり歩いて行かなくてはと思っています。

まだまだたくさんある家族の問題ですが、それは、ひとつふたつと着実に解決して行かなくてはと思っています。そしてその後には、家族全員が、「幸せだなぁ」と感じることができる境地に一瞬でもいいからたどり着きたい!と心の底から強く思っています。

長女ですもの、がんばります!

(左から)母、妹、父、尚子(犬)
妹は、1日1食というストイックなダイエットをして、ガリガリに痩せちゃって、シワシワになっちゃったよ(泣)でも、私と一緒に、夕食も朝食もしっかり食べてくれたから、ちょっと安堵。

妹が編んでくれたマフラーは、長さが足りないため、リラ用にしましたよ。

Saturday, March 22, 2014

Lunch with My Sister and Brother

昨日は、妹と弟と久しぶりに、磯丸水産@川崎でランチをしました。

今週はずっと体調が悪く、それだけじゃなく精神不安定で涙腺も弱かったので、ちょっと不安はありましたが、結論からいうと、会ってよかった! 気楽なよい時間を過ごすことができました。

今回(約2時間で)いただいたものは下記のとおりです。
(いやー、よく食べるし、飲むよなー!)

まぐろ刺し身2種
ほほ肉の炒め玉子焼き
つぶ貝チャンジャ
ちくわ磯辺揚げ
ポテトサラダ
大盛りポテトフライ
手羽先塩焼き
韓国風冷奴
えいひれ
蟹炒飯
つけ麺
ビール9杯
ウーロンハイ4杯

いい感じで酔っ払ったとことで、弟から、「叔父は、出血が止まらなくなって、再入院した」という話がでたので、軽く質門してみました。

私:「お父さん、叔父さんの病気のことを聞いて以来、ずっと落ち込んでいるでしょう。叔父さんの『病気のことを告白する』という選択は正しかったと思う?」

弟:「おとんの性格からいったら、ずっと知らなくて、ギリギリで知らされたら、『何も出来なかった』とものすごく悔いが残ると思う」

私:「でもお父さんは、知ったことによって、毎日つらいでしょう。知ったところでお父さんはどうしようもできないんだから、知らないほうが良かったんじゃない?」

妹:「小さい頃にお兄ちゃんが亡くなって、ふたりっきりの兄弟で、なおかつ、お父さんはおじちゃんを大学に行くための経済的なサポートもして父親みたいな役割もしょってるから、おじちゃんはそういう歴史と、お父さんの性格をよくわかっていて、『告白する』という選択をしたんだと思う」

私:「じゃ、例えばだけど、わたしが病気になって、手術をしますってなったときね、わたしはたぶん家族の誰にも言わないと思うの。言ったところで、みんなに何かができるわけじゃないし、みんなに心配をかけるだけだから・・・それについてはどう思う?」

弟:「俺は、おばあちゃんの病気のこと、おとんのかわりに先生に聞きにいったんだけど、あれはつらかった。レントゲン写真の上のほうに、S4って赤で書いてあって、先生に『長くて4〜6ヶ月』って言われて、頭が真っ白になった。でも、おとんのかわりに聞かなくちゃと思って、『それよりみじかくなることもありますか』って聞いたら、先生は、『ある』って・・・あれはしんどかった。結局、2ヶ月だったし」

妹:「本人の気持ちが一番尊重されるべきだと思う。まわりはそれを受け入れるべきだと思う」

さんざん食べて飲んで、お店を出たら15時。妹は2時間かけて帰らなくちゃならないので、ちょっと酔いを覚まそうと思い、「ね! カラオケにいかない?」と提案すると、ふたりとも「いく!」と即答。3人でカラオケに行くのは初めてです。いつもはだいたい年末年始に帰省したとき、父や母や、たまに叔父や叔母が一緒だったのでね。

うちの妹、弟は歌がうまい! ふたりともキーをいじらないで原曲のまま歌うんですよ。わたしはウル覚えながら、今流行りのディズニーの「Let It Go」を1曲歌いました。歌い終わったら完全に喉がつぶれてしまって、あとはずっとふたりの歌を聞いていました。歌には性格がでますね。特に、弟が歌ったやしきたかじんの「ICHIZU」にはしびれた。のびやかで癖のない声、とても丁寧に歌っていて耳に心地よい。「あんた、NHKののど自慢でなよ! 絶対優勝できるよ!」ってわたしがいうと、妹が、「ほらあの、携帯電話のセールスだった外人、オペラ歌手になった人! あんな風になっちゃいなよ!」と後押し。妹が歌った華原朋美の「I'm proud」も素晴らしかった。声量はすごいし、なにより一生懸命に歌うその姿に心打たれて、思わず泣いちゃいました。ふたりとも、今はいろいろあるけど、やっぱり「いい子」なんだなぁと思いました。ただ、「いい子」が生きていくにはちょっと厳しいこの世の中ですから、同じように「いい子」が集まるコミュニティーを見つけて、生きていければいいなぁと思いました。

余談ですが、妹に薦められ、人生初・えいひれを食べたのですが、あまりにも硬くて、奥歯のかぶせもの(セラミック! 高いの!)がとれてしまいました。具合が悪い上、歯もとれて、軽く凹みましたよ(苦笑)不幸中の幸いは、かぶせものを飲み込むことなく、吐きだすことができましたので、連休が終わったら、歯医者さんへ駆け込みたいと思っています。

妹、華原朋美の「I'm proud」を熱唱中。


弟はわたしに気をつかって、わたしの元彼のよく歌っていた大江千里の歌を歌ってます。

Sunday, January 05, 2014

Brain Tumor - Part 5

年始に実家へ帰省し、おせちを食べてる際に、父がさらっと言いました。

「12〜14ヶ月」

叔父の脳腫瘍(悪性)はステージ4。10数時間におよぶ手術でいくつもの腫瘍をとったようですが、取りきれなかったものもあり・・・

年末にもらった父からのメールの意味がわかりました。

「先日のK(父の弟=わたしの叔父)の見舞い、ご苦労様。完全回復を願い、以降の限られた時間を濃密に丁寧に過ごしてほしいと思っています。有難う。」

叔父のお見舞いへ行ったとき、叔父は、「家に帰りたい」と言っていました。病院だと好きなことができないと。

叔父は65歳。男性の平均寿命とくらべても、まだずいぶん若いですから、放射線治療を受けているとはいえ、がんの進行ははやいと思います。

心配というか、限られた時間の中でいろいろ話したいとは思いますが、勝手にお見舞いに行ったりすることは控えています。父の指示を仰ぎたいと思っていますので。

奇跡が起こることを願っています。と同時に、叔父とのミス・コミュニケーションがまだあるとすれば、それをリセットしたい。そして、これから先、父をしっかり支えたいと思っています。

Wednesday, December 25, 2013

Christmas Day


  石川・菅野組【ルンバ】

クリスマスは特別な日。

神様は、愛する御子、イエス・キリストを、わたしたちの罪をあがなうためにこの世に送ってくださった。息子、イエス・キリストは、わたしたちの罪をあがなうために、(父の願いどおり)その命を捧げてくださった。

愛とはなにかを、教えてくださった神様と、その息子、イエス・キリストに、感謝。

わたしに命を授けてくれた両親に感謝。今まで出会った人々全てに感謝。わたしが生きてこれたのは、出会った全ての方々のおかげだと思っています。ありがとうございます。

先日、叔父のお見舞いに行ったとき、なんというか、神様の大きな愛みたいなものを、ぐわーって感じた。今年はルカを読まなかったけど、でも、もうそれでね、いいよね。

いつもそばで支えてくれるBFに、心から感謝しています。愛しています。

Monday, December 23, 2013

Brain Tumor - Part 4



Ave Maria Caccini

 12月1日、父からメールがきた。

「(父の)体調は回復した。安心方、K(父の弟=わたしの叔父)も順調に快方中。今月中にお前とお母さんに、Kの見舞いをお願いしたい。見舞い品は不用。二回目の見舞金を当方で用意。」

わたしはすぐに返信した。

「(お父さんの)体調回復してよかったです。K叔父さんのお見舞いの件、了解です。お母さんと日程調整します。」

そして一昨日、また父からメール。

「Kの見舞いの件は如何、Mさん(K叔父さんの奥さん=わたしの叔母)の都合もあるので事前に折衛方。」

すぐに返信。母とメールをしあって、23日(月)にしようという話をしていると伝えた。

そして今日、母と相模大野駅で待ち合わせして、北里大学病院へ行ってきた。

この病院、叔父は、二度目の入院。実は、今から約10年前、強迫性障害で、約6ヶ月入院したことがある。当時の叔父はまだサラリーマン現役の54歳。突然の発症で、家族、親族全員がどうしたらいいものやらと心配した記憶がある。この病院にお世話になるきっかけは、NYC在住時代にお世話になったF先生のアドバイスのおかげ。(先生、当時はお世話になりました。ありがとうございます)

叔父は、10月24日に入院。そしてすぐに手術。術後は放射線治療を受けて今に至る。今日はどんな調子なのか、まったく情報が(父から)なかったため、とても不安だった。もし、ベッドから起きれなかったら、もし髪の毛が抜け落ちていたら、もしやせ細っていたら・・・たくさんの「もし」が頭の中で渦巻いていた。

受付で面会手続きをして叔父の病室のある階へ。ナースセンターで叔父の名前を告げると、廊下の一番奥の病室とのこと。いくつかの個室の前を通り病室へ向かう。開いているドアからは人工呼吸器がつけられた方の姿が見えて、不安が大きくなる。

病室は大部屋で、それぞれのベッドはカーテンで仕切られていて、そのほとんどが閉まっていた。唯一開いているカーテンがひとつ。そこが叔父のベッドだった。

「こんにちは!」

わたしと母が声をかけると、叔父は、シャワーを浴びたばかりだったらしく、ドライヤーで髪の毛を乾かしている最中。

髪の毛は、抜け落ちていなかった。元気だったころ同様、ふさふさのキレイな白髪(白と黒の霜降り)だった。やせ細ってもいなかった。顔色は、ちょっと黒っぽくなった気がしたけど、肌ツヤはよく、目力もあり、安心。

しばらくベッド脇で話していたけど、ソファーのある広場へ行こうということで、叔父はパジャマの上にフリースを羽織り、ふさふさの髪の毛の上に毛糸の帽子をかぶった。

自動販売機でお茶を買って、4人でたわいのない話をした。叔父はちょっとした冗談を言った後、「綾子のキツイ目線が怖いからなぁ」とポツリ。たぶん9月に会った時、先祖のお墓を八王子に移した時のことを言ったんだと思う。わたしは特に何も言わなかった。ただ、あの時のわたしと、今日のわたしの気持ちは違うと、きっと分かってくれるだろうと思いつつ、笑った。

しばらくすると、とりとめのない会話が途切れ、居心地の悪い沈黙が。すかさず叔母が、「あやちゃん、新しい大使、ほら、なんだっけ・・・」と。予期せぬタイミングだったけど、まあいいか。「あ、わたし、大使館、辞めたんですよ。1年半前に」と告白。叔父、叔母、そして母も唖然。みんな、ちょっとガッカリしていたようだったが、経緯も、現状も説明したし、「わたしは今、幸せです」というメッセージは伝わったと思う。

17時になると、コーラス隊(お医者様たち+ナースの皆様たち)が、クリスマスの格好をして、現れた。どうやら、月に1度のミニコンサートの日だったよう。この日を待ちわびていた方々がたくさん、病室からやってきた。自力で歩ける方、車いすに乗った方、点滴中の方、頭に包帯を巻いた方、左右のどちらかに麻痺がある方・・・コーラス隊は、賛美歌、クリスマス・ソング、日本の歌謡曲(美空ひばりの川の流れのように他)などを歌ってくださった。

コーラス隊が、カッチーニのアヴェ・マリアを歌って下さった時、わたしの涙腺はマックスで開いてしまった。世間は、(クリスチャンでもないくせに!)「クリスマスだから騒ごうぜー!」と浮かれている。目の前に広がる情景とそれを比較して、ものすごく大きな、怒りに近い思いが湧いてきた。来年のこのクリスマス時期、叔父や、今ここにいる患者さんたちは皆、どうしているんだろう。元気でいるだろうか。生きているんだろうか。そう思ったら、苦しくなった。この曲の後、涙を拭きながら、自分たちの病室に戻っていった患者さんたちも数人いた。わたしは両手で涙を拭き続けたけど、いくつかの涙は首までつたってしまった。

「すごいー! うまいー!」

コンサート終了後、わたしは全力でアホっぽい明るさを演出した。でもきっと叔父は、わたしの考えたこと、思ったこと、全部、お見通しだったと思う。叔父は、人生の先輩だし、父(叔父の兄)の娘ですからね。血がつながっていますからね。

帰り際、母が叔父に、お見舞金を渡した。叔父も叔母も、「前回、もらったから・・・」と言って受け取るのを躊躇していたけど、「わたしたち、宅急便みたいなものなんですよ。父がもってけっていうから」とわたしが言うと、叔父はメガネの下で、泣いていた。

母とは、相模大野の和食屋さんで夕食を共にし、ロマンスカーに乗せて、別れた。

往復4時間かけて、たった1時間のお見舞いに来る母、弟を深く愛する父の思い、気遣い。そんな両親に対して、何もできない自分の不甲斐なさが本当に申し訳ない。いつも自分、自分、自分・・・そんな自分が恥ずかしい。

わたしが元気でなくては、回りを幸せにできないとは思うけど、今日みた光景はあまりにもショックで・・・どう折り合いをつければいいのか、今はまったく分からない。