Tuesday, May 31, 2016

To My Beloved

あなたがこの世を去ってからもう15年です。15年前の今日、朝5時半くらいにあなたがこの世を去って、その15時間後くらいに、あなたがこの世を去ったことを知りました。

振り返れば、47年の人生、ローラーコースターのようでしたが、私は元気です。健康に不安があったり、現状に不満があったりはしますが、そこそこ幸せです。あなたに会う日はまだ遠いと感じていますので、迎えにはまだこないでね。

あなたと別れた後、もう二度と誰も愛せないと思ったけど、そんなことはなかったです。あなたを失ったことで、愛が枯れてしまえばいいと思ったし、もう二度と誰も愛さないと誓ったんだけど、愛が枯れることはなかったです。愛は自然と溢れて、注ぐ対象を求めてました。

今は、あなたと一緒にいた時間よりずっと長い時間を過ごしている人と寄り添って歩いています。不思議でしょう。長続きしない私が長い時間一緒にいる人がいるってこと。

いつまで一緒にいられるのかしら?って不安に思うことはありません。だって、私はもう分かってしまったんですから。あなたが教えてくれたんですから。ある日、別れがくるって。だから、できることは、その日まで、無邪気に、思いっきり、一緒にいる時間を大切にするだけです。

I love you - my first love.
I love you - my last love.

Bad Patient

私は「悪い患者」だと思う。なぜなら、本当のことを言わないから。

いやいやいや、これくらいのことならね、別に生死をさまようってことでもないし、想定内のことなんじゃないかって思うし、だったらあえて言う必要ないでしょって思うし、そんなに騒ぎたてることでもないような気もするでしょ、それにいちいち報告すると、面倒くさい患者だと思われちゃうんじゃないかなって思うし、薬はきいてないみたい、いや、きいてないけど、症状は軽くなった、ような気がするし、まぁ我慢できない範囲じゃないし、我慢すればいいし、我慢できるし。

私、この1年間、軽く5〜6回、風邪ひいてます。そして毎回、長引いています。症状はいつも同じで、熱なし、激しい咳、喉痛、痰で、最短で2週間、最長で1ヶ月続くという。

で、毎回、病院へ行くんですよ。でも、薬って、3日間分くらいしか出ないんです。で、毎回、その処方された薬を飲みきっても、治らないわけです。

じゃ、もう一回、行けばいいじゃないですか!ということなんだろうけど、そこが私の「悪い患者」ならでは!なところで、行かないんです。

先生に非はないの!治らない自分が悪いの!と思っちゃうというか、「ちょっとぉ、治んないんだけどっ!」みたいな感じで、病院に乗り込むクレーマー患者になりたくないというか・・・そんなわけで、毎回、行きません。ある意味、泣き寝入りですよね、これって。

でも今回、勇気を振り絞って、クレーマーになる覚悟を決めて行ってきました。

先生、驚いてました。「え? 毎回、咳がずっと止まらなかったの? え? 2週間? 3週間?」だいたいいつも、風邪をひくと、3週間くらい咳が止まりませんでしたって、今更ながら伝えました。そしたら先生、「検査する? レントゲンとか、血液検査とか?」っていうので、それはちょっとハードルが高すぎるっていうか、今回は様子みましょうよ!っていう気分だったので、検査はなしにしてもらいました。

でも、先生曰く、咳の様子が、どうやら喘息に似てるってことで、喘息の子供に処方するっていう、気管支拡張テープ(ホクナリンテープ)を出していただきました。「あまり効きすぎて、動悸がしたり、手足がしびれたりしたら、テープを半分に切って貼っていいからね」って。

先生、それってODですよねぇ・・・自分でOD見極めるの・・・まじか。

で、先ほど、抗生物質と、咳止めと、痰をきる薬を飲んで、気管支拡張テープを装着! 何か変化が?と思ったけど、そんな大きな変化はないようです。ただ、気のせいか、呼吸がしやすくなったような。いや、そんな気がするだけかもしれない。いや、わからん。でも、何か喉元、目元、痒かったところがスッキリしたような気がします。

これで症状が緩和されたからって、これで終わり!はだめですよね。この後、効き目についてとか、報告に多分行ったほうがいいんですよね。もしかしたら、風邪じゃなく、喘息かもしれないわけですし。

クレーマーじゃなく、「良い患者」になりたいと思います。

Monday, May 30, 2016

Sliding Doors and Right Path

Sliding Doors
もし私たちがもっと鈍感だったら
もし彼らが車両の端の席の前に立っていなければ
もし私たちが7号車に乗っていたら
もし彼らがもっと敏感だったら
もし私たちが車両の端の席に座っていなければ
もし彼らがもう少し図々しくなかったら
もし私たちが4番線発の電車に乗っていたら
もし私たちが車両の中央の席に座っていたら
もし彼らが7号車に乗っていたら
もし私たちがもっと図々しかったら
もし彼らが車両の中央の席の前に立っていたら
もし彼らが4番線発の電車に乗っていたら
もし周囲の人たちがもっと敏感だったら

Right Path
今朝、私たちは、足を怪我している女性に席を譲った。

本当は譲りたくなかった。何故いつも私たちなの? 他の人が譲ればいいのに。たまには楽してもいいじゃない。意地悪な気持ちも湧いてきた。

私は、大好きな彼の横に座っていたかった。短い間だけど、手を繋いでいたかった。私の大好きな彼も、同様に思っていてくれたんじゃないかなと思う。

それに・・・もしかしたら、彼女は、何度よろめいても、立ったまま、彼にしがみついていたかったかもしれない。彼は、何度もよろめく彼女を、男らしく支えたかったかもしれない。何なの、私がしたことは、余計なお世話だったの?

席を譲らないという選択肢もあったというのに、私はそれを選ばなかった。なぜなら、それは、私が信じる「正しい道」ではないから。

映画「Scent of Woman」の中で、アル・パチーノが演じたRetired Lieutenant Colonel Frank Sladeのセリフを思い出した。

“I always knew what the right path was. Without exception, I knew, but I never took it. You know why? It was too damn hard. Now here's Charlie. He's come to the crossroads. He has chosen a path. It's the right path. It's a path made of principle that leads to character. Let him continue on his journey. You hold this boy's future in your hands, committee. It's a valuable future. Believe me. Don't destroy it. Protect it. Embrace it. It's gonna make you proud one day, I promise you."

「ありがとうございました」 電車を降りる私たちに、彼女が言った。忘れそうになっていた私たちの傘を手渡してくれようとしていた。

私は、これからも、どんな時でも、私が信じる「正しい道」を選ぼうと思う。例えそれが、たくさんのクエスチョンを残す結果になったとしても。

Thursday, May 05, 2016

Toxic Parents

母から電話がきた。

「明日、会社のお客様のお葬式が入っちゃったの。だから、午前中は駅まで迎えにいけるんだけど、帰るときに駅まで送っていくのは午後8時すぎになっちゃうんだけど、大丈夫?」

「そんな忙しい思いしてまで送迎してくれなくていいよ。ぶっちゃけ、私だってかなり無理して帰省しようとしてるんだよ。別の日、また別の週末に帰省するからさ。」

これから、次々と、溜まったものが出てきてしまった。母の日が近いというのに・・・母の心をナイフで切り刻んでしまった。

「今のこの状況は・・・お父さんとお母さんの責任だよ。お父さんとお母さんが作った子供たちだよ。お父さんとお母さんが会話して、解決すればいい。妹の件も、弟の件も、結局、私が手助けすることになったけど、でも本来これは、お父さんとお母さんがすべきことだよ。確かに、留学した時、たくさん投資してもらったから、今はお返しする時期なんだと思ったけど、もうこれ以上はできないよ。私は自分のことで精一杯。治療も大変だし。いつ死ぬか分からないんだし、もうこれ以上、イヤ。」

はい、今日は(も)、酔っ払ってます。でも私、酔っ払ってる時は、全てのミッターが外れているので、本心を伝えやすいようです。ただそれによって、周囲の人を傷つけてしまうこともあるようです。気をつけないといけないですね。

でも、周囲の人は、私ほど、傷つきやすくはないみたい! だから気にしない、気にしない!

Wednesday, May 04, 2016

BFF

離れているときに、感じるこの感覚。
カラダの一部が欠けてる感じ。
「I miss you」じゃ足りない。

あなたは私の大切な人です。
これからもずっと一緒にいたい。

神様にお願いします。
どうぞ私たちをずっと一緒に。

Please let us be together forever.
You're my BFF.



Sunday, May 01, 2016

Two Year Anniversary

2年前の今日、聖路加国際病院で右乳房全摘出手術を受けました。
(詳しくは、こちらで⇒ Breast Cancer 15

2年前の今日は、目の前のことだけしか見えず、2年後のことなんて考えられませんでした。

乳がんの手術を受ける前は、手術が一番大変だと思っていました。でもそれよりも、術後の再発予防の「治療」のほうが大変でした。

何度もやさぐれ、「治療」をやめる!と宣言し、優しいBFを困らせました。でもなんとかふんばり、2月19日に最後の「抗癌剤(=リュープリン注射=女性ホルモンを止める薬)」を終えました。3ヶ月溶剤なので、効き目は5月下旬くらいまでですかね。それ以降は徐々に、女性ホルモンが出てくる予定です。婦人科の先生いわく、私の年令だと生理も戻ってくるはずだそう。1年くらいまで気長に様子をみてくださいとのこと。

愛するBFに支えられ、今日までなんとかやってこられました。当初は本当に、未来に対して悲観的でしたが、今は、明日、来週、数ヶ月先のことも考えたりできるようになりました。

病院通いも、2年前は頻度がむちゃくちゃ高かったんですが、今は、乳腺科も婦人科も4ヶ月おきでよいとのこと。

前回の診察では、乳がんの再発もなく、子宮体がん、子宮頸がんもなく、ほっとしました。心配しても仕方ないですから、今は、与えられているこの人生を思いっきり生きる! 楽しむ! 

大好きなBFに、ありがとう。出会ってから今日まで、特にこの2年間、愛を注ぎ続けてくれて、励ましてくれて、支えてくれて、ありがとう。心から感謝しています。