Sunday, September 22, 2019

安息日

日曜日です。安息日です。でも今夜は夜勤ですけどね(笑)

海外出張中のBFから美味しそうなバーガーの写真と、そのバーガー店で働く人たちのキビキビした動きの動画と、ドリンクカップに印刷されているそのバーガー店(家族経営)のモットーの写真が届きました。

何が素晴らしいかって、もちろんバーガーです。そのシンプルさ。シングルとダブルしかないそうです。あとはチーズを入れるか入れないか、野菜を好みに応じて足しり引いたりするだけだそうです。裏メニューは「レタスラップ」で、バンズのかわりにレタスを使うそう。健康おたくが多い、カリフォルニアらしい、ヘルシーな発想です。家族経営で、方針がぶれません。信じているお肉屋さんから仕入れているので、店舗は広げません。モットーも宗教的(クリスチャン)。私(クリスチャン)からしたら素敵だと思うけど、他の宗教の人が見たら大丈夫かな? 気にしないで美味しいバーガーを楽しんでもらえればいいな。

IN-N-OUTさんです。私はカリ・ガール(カリフォルニア・ガール)じゃないので、一度も食べたことがないんです。食べたい。



こちらがバーガーとポテト。ポテトは生を短冊切りして揚げているそう。



ドリンクカップの下にこっそり聖書の聖句が印刷されてます。ヨハネ 3:16とヨハネの黙示録3:20が書いてあったそう。



ちなみにこちらがその聖句。

ヨハネ 3:16

「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」




ヨハネの黙示録3:20

「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている、だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」

ありがとう

2017年11月末のドイツ旅行後、12月中旬に衝動的に仕事を辞めて、翌2018年1月から介護職につきました。

これからやりたいことをやって生きていこうと思っていた矢先の2月、肺への転移が見つかり、絶望しました。

それでも仕事は続けたけど、夜勤拘束18時間が何度もある仕事は肉体的にきつくて、月に何人もの人が亡くなっていくことが日常になっていくことが精神的につらくて、6月に退職しました。

そして今の職場に転職したわけですが、精神的には楽になったのですが、夜勤が月に8〜9回もあり、想像より肉体的にしんどくて、転職活動をしながら働いていたのですが、なかなか良いご縁がなく、1年がすぎました。

このままここで定年まで働くのかなぁと思っていたところ、部署のナンバー2に「募集が出ている管理職ポジションに応募してみないか」と声をかけられ、お世辞で言ってるんだろうと軽く笑って流しましたが、2度も声をかけられ、こりゃ無視できないなと思い、応募したところ、出来レースのように決まってしまいました。

晴れて、9月1日付でスーパーバイザー職についたのですが、人手が足りなくて、来月からは夜勤はなくなるそうですが、今月はまだあります(笑)制服も変わり(かっこいいジャケット着てます!)、気分も変わり、約3週間後の先日、エグゼクティブオフィス(総支配人、ホテルマネージャー、執行役員がいるオフィス)の秘書のポジションの公募があり、なんと総支配人の秘書の方から声をかけられ、応募してみないかと。

一昨日、総支配人(#1)の秘書の方と会い、お話を伺いました。ホテルマネージャー(#2)の秘書業務兼エグゼクティブオフィスのアシスタント的な業務を行う役職だそうです。今のポジションよりも上なのは間違いないのですが、昇進させてもらったばかりの今、ちょっと微妙なタイミングです。でもホテル内で一番上に君臨する部署ですし、興味はあります。守秘義務、VIP対応、スピード、コミュニケーション能力が問われるとのこと。まさに私にピッタリな職場じゃないですか!

「週末考えてみて!」と言われ、悩みまして、(海外出張中の)BFに相談したところ、とりあえず立候補してみてもいいんじゃないかという結論に至りました。他にも候補者はおいるだろうし、応募したところで今の仕事を失うわけじゃないし。

というわけで、本日は夜勤ですので、書類を整理して、応募してみようと思います。

この1年間、経済的にはとてもきつかった。給料が半分くらいに下がったので。生活レベルを下げることはそんなにつらくなかったけど、税金やら何やらがしんどくて。副業(メルカリ)を頑張ったり、でもそれでも足りなくて安いアパートに引っ越そうかと考えていたら、BFに「そこは待て!」と言われ、彼には精神的にだけじゃなく、経済的にも助けてもらいながらここまで来ました。

病気のことがあって、もう未来に夢を描いたりできないのかなと思ってたけど、家族や友達の祈りが聞いたのでしょう、検査のたびに結果はよくなってきていて、もしかしたら長生きできちゃうのかなって思い始めてきたら、仕事のほうも上向きで、念願のイタリア旅行もできて、夢だったステージで歌うことも叶って、ダンスもようやくノービス卒業でここからが本番ってとこにこれて、いいことばかりで本当に幸せで怖いくらいです。

いつも支えてくれているBF、家族や友達、同僚のみんなありがとう。これからはすべてが良くなっていきそうよ。

Tuesday, September 17, 2019

RIP Dr. Yagata


矢形寛 医師 「決して奢らない」

わたしの元主治医・執刀医である矢形寛先生がガンで亡くなったというニュースを聞いて、現在は(肺に)転移したため主治医は腫瘍内科医O先生になったけど、告知から手術・術後の治療まですべてお世話になった先生だから、すごくショックでした。

私「先生がガン(で亡くなった)だなんてひどいよ!」
BF「Life is not fair! でも来世では患者さんたちの天使に守られて暮らせると思います」

そうだよね。

きっともう今頃は、天国で、先生にお世話になった方々(=亡くなった患者さんたちや彼らを支えた家族で亡くなった方々など)に囲まれて、ハグの嵐だと思います。それに、来世は、先生が望めばまたガンと戦う人生を選べると思うけど、先生にお世話になった方々が、「先生、もう十分ガンと戦ったじゃないですか!次の人生はもっとゆっくりしてくださいよ」って言って、ガンとは無縁の人生を選ぶかもしれません。

ガンになんてなりたくなかったし、わたしの胸はとても美しかったから、右胸全摘とかホントに悲しくて、がっかりなんだけど・・でもそれでも、矢形先生に切ってもらってよかった。先生に治療をしてもらってよかった。来世でもまた先生に出会いたいけど、ガン患者で会うのはイヤだな。来世はお互い健康体で、精神的に私が先生を癒やすことができたらいいな。現世では先生に助けてもらったから、来世ではお返しがしたいの。

初めての大病で不安だったけど、いつも同じテンションでブレない矢形先生が主治医でよかった。何度もお会いして、たくさん質問して、たくさん答えをもらって、すべてのやりとりの瞬間を頭の中に記録して、そのいくつかをブログに残しました。

信頼して身体を預ける。それは初めての経験でした。わたしの性格ではなかなかできることではなかったな。でも矢形先生を信じて、すべてを委ねて・・・その経験があったから、わたしは今、他人に対して、物事に対して、力を抜いて接することができる、どうにもならない状況では、諦めて手放すことができる、そういうふうになれたんだと思います。

手術当日の様子を振り返りました→ Breast Cancer 15

矢形先生、ありがとうございました。助けてもらった命ですもの、これからも大切に生きていきます。もっと楽しく、もっと幸せに。そして先生のように、もっと人のために尽くしていきたい。次に会える日まで、ごきげんよう。お会いしたら、また、変な夢の話をしますね。