Thursday, May 08, 2014

Breast Cancer 15

5月1日(木)
「手術」

午前0時
(就寝中)絶食スタート

午前3時半
(起床)前夜午後9時半くらいに寝たせいか、午前3時半には目が覚めてしまいました。(これ以降しばらく、この就寝・起床パターンが続いています) 日の出が早くなったとはいえ、外はまだ真っ暗。 テレビをつけると、全ての局がショッピングチャンネル状態。 

午前5時
「アルジネードウォーター」を2本飲みました。

午前5時半
シャワーを浴びました。 手術後は、カラダのあちこちに「管」が入るらしく、それが抜けるまではシャワーを浴びれないとのことだったので、いつもより丁寧に洗いました。 なんだか「儀式」みたいな感じ。

午前6時
看護師さんが検温と尿量のチェックにやってきました。

午前6時半
絶水スタート

午前7時〜7時半
BFがきてくれました。 顔をみた瞬間、なぜだか分からないけど、ちょっと泣きそうになってしまいました。 というタイミングで、母親から電話があり、一言、二言、話したら、「これから成田を飛び立ちます、異国の地での生活が待っています、がんばります」みたいな気持ちになって、これまたちょっと泣きそうになってしまいました。 電話を切って、BFの顔を再び見ると、涙がポロリ。 不安じゃないのに、怖くないのに、気持ちとはうらはらに涙が出てきちゃうなんて・・・不思議な感覚。

看護師さんが持ってきてくれた手術着(ローブ+紙ショーツ+弾性ストッキング)に着替えました。 ピンクのローブ、白の紙ショーツ、白のストッキング(ニーハイ)という組み合わせは、ちょっと色っぽい。 ローブの裾をヒラヒラさせて、ストッキングやショーツを見せるという遊びをして、BFを困らせました。

執刀医Y先生が訪室してくださいました。 「どうだい? 眠れたかい?」 先生はいつもどおり、とても穏やかでやさしい口調。 すると先生は、油性マジックペンで、わたしの上半身に、サラサラと何やらかきはじめました。 どうやら、左右の乳房の位置のマーキングをしてくださったようです。 出来上がったものを鏡で見ると・・・今から「腹踊り」でもするような、なんとも面白い図になっていましたよ。

午前8時15分〜8時半
看護師さんが迎えにきてくれたので、看護師さん、手術着を着た私、私服のBFという御一行様で、手術室@2階へ向かいました。 手術室の待合室で、BFとはしばしのお別れです。 熱い抱擁、涙のキスなどあるかとおもいきや・・・かなりサラッとした感じで別れましたよ。 

手術室に足を踏み入れると、部屋の真中に手術台があって、その回りには機材が、所狭しと置かれていました。 医師・看護師(10名くらい)は全員女性で、えんじ色の手術着を着ていました。 

手術の同意書を再確認した後、手術台へ。 横になったわたしの左右に1人ずつ、頭のところに1人が立っていました。 小さなボリュームで、90年代の流行歌(シャ乱Q、T−BOLANなど)が流れていました(←いったい誰のチョイスなのでしょう?) 

わたしの右にたっている人が、血中酸素濃度計をわたしの右手につけ、頭のところにたっている人が、脳波測定器をわたしの額につけ、左にたっている人が、点滴用の針をわたしの左手の甲につけ、その後、右手と左手を軽く固定されました。 ここまでのひとつひとつの作業を、全部きちんと説明してからしてくださったので、わたしは不安を感じることなく、とてもリラックスしていました。

頭のところにたっている人が、酸素マスクを、わたしの鼻と口を覆うように、軽く被せました。「ゆっくり深呼吸してください」と言われ、そのとおりにゆっくり深呼吸をしました。 わたしは閉所恐怖症なので、マスクをギュッと被せられたらパニクってしまったと思いますが、顔とマスクの間に微妙な隙間を作ってくれていたので、落ち着いて深呼吸を繰り替えることができました。 

左にたっている人が、「麻酔を入れていきます。 ちょっと押されるような感じがしますよ」と言うのを聞き、いよいよだなと一瞬緊張し、わたしの右にたっている人の、わたしの右手を握ってくれているその手を、ぎゅっと握ったことが、手術前の最後の記憶です。
 
午前11時20分
「タニグチさん、終わりましたよ」という執刀医Y先生の声で目が覚めました。 「大丈夫ですか? 今、声はでませんよ」という先生に、「はい、大丈夫です」と答えようと思いましたが、先生のいうとおり声がでません。 と次の瞬間、先生が気管内チューブをスルッと抜いてくださって、声がでるようになりました。 あらためて問いかけてくださる先生。「大丈夫です。 夢を見ていました」と答えるわたしに、「何の夢をみていたんですか」と先生。 「築地でお寿司を食べている夢でした」とわたしがいうと、「そういう患者さん、多いんですよ(苦笑)」と先生。 後で思ったのですが、手術中に、築地でお寿司を食べる夢をみる患者さんなんて、皆無なのでは? 優しいY先生のことですから、会話を合わせてくださったんですね。 先生、ありがとうございます。

手術室のすぐ横にある回復室に移動して、10分〜20分過ごし、容態が安定していることを確認した後、ストレッチャーで病室へ。 

病室に到着した瞬間、心配そうなBFの顔がチラッと見えましたが、わたしの意識がとてもハッキリしていることと、あまりにも元気よくたくさん話していることに驚き、どうやら拍子抜けし、すぐに安心した様子でした。 (ご心配おかけしました。 Thank YOU! )

ストレッチャーからベッドへの移動の際、「わたし、重いよ。大丈夫?」と、2人の看護師さんに声をかけたんです。 すると看護師さんたちは、「大丈夫です!」と自信満々に答えたんですが・・・実際、大丈夫じゃなかったんです(苦笑) 結局、ナースコールで3人目の看護師さんを呼んで、3人がかりで移動させてもらいました。 ちょっと恥ずかしかったよ。 

午前12時
わたしのカラダには、たくさんの管が入っていました。 鼻には酸素チューブ、左手(甲)には点滴、摘出した右乳房(=エキスパンダーが入ったところ)の下にはドレーン、そして尿道カテーテル。 術後当日はベッド上で安静ということですが、こんなにたくさん管が入っているのですから、身動きがとれないので、安静にせざるを得ません。 

そうそう、病室に戻ってきてすぐ、手術が無事に終わった旨、わたしの母親と上司に、BFがメール代筆、送信してくれましたよ。 母も上司も安心したようでした。 Thank YOU!

午後1時半
酸素チューブが外れました。

午後3時半〜
術後4時間がたち、飲水オッケーとなりました。 当日午前6時半以降、何も飲んでいなかったので、喉はカラカラ。 ゴクゴクゴクゴク・・・と麦茶を飲みました。 とても美味しかった! 前日午後6時以降、何も食べていなかったので、お腹はペコペコでしたが、食事は翌日午前6時まで食べられません。←36時間ダイエットです。

術後、傷の痛みは、そんなに強くでませんでした。(一番痛かったのは、0〜10のスケールで、5くらい、術後当日の夜でした) それよりも、ずっと同じ姿勢で横になっていたので、硬い枕(そばがら)と接している後頭部、硬いベッドと接している背骨、尾てい骨、むくんでいる両足が痛かった! 「痛い、痛い」というわたしのために、枕を取って頭をさすってくれたり、腰を押してくれたり、足のマッサージをしてくれたり、手厚く介抱してくれたBFには、心から感謝です。 本当に助かりました。 Thank YOU!

さて、次回は、5月2日(金)「術後1日目」について書きますね。

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