Sunday, March 22, 2015

My Sister

妹は今月10日(火)に緊急入院しました。

当日、妹は、母と一緒に某つくば市の精神病院へ。外来のつもりで行ったんですが、そのまま入院となりました。事前に、病院の相談員さんへ、母からも私からも相談をしていて、「入院については家族一同合意しています」という話は伝わっていたので、納得の結果です。

母曰く、先生から、「お母さん、どう思いますか」と聞かれ、母は、「車の運転も心配ですし、ひとりで生活しているのも心配ですし・・・」と小さな声で返答したところ、先生が、「お母さん、どうしたいんですか!」と言われたとのこと。その後、先生は、「あなた(妹)の話を聞いていて、入院しての治療が必要だと思います」と、妹に向かって強い口調で言われたそうです。そして妹は、有無をいう間もなく、ナース数人に囲まれて、入院病棟へ。母はその後、相談員さんの話を聞いたそうですが、衝撃なことだったようであまり覚えていないそう。

さて私ですが、昨日から実家に帰省し、妹のアパートの処分についての手配をしていました。結果、来月中旬にアパートを出て、レンタルトランクルームに所有物を入れるということになりました。引越し業者の相見積もりをとったり、トランクルームのレンタル契約をしたり、電気・水道・ガスの利用停止手配をしたり・・・妹不在の中、両親はまったく動かず、それは少々手間のかかる仕事でしたが、私が主導権を取って、全て完了しましたので、結果オーライということで。

今後も、この調子で、私主導で、物事を進めて行きたいと思いますし、それに対して両親がOKだということがわかりましたので、もう迷いはありません。ただ進みのみです。ひとつずつ。

ただね、妹のアパートに入ったら、泣けてしまいました。 

冷蔵庫も洗濯機もテレビもなく(全部、元旦那に持っていかせたんだって)。そんな殺風景な空間に、ダンボールがあちこちに転がり、「思い出」「重要」「書類」「確定申告」等とラベル分けされたジップロックが転がっていて。そして、走り書きのようなものがあちこちにあり、その全てが、「〇〇はいつまでに支払」「〇〇円−△△円=□□円」というものでした。

2Kの部屋のあちこちに、私と一緒に撮った写真が飾られていて。ニューヨークに1ヶ月遊びにきた時に撮った写真やら、私が帰国した時に行ったハワイ旅行の写真やら、先日帰省した際にとった写真やら・・・

こんなに想ってもらっていたのに、そして妹が昨年末から、色々な形でSOSを出していたというのに、全く気がつかず、いや、気がついていても対応するのがこんなにも遅れてしまったことが、今になって悔やまれます。どんな思いで、日々、あの空間にいたのかと思うと、本当に不憫で、今まで何もできなかったことが申し訳なく、とても辛い想いでいっぱいです。

今やっと入院し、必要な治療が受けられるという状況になったのですから、妹にはとにかく、治療に専念してもらって、その他の心配事は忘れて。その他のことは、私たち家族(いや、私か?)で、なんとか処理したいと思っています。

Tuesday, March 17, 2015

Death of My Uncle

叔父が、3月7日(土)に亡くなりました。

享年67才でした。通夜は12日(木)、告別式は13日(金)に、無事、執り行うことができました。

父は、なかなか前に出ることが出来ず・・・

私が背中を押すと、ようやく、棺に近づき、叔父の顔に触れ、泣きながら「よくがんばった」と声をかけていました。花を手渡すと、その花を叔父の顔の近くに手向けていました。

火葬場でも、後方でモジモジしていたので、最後のお別れをしましょうと背中を押しました。棺が焼却炉へと入る前に、もう一度、顔を見る機会をもらえました。

拾骨の際も、後ろの方にいたので、前に出てくるように指示し、喪主、息子夫婦の次に、骨が拾えるようにしました。

父から私へ、箸が手渡され・・・何も言わずとも、想いは伝わります。血というのはとても濃いものですね。

語りたいことは多々あります。もしかしたら来週以降に書けるかもしれません。でも今は、これが出来る全てです。