Sunday, April 30, 2006

お天気にまつわる思い出

春のお天気はきまぐれだったいうけど、
最近は晴れの日と雨や曇りの日が交互にあって、
気分もアップ&ダウンしています。
低気圧が近づくと赤ちゃんはアドレナリンが出て、
イライラするらしい。
大人になるとそれを抑制することができるらしいけど、
私はその辺がうまくいっていないみたい。
十分大人なのに天気の悪い日はイライラします。

先日、湿度の高い日がありました。
雨が降るところまではいきませんでしたが、
風に乗って雨のにおいがプンプンしました。
なぜか心がやわらかくなりました。
海辺で潮風を嗅いだときのように・・・。
自然の中で雨に打たれていたわけではなくて、
環八沿いを歩いていた時に思わず深呼吸して
排気ガスのにおいと湿度の高い空気を吸い込んだんだけど、
すごく心地よいにおいでした。
体の70%は水分だというから、
体の中の水分と空気中の水分が共鳴しあったのかも
しれません。
とても懐かしい気持ちで地球との一体感があって、
素直に生きていることに感謝できる一瞬でした。

昔、コロラドに住んでいたころ、冬はマイナス29度、
夏は40度を経験しました。
コロラドは湿度がとても低い地域なので、
冬も夏も肌が「痛い」という感じでした。
マイナス29度の世界は、鼻や喉の水分も凍るので、
呼吸をするたびに皮膚が張り付く感じでした。
お風呂上りにミルクが切れていることに気づいて、
髪の毛を乾かさないまま近所のGrocery storeへ行くと、
一瞬にして髪の毛がバリバリに凍って、
ドレッド・ヘアみたいになってしまった思い出があります。
でもNYは海が近いこともあって、夏も冬も湿度に泣かされました。
冬は氷点下にならなくても、体感温度はマイナス気温に感じるので、
地下鉄を降りて1ブロック歩くだけでも、骨身にしみる寒さに、
心まで切なくなって、思わず泣いてしまった思い出があります。
夏には、吸い込む外気がどっぷりと重くて、体中が重くなってしまって、
体温を冷ましたい理由をつけては、ずいぶん沢山コロナを飲んだものです。

今日の日曜日の東京は晴れ。
一日気分良く過ごせました。
お昼にはタコスを作って、イタリアのスパークリング・ワインを飲みながら
夕方までゆっくりと時間をかけてレイト・ランチ&アーリー・ディナーを
満喫しました。
ゆっくりとした時間を過ごせた休日でした。

Wednesday, April 05, 2006

GREATEST GIFT OF ALL

37年前の今日、午前2時に、私は生まれました。
お母さん、生んでくれてありがとう。
お父さん、お母さん、心身共に健康に育ててくれてありがとう。
頂いた命に感謝しつつ、人生を楽しんでいきます。
親孝行できるように努力していきますので、
どうかこれからも末長く見守っていってください。

母と私 in the backyard













父と私 in the bedroom














Many many thanks to my parents, my sister and brother,
and my dearest friends, who love me and care about me all the time!!

Love, Carrie

Sunday, April 02, 2006

MY GREAT GRANDMOTHER

『私の頭の中の消しゴム』を見ました。
苦しくて痛くて涙が止まりませんでした。











3月27日(月)、私の祖母が永眠しました。
91歳でした。
昭和19年に、夫を太平洋戦争で亡くし、
女手ひとつで母を育ててきました。
私の幼いころは、両親が共働きだったため、
私、妹弟を育ててくれたのは、祖母でした。
85歳くらいから、1人で過ごす時間が多くなり、
徐々に痴呆症が進みました。
88歳の時、大腿骨骨折のため、入院・手術。
それ以降、車椅子・寝たきりの生活となりました。
母の在宅介護は3年間続きました。
昨年8月、栄養失調ということで、胃にチューブを入れる
手術をしました。
その後も母は在宅介護を頑張りましたが、
どうしても無理、というところで、入院生活が始まりました。

その瞬間は急にやってきました。
お昼すぎ、妹からのメールで、
「おばあちゃんは意識はないけど、
今日・明日ということではありません」
とあり、少し胸騒ぎがしました。
午後5時少し過ぎ、私の職場のペンたての中で、
封筒オープナーがカタリと倒れました。
それから数分、携帯電話を見つめていましたが、
何の連絡もなかったので、オフィスを出ました。
嫌な予感はあたりました。
目黒付近で、携帯が鳴り続けました。
母、そして弟からのメッセージが残されていました。
「午後5時半、おばあちゃん、亡くなりました」

急いで実家へ向かい、祖母の亡骸と対面しました。
生前最期に会ったのは1週間前でした。
かなり苦しそうに呼吸していました。
そのやせ細った手をとり、何度も何度も
「大丈夫だからね」と繰り返しました。
死ぬことは怖くないよ。大丈夫だから、という意味で、
何度も何度も繰り返しました。
一刻も早く逝かせてあげたかった。

お通夜、告別式と、沢山の方々に参列していただき、
本当によいお式となりました。
祖母の表情は本当に綺麗で、大往生という感じでした。
思えば、私たち家族が納得できるように、
祖母の死を受け入れられるようにと、
長生きをしてくれたような気がします。
本当は愛する夫や兄弟の待つあの世に早く
行きたかったんだと思います。
最期まで私たちのためを思ってくれたこと、
心より感謝しました。

お式の最中、祖母のスピリットを一切感じませんでした。
きっと肉体の死の瞬間、この現世に何の未練も残さず、
旅立ったんだと思います。
祖母のお式は祖母のスピリットなしで行われた感がありました。
それでいいと思ったし、本当に良かったなあと思いました。

痴呆症というのは、心の死が肉体の死より先にきます。
残されたものたちは様々な思いがあります。
時に苛立ち、時に悲しみ、時に苦しみ、時にしばし喜び・・・。
残されたものたちは自分たちを見つめなおし、反省し、
新たに学ぶ機会を与えられます。

1週間前、最期に目と目があった瞬間、祖母は確かに、
「分かったよ」といってくれていたと思います。
「大丈夫だよ」という言葉に対して、確かに答えてくれたと思います。
意識が行ったり来たりするほんの一瞬、私を認識し、
私の言葉を理解し、それを伝えてくれたんだと思います。
人間の奥深さを見せつけられた瞬間でした。