Monday, October 27, 2014

Breast Cancer Sucks

「乳がん」ってやつは、手術をしたら終わりじゃなくて、実はそこからがスタートだったのね・・・と思う今日このごろ。振り返れば、手術前・直後は、そんなに大変じゃなかった。色々な人にちやほやされて(i.e. 心配されて)、ひとりじゃないって感じてた。みんなで一緒に頑張ってるって感じてた。

でも今、術後しばらくして、ホルモン治療をはじめてからが、かなり大変。誰もかれもみんな、「もう完治したでしょ」くらいな勢いで接してくる。でも副作用とか、地味だけど、日々ひどいからね。
  • ホットフラッシュ
  • (ホットフラッシュの後の)寒気
  • 関節痛
  • 関節がポキポキ鳴る
  • 肩こりと首こり
  • 突然やってくるうつ的な症状
  • おりもの量増える
  • 健常な胸縮む
  • しみ、シワ増える
上記プラス、術後の副作用的なものも残ってるし。
  • 胸の痛み(神経が生まれ変わってきてるらしい)
  • 胸と脇のしびれ(リンパをとったからね)
昨日は、久しぶりにブレストクリニックへ。2回連続で予約をドタキャンし、さすがに3回目は行かなきゃダメでしょということで、行ってきました。なんかもう色々イヤになっちゃったんだけれども(=やさぐれてます!)、来年1月6日に再建手術の予定が入ってるから、行かなきゃってことで。

私の右胸には、400ccキャパのエキスパンダーが入っています。これまでに何度も食塩水を注入して、すでに400ccマックス入っているというのに、今回はさらに60cc入れられちゃいましたよ。皮膚が伸びて痛い、痛い。っていうか、肺を押してるから、息が苦しいよ。それに、破裂しないんだろうか、心配だよ。

ホルモン治療(リュープリン+タモキシフェン)のせいで、健常な左胸は縮んでしまい、食塩水を注入するたびに大きく膨らむ右胸との差が歴然としてきてしまいました。でもだからといって、ピタッとした服を諦めるわけにはいかないでしょう。というわけで、こちらの「激盛りシリコンパッド」をアマゾンで注文しましたよ。


でもね、パッドを入れたことによって、問題の1つは片付くけど、山盛りの副作用はかわりませんよね。そして、パッドを入れるときいつも(毎朝)、「右胸がなくなっちゃって、エキスパンダー入れてるから、それに合わせて左胸にパッドかなんか入れて大きくしなくちゃバランスとれないよね」って、わたしは思うんでしょう。それが果たして、精神的にいいことなのかどうなのか、疑問ですね。

「乳がん」は、ひとくくりにはできません。タイプは様々だし、それのよって手術も治療の方法も異なります・・・「乳がん」を患った人でも、その経験、感じ方は千差万別だと思います。だから、わたしがここで語ってることは、「乳がん」を患った方々の「声」を代表するものではありません。あくまでも、わたしの個人的な意見です、ということを付け加えておきたいと思います。

Thursday, September 25, 2014

Dinner @ Ebikatsu

先日19日(金)、BFと浜松町駅で待ち合わせして、海老勝@蒲田でディナーをしました。

7月下旬に新しい職場へ転職して以来、定時に帰ったことなどないBFが、せっかく定時に帰れるというのだから、早く帰してあげるのが良いGFなのだろうけど・・・ごめんね。

でも久しぶりに一緒にディナーができて、それも海老勝@蒲田さんで、お上品な味付けのお料理をいただきながら、日本酒を少々。大好きな人と、美味しいものをいただきながら、会話が弾むって、なんて幸せな時間なのー! というわけで、1週間の疲れは吹き飛んじゃいましたよ。Thank YOU!

今回頂いたのは下記のとおりです。
(撮影はいつもの努力家の写真家=BFです)

刺身盛り合わせ(1名様盛)
こちらの「しめ鯖」は、しめ具合がお上品なのです。BFはあまり「しめ鯖」は得意じゃないようですが、こちらのものは美味しいとパクリと食べちゃいます!

なすの煮浸し
(的なもの・・・正式名称は忘れちゃいました)
BFがなす星人(=なすLover?)なので、かなりの頻度でなす料理を注文します。見てわかるとおり、お出汁が澄んでいるでしょう? 手間ひまかけて作っているんです。 だから美味しいんです。

ホタテとキノコのポトフ
(的なもの・・・正式名称は忘れちゃいました)
こちらは、バターが入ることにより、洋風に仕上がっていました。なす(和風)をいただいた後に、これ(洋風)をいただいたので、味に変化があり、舌が飽きませんでしたよ。スープの最後の一滴までも美味しくて、大切にいただきました。

えびかつ
(たぶんいただいたと思ったのですが・・・ふたりとも食べることに夢中になってしまい、写真撮影を忘れちゃったのかも?)

肉豆腐 柳川流
これはもう! 本当に美味しい! こちらでは必ずいただきます。醤油と砂糖のバランス、それと具材とのバランスが絶妙。お味は、お上品の一言につきます! お肉のエキスパート=BF曰く、この中に入っている「牛肉」はとても良いものなんですって! その真偽を確かめるべく、スタッフの方に伺ったところ、葉山のお肉屋さんから、大将が美味しいものを仕入れているそう。(BFの目利きは正しかった!) 


日本酒(天明)
名前に惹かれて頼んだお酒でしたが、とても飲みやすくて素晴らしかった。調べたところ、福島県にある酒蔵で女性杜氏によって作られたものなんですって!


「創業は明治37年、会津の小さな酒蔵で女性杜氏が醸しだす「天明」という銘柄は、約五百石の造りしかありませんが「米の力を信じてその声を聞きながら、酵母の生命力に全てを任せる。こうして出来た酒は季節が変わる度に成長します。」という事から、無濾過生原酒での出荷を基本するこだわりの蔵元です。


現蔵元「鈴木明美氏」は東京農大醸造科を卒業後、地元でOL経験を経て主婦業に入りますが、先代である父上が突然の病で亡くなられ蔵を継ぐ決心を固めます。当時の蔵はレギュラー酒がほとんどで、純米酒の仕込みはタンク1本だけという状態でしたが、全国でも通用する純米酒、吟醸酒をメインにした蔵になる事を目指して、独自のスタイルを追求していこうと杜氏制を廃止し、地元蔵人と家族だけで酒を造る道を選びました。

そして、酒造りを一から勉強し直すために、福島県が行う酒造アカデミーに入学し、全国の蔵元を夫婦で訪ね歩き、無我夢中で約3年間酒造りに没頭したそうです。最初の頃は「失敗もしたし、形になるまでものすごい回り道をした」と語る鈴木氏ですが、数年後には全国の鑑評会でも高い実績と評価を得て注目を集めます。そして2001年、小規模ながら品質と個性を重視し、全国の酒好きに向けた新銘柄「天明」が誕生しました。

「天明」という酒名は、社名の「曙」と同じく夜明け前の様子を表しており、伝統を守りながら新しい挑戦を続けようという蔵の酒造りに対する姿勢、願いが込められています。」

さて、ディナーの後、BFと一緒に、近所の「のら猫たち」の餌付けに繰り出しました。これは、とても危険なミッションです。「のら猫にエサをやっている人がいる」と通報されて、私たちがお咎めを受けるのもイヤですし、それによって猫たちが保健所に送られることになったらもっとイヤです。

ふたりでコンビニでキャットフードを買って、ドキドキ、ヒヤヒヤしながら、あげました。2匹だけと思っていたのでキャットフードは2缶しか買わなかったら実は、3匹も(いやもう1匹いた!)いたので、わたし、更に2缶買いに走りましたとさ。

下記の写真はBFが帰りがけに撮影してくれたものです。「ありがとう」って言ってるみたいに見えるよー! Thank YOU!


Tuesday, September 23, 2014

Rila's 5th Birthday


先日9月15日はリラの5歳の誕生日でした。BFが可愛いケーキを買ってきてくれましたよ。Thank YOU!

リラが5歳ということは・・・私とBFが知り合って5年半になるのですね。 年々、ふたりの間の絆が太く大きく強く堅くなってきました。 これもひとえにBFの忍耐力のおかげです。Thank YOU!

今年の上半期は、私にとってもBFにとっても、大きな転機となる出来事(私の乳がん、BFの転職)があり、ふたりの絆を試される時期だったように感じています。それでも、おかげさまで、今日現在まで、つかず離れず一緒にいることができ、ありがたいことですね。感謝しています。Thank YOU!

来年のリラの誕生日も一緒に祝いことができますように。

Friday, August 15, 2014

天皇陛下のおことば

「本日、『戦没者を追悼し平和を祈念する日』に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
 終戦以来既に六十九年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。
 ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」
全国戦没者追悼式にて

Friday, May 30, 2014

Prayer

そうそう、書き忘れていましたが・・・

4月4日(金)、聖路加での担当医M先生とのコンサル後に、BFが明治神宮へ連れていってくれて、「病気平癒」の祈願をお願いしてくれました。 Thank YOU!

手術までの日々、憂うことなく、心にいつも平安がありますように。 
手術が無事に終わりますように、また、術後は一日もはやく回復しますように。

境内には、心地よい風が流れていました。 カラダの中の余計な力が抜けて、心が穏やかになりました。 不思議と涙がポロポロと流れてきました。 隣に座ってるBFも同様に、はらはらと涙を流していました。 「あぁ、この場所に、神様はいるなぁ」としみじみ感じました。

「病気平癒」の御札をいただいてから、約2ヶ月がたち、振り返ると・・・手術までの日々も穏やかに過ごすことができましたし、手術も無事に終わりましたし、術後は、心配されていたこと(例: 感染症、エキスパンダーの入れなおし、傷口の壊死等)は何ひとつ起こらず、経過は極めて良好です。 5月1日から約1ヶ月、休職していましたが、来週月曜日(6月2日)より職場復帰することとなりました。 ありがたいことです。

職場復帰すれば、午前中の早い時間に散歩したり、ランチにビールを飲んだり、化粧なしで1日過ごしたり、携帯ゲームをしたり・・・そういう「自由」はなくなりますが、今まで感じたことのなかった「仕事ができる喜び」を感じられるのではないかと思います。 また、今回、人生初・入院/手術/休職したことにより、いろいろなことを学びました。 きっとこれも、これから仕事をする上で、またこれからの長い人生、生きてくるんじゃないかと思います。

さて、最近、毎朝、近所の池上本門寺へお参りに行っています。 当初はリハビリもかねて散歩してたのですが、ここ数日は、お参りをするために行っていると感じています。

山門の前で一礼し、長い階段を登り、手水舎で身を清め、本堂の入口でまた一礼、お賽銭を入れ、「感謝」のキモチ(&お願い)を伝え、そして本堂を出る際に一礼、長い階段を降り、山門を出たところでまた一礼。

キリスト教も神道も仏教も、神様は、私たちに必要なものはしっかり分かっていらっしゃると思いますので、お願いごとはほんのすこし(例: 家族、親族、友人皆、健康でありますように・・・)で、メインは、日々の感謝のキモチを伝えるようにしています。 

下記の写真撮影は、いつもの素晴らしい写真家=努力家のBFです。

4月4日(金)
聖路加タワーの下、カラダにいいと言われている「アサイー」ジュースを飲んでいます。 いやぁ、酸っぱくて、不味かった(苦笑)


明治神宮での祈願を終え、清々しいキモチで空を見上げると、美しいこの国の国旗が風にたなびいていました。 天皇陛下が日々、この国の民の幸せのためにお祈りしてくださっているということをかみしめ、本当にありがたく、陛下のお心に常に平安があるためにわたしには何ができるかと考えた時、それは、健康であるということだと感じました。
 

手術をしてくれた執刀医Y先生、何度もコンサルしてくれた担当医M先生、新しい胸を作ってくださる形成外科医I先生に、感謝。今までも、今も、これからもきっと、いつも側で支えてくれているBFに感謝。 わたしに命を授けてくれた先祖代々、両親に感謝。 わたしと同じ時代を生きて支えてくれている妹弟、親族、友人・知人に感謝。 休職中、わたしの帰りを待ってくれていた上司・同僚の皆様に感謝。 その他、今日までわたしの人生に関わってくれた全ての人に感謝。

皆様、本当にありがとう。

Wednesday, May 28, 2014

Breast Cancer 19

5月11日(土)
ブレストサージェリークリニック

聖路加を退院するとき、「退院後1週間〜10日以内に、ブレストサージェリークリニックへ行ってください」と言われたので、その通りに行ってきましたよ。 看護師さん、わたしの胸を見るなり、「とてもきれいですよ」と言ってくださって、ホッとしました。 院長I先生も、「(エキスパンダーの)位置、いいですね。 わたしが、『もしうまく(エキスパンダー)が入ってなかったら、取り出してやり直してあげますからね』って言ったの、執刀医Y先生に聞こえちゃったかしら? Y先生、(キレイに出来たって)自画自賛してたでしょう! 毎日見にきたんじゃない?」と。 確かにY先生、毎日訪室してくださいましたけど・・・わたしの術後の経過を心配してのことだと思います(苦笑) 特に問題がないということで、傷にそって貼ってあったテープを、貼り直していただいただけで、終わり。 

5月20日(火)
聖路加国際病院

BFもお休みをとって同行してくれました。 Thank YOU! 退院からそんなに時間もたっていないというのに、わたし、本当にここに入院していたのかしら? 本当にここで手術もしたのかしら?という感じ。 入院中は、院内をあちこち歩きまわって、そこかしこに、わたしの「気」をつけまくっていましたが、その「気」はとっくに消えてなくなってしまっていて、初診の時に感じたようにまた、「居心地」の悪い感じがしました。 悲しいような、嬉しいような、複雑な気持ち。

執刀医Y先生とのコンサルでは、術後に伺ったお話とほぼ同じお話を伺いました。 がんは3㌢ほど、グレードは2、センチネルリンパ腺への微小転移(2㍉以下)あり。 この状態、昔ならば、(再発のリスクを考えて)抗癌剤治療はマストだったようですが、今は、「オンコタイプDX」という、切り取ったがん細胞の遺伝子を調べることにより、再発の可能性と抗癌剤の治療効果を予測ことができる検査があるとのことで、すぐに抗癌剤治療というわけではありませんでした。 

さてこの検査、保険がききません。 とても高額(44万円)ですので、全ての人が、「はい! やります!」とはならないとは思います。 でも、わたしのように、抗癌剤に対して「ぜったいにイヤ!」と拒否反応を示していて、なおかつ、ちょっと頑張れば支払可能な患者(=支払をサポートしてくれる優しいBFがいる人間)に対しては、オススメしてくださるようです。 執刀医Y先生から、「これ、やったほうがいいと思うんですけど・・・いいですか?」って言われたら、「お願いします」っていうしかないですよね(苦笑) というわけで、この検査をすることとなりました。 ただこの検査の代金の支払、なんと! 聖路加の「ギフトショップ」なんですよ!!! 衝撃的すぎます。 (下記、写真参照)

さて、この日一日、たくさんの写真をBFがとってくれました。 ←努力家の写真家です。 Thank YOU!

受付は、1階にあるこの機械で行います。 


受付を済ませ、乳腺科のある2階へ。 何度も何度も何度も何度も乗ったはずの、エスカレーターさえも今はなつかしい!


ブレストセンター@2階。 番号29=にく(肉)だね。← 不謹慎です。


オンコタイプDX検査の支払は、なんと、会計@1階ではなく、ギフトショップ@1階でした! なんで? まったくわかりません。 この紙にはたくさんの高額な検査がリストアップされていましたから、わたし以外にもたくさんの方がギフトショップでクレジットカードを使って高額な検査の支払をしたことでしょう。 


聖路加でのコンサルが終わった後は、BFがランチ@二子玉川の玉姫へ連れていってくれましたよ。 Thank YOU!

今回いただいたのは下記のとおりです。

お刺身盛り合わせ(ヒラメとなんだっけ?) 
どちらも甘くて、脂が乗っていて、美味しかった!


煮あさりを注文したのですが、状態があまりよくないということで、こちらをいただきました。 アジ(かしら?)南蛮漬けと昆布


天ぷら盛り合わせ


ホタテのヒモを炙ったものをサービスでいただきましたよ。 美味しかった!


おつまみ玉子焼き


ここからのにぎりは、BFがいただきました。




おつまみでサーモンを!といったら、ワイン(白)にあうようにとこんな洒落たものを出してくださいましたよ。


食べて飲んで・・・いつもの酔っぱらいです。 オーガニックのヘアオイルを買うのですが、レジが混んでいて。 暇を持て余したらしく、踊ってます。


踊ってます。
(どこにもつかまってないです。酔っぱらいのわりに、バランスいいです)


まだ踊ってます。


えいっ!



5月23日(金)
ブレストサージェリークリニック

傷口もキレイ、皮膚も十分のびたということで、食塩水を入れていただきました。 「まだまだはいりますよ」と看護師さん。 結局、注射器7本分、140ccを入れていただきました。 深呼吸をするとちょっと重い!というくらいがいいようです。 次回は来月22日(日)、また皮膚が伸びたところで、またもっと食塩水を入れる予定です。

この後、BFと、「雲海」@ANAインターコンチネンタル東京で待ち合わせして、ランチをすることになりました。 Thank YOU!

今回いただいたのは下記のとおりです。 撮影はいつもの素晴らしい写真家=努力家のBFです。 Thank YOU!

松花堂弁当をいただきました。 季節の食材をつかってます。 大好きな人と美味しくいただく食事っていうのは、カラダにいいですね。 カラダの中の細胞ひとつひとつが喜んでいると感じましたよ。 ありがたいことです。 ありがとうございます。











Friday, May 16, 2014

Breast Cancer 18

5月5日(月)
「退院」

午前3時半
入院中は毎日、この時間に目が覚めました。 テレビを見て(ほぼ全局ショッピングチャンネルですが・・・)、日が登ってくるのを待っていました。

 午前5時18分
地震。 最大震度5弱(千代田区)。 建物が横にゆらゆら揺れて、ギシギシときしむ音がして怖かったです。 揺れが収まった後、病室の引き戸を開け、廊下を見渡すと、看護師さんたちが病室を回り、患者さんたちの無事を確認していました。 「大丈夫ですか?」と声をかけてくださった看護師さんに、「大丈夫です」とわたし。 

午前5時半
BFから、「だいじょうぶ?」とメッセージ。 嬉しかったです。

午前8時
BFが、着替えの洋服を持って迎えにきてくれました。 Thank YOU!  最後の食事=朝食を一緒に食べましたよ。 

午前9時
担当医M先生が、(たぶんきっとお休みだというのに)様子を見にきてくださいました。 入院中、担当医M先生、執刀医Y先生の訪室は、毎日ありました。 術後の経過がいいと、先生方に言っていただき、とても安心しました。 

看護師さんより、「退院指導計画書」の説明がありました。 退院1週間以内に、形成外科の予約をとること、抗生物質は最後の1錠までしっかり飲み切ること、胸は揺らさないこと等、確認しました。

身支度も終わり、残すは、病室内の「忘れ物チェック」だけです。 晴れ晴れとした笑顔です。 (撮影は、いつもの素晴らしい写真家=努力家のBFです。 Thank YOU!)



午前10時 
廊下ですれ違った看護師さん2名に、「お世話になりました。ありいがとうございました」と挨拶し、BFと一緒に退院手続き・会計@1階へ。 

(自己負担)費用合計は、297,445円。 内、室料は、180,000円。 手術(麻酔+病理検査含む)は、52,473円。 術前・術後診察(アイソトープ検査+投薬/処方+医学管理費含む)は、24,496円。 食事は、3,380円。  

支払には、BFが用意してくれた「入院時一時預かり金(20万円)」を一部充当し、残りも、BFが支払ってくれました。 Thank YOU! 

午前11時
自宅近所のデニーズにて早めのランチ、BFはハンバーグ、わたしはパスタを頂きました。 入院中は(もちろん!)禁酒していたので、数日ぶりにビールを頂きました。 美味しかったですよ! 


ただいまー! 

入院中ずっと一緒にいてくれたリラと。 やっぱり家はいいなぁ。

振り返ればあっという間の、人生初・入院生活でした。 忙しい中、毎日面会にきてくれたBF、毎日訪室してくれた執刀医Y先生・担当医M先生、昼夜問わず毎日看護してくれた看護師の皆さん、大変お世話になりました。 ありがとうございました。

・・・・とこれで全てが終わったわけではありません。 右乳房の再建もありますし、「乳がん」は、「全身病」なので、今後は薬物療法(化学療法・内分泌療法・抗体療法)などの治療が必要になる可能性があるからです。

針生検で細胞検査をした結果、わたしの「がん」には抗体療法は効果ゼロですが、内分泌療法(抗ホルモン療法=女性ホルモンが働かないようにする治療法)は効果大とのことですので、内分泌療法を受けることは視野に入っています。 化学療法は、今のところ受けるつもりはありません。 だって、化学療法でがんが根絶できる!わけではないようですから。 内分泌療法についても、これを受ければぜったいに再発しない!というわけではないようですから、本当はやりたくはありません。 

過去、わたしと同じような「がん」の人たちが、薬物療法を受けたとき、受けなかった時の「生存率」データによると、化学療法と内分泌療法の療法を受けた時の「(10年後の)生存率」は80%、内分泌療法だけだと70%だということですが、これはあくまでも統計で、「生存率」であって、「再発ゼロ」ではありませんし、「QOL(クオリティー・オブ・ライフ=生活の質)ではありません。 

それに、わたしはわたし、他の人とは違います。 それと同じで、わたしの「がん」は他の人の「がん」とは違うのです。 だから、統計でなんて、わたしの「生存率」が測れるもんか!ってことくらい、子供だって簡単にわかりますよね。 

さて、来週20日(火)は、執刀医Y先生とのコンサルがあります。 術後の経過チェック、病理検査の結果、今後の治療についてのお話があると思います。 

また報告しますね。

Sunday, May 11, 2014

Breast Cancer 17

5月3日(土)
「術後2日目」

午前3時半
ドレーン以外の管は全て取れたので、自由に動きまわることはできますが、この時間に起きても、外はまだ暗いですし、テレビはほぼ全局ショッピングチャンネルですし、売店は開いていないですし・・・やることがなくて参りました。 前夜の夕食が午後6時と早いので、お腹もすきました。(前日、BFが買ってくれた鮭のおにぎりを食べました。 Thank YOU!)

午前6時
看護師さんの訪室(検温、血圧検査、傷のチェック等)。

午前7時半
BFがきてくれました。 Thank YOU!

午前8時
朝食。BFが購入してきてくれたサンドイッチも食べちゃいました。 Thank YOU!

午前9時
看護師、医師の訪室。 ドレーンから出てきている液は黄色で、血液が混じらなくなってきました。看護師さんいわく、ゴールデンウィーク最終日には退院できるかもとのこと。

午前10時
地下の売店でパジャマ(半袖)購入。 スターバックスでアイスコーヒー購入。

午後2時〜
看護師さんに、シャンプーをしてもらいました。 これまでは、BFが、「洗わないシャンプー」で、髪の毛をキレイにしてくれていました。Thank YOU!

終日
やることがとにかくなくて・・・院内をぶらぶらして過ごしました。 ガーデン@6階や、地下1階の売店や、1階の売店、スターバックスなど。

5月4日(日)
「術後3日目」

午前3時半
起床時間はほぼ同じです。 前日に夜食(朝食?)を買い忘れたので、黒胡椒おせんべいを食べて、空腹をしのぎました。 

午前6時
看護師さんの訪室(検温、血圧検査、傷のチェック等)。

午前7時半
BFがきてくれました。 買ってくれた(これまで着ていた)パジャマを洗濯してくれました。 Thank YOU!

午前8時
BFと一緒に朝食。 

午前9時
突然、女医3名の訪室。 「今からドレーンを抜きます。 (ベッドに)横になってください」 言われたとおり横になると、「ちょっと変な感じがしますよ」 そう言って、女医#1がドレーンの管をにゅるっと抜いてくださいました。 尿道カテーテル同様、例えるならば、タンポンを抜くときの感じ。 にゅるるるる・・・。 抜いたところに、テープみたいなものを貼り、その上に数枚重ねたガーゼを貼ってくださいました。 「明日、退院です」と女医#2。 わたしが、「へ? あのでも、まだ、あの・・・」と訳の分からないことを口走ると、女医#3が、「ドレーンから出ている液も60㍉から30㍉に減りましたから、大丈夫です」と。 あまりの急展開に気持ちがついていきませんでした。 とにもかくにも、超人的な回復力で、翌日退院ということが決定しました。

午前10時
執刀医Y先生訪室。 胸の傷口に貼ってあったオブラートみたいな膜を剥がして、縫い目にそって肌色のテープを貼ってくださいました。 術後の経過はとてもよいとのこと。

午前12時
昼食。 ずっと麺が食べたかった! テレパシーが通じたのかしら? お蕎麦、美味しかったです。 それよりも、えび団子、美味しかった! 



午後1時
母が面会にきてくれました。 翌日退院だから来なくてもいいよとは言ったんですけど・・・母は東京に来たかったようです(苦笑) 

午後2時
看護師さんの訪室。 ドレーンの管を抜いた後、ガーゼを貼っていたのですが、それを取って、なんとバンドエイドを貼ってくださいました。

そうそう、術後1日目に、BFが、リラを連れてきてくれたのです。 Thank YOU! 痛みに強いわたしですが、やっぱりちょっとは痛かったのと、右側に寝返りを打てなかったので、リラが横で寝てくれることは、とても助かりました。リラは、医師、看護師の方々に大人気でしたよ。 担当医M先生は、リラがベッドでだらーんと寝ているところを目撃し、「あ、リラックマ、寝てる!」って言ってました。



終日
翌日退院と思うと、感慨深く・・・看護師さんたちからは、「え? もう退院しちゃうの?」っていう声もあって・・・寂しがっていただけるってこと、嬉しかったですけど、でも「またきます!」とも言えないですよね(苦笑) 

今回の入院・手術の経験から、学ぶことはたくさんありました。 

ひとつは、「頼る」こと。 術後1日目、管がたくさん入っていて、自分ひとりでは何もできませんでした。 たくさんの人がわたしのためにたくさんのことをしてくれる。 それを受け入れること。 感謝すること。

もうひとつは、なんか「自信」がつきました。 化粧もしてない、きれいな服も着てない、いい香りもしない、おっぱいは片方ない・・・というわたしですけど、たくさんの人がわたしを大事に扱ってくれました。 ←サービス業だからでしょう!といえばそれまでですけどね(苦笑) BFが言っていましたが、わたしの病室からはいつも笑い声が聞こえていたんですって。 確かにいつも、看護師さんたちと、とりとめのない会話をして、笑っていました。 今のままでいい! 飾らなくても、人を魅了する「力」がわたしにはある! と思いましたよ。 

さて、次回は、5月5日(月)「退院」について書きますね。

Saturday, May 10, 2014

Breast Cancer 16

5月2日(金) 
「術後1日目」

午前3時半
前夜は、テレビを見ながら麦茶を飲むこと以外にすることがなく、午後9時くらいには自然と眠くなり、寝てしまったので、目が覚めるのは早かったです。 カラダに入っている数本の管のせいで、自由に身動きをとることはできなかったので、ベッドの上部や下部を上げたり下げたりして、ベッドとカラダの接地面を微妙にずらして、痛みを軽減しようとしていました。 前夜同様、テレビを見ながら麦茶を飲むこと以外にすることがなく、ただひたすら時間が経つのを待っていました。 傷口の痛みは、0〜10のスケールで3くらい。

午前5時半
看護師さんは、患者さんの病室を回り、声をかけて起こしているようでした。 「おはようございます!」と言うと、「おはようございます。 早い(起床)ですね」と看護師さん。

午前6時
看護師さんによる検温、血圧、尿量のチェック。 どれも問題なし。 

点滴のチューブをみじかく切って封印した様子。手の甲には点滴の針が刺さったまま、みじかく切ったチューブと一緒にネットで固定。 管、ひとつ抜けた!

午前7時
BFが来てくれました。 Thank YOU! 

午前7時半
看護師さんが尿道カテーテルを抜いてくださいました。 「ちょっと変な感じしますよー」といいながら、スルスルと。 例えるなら、タンポンを抜く感じで、にょろっと出ていきました。 管、ふたつめ抜けた!

午後8時
待ちに待った、断食36時間あけの、食事です。 おかゆがメインで、メロンと、おかずは1〜2品だったような・・・(覚えていません) BFと一緒に少しずつ少しずつ食べました。 

午後9時半
看護師さんが、手の甲に入っていた点滴用の針を抜いてくださいました。 あとは、胸の下に入っているドレーンが抜けるのを待つばかりです。 (後日、この手の甲の点滴後は、想定通り、青あざになります 苦笑)

午後10時
BFと一緒に、6階にある院内ガーデンへ。 下記の写真の撮影は、素晴らしい写真家=努力家のBFです。 術後1日目とは思えない、ものすごく元気なわたしを撮ってくれました。 Thank YOU!

良い笑顔です。 (首から下げているのは、ドレーンの先、血液やら浸出液やら何やらがたまるバッグです)


いやー、シャバの空気はいいなぁ。 ビールが飲みたいな、おぃ。


桜の季節に、聖路加タワーをバックに、隅田川のほとりで撮影した写真があります。 この写真は、そのバージョン2で、タワーの反対側での撮影です。


午後12時
昼食メインは、お魚。 BFのランチは、1階の売店で買ったお弁当。 一口、二口、交換して、美味しくいただきましたよ。

午後1時
(乳がん経験者)ボランティアの方が訪室してくださいました。 彼女は現在57歳。 可愛らしいネイルをして、品の良い服装、アクセサリー。 年令よりも若く見えます。 彼女は、44歳の時に手術(全摘+リンパ節切除 ←当時はこれがデフォだったよう)、13年後の今、再発はしていないそう。「あれはダメ、これもダメ」ということを自分にかすことなく、好きなものを飲食し、好きな運動(ゴルフ)をしているそう。 

「わたしち(=乳がん経験者)は、これからもずっと(乳がんの)再発のリスクと共存していかなくてはなりません。 わたしも今日までずっと、定期的に検査をし、その検査の前日は毎回とても落ち込むし、検査結果を聞く日は毎回不安になります。 でも、『再発するかもしれない』と恐れながら生きるのは、つまらないでしょう。 再発したらしたで、その時、考えればいいし、素晴らしい先生方に対処をお任せすればいいんです。 それまでは、思いっきり『生きる』んですよ」

午後2時〜
BFと一緒にお昼寝。 

午後6時
夕食の献立は・・・覚えてません! でも美味しかったことは覚えていますよ。

午後7時〜
担当医M先生の訪室。 傷はキレイだとのこと。 (胸と腕を)動かしてはダメですよ!とのこと。 看護師さんいわく、ドレーンから出てきてる液の色が薄くなったとのこと。

さて、次回は、5月3日(土)〜4日(日)「術後2〜3日目」について書きますね。

Thursday, May 08, 2014

Breast Cancer 15

5月1日(木)
「手術」

午前0時
(就寝中)絶食スタート

午前3時半
(起床)前夜午後9時半くらいに寝たせいか、午前3時半には目が覚めてしまいました。(これ以降しばらく、この就寝・起床パターンが続いています) 日の出が早くなったとはいえ、外はまだ真っ暗。 テレビをつけると、全ての局がショッピングチャンネル状態。 

午前5時
「アルジネードウォーター」を2本飲みました。

午前5時半
シャワーを浴びました。 手術後は、カラダのあちこちに「管」が入るらしく、それが抜けるまではシャワーを浴びれないとのことだったので、いつもより丁寧に洗いました。 なんだか「儀式」みたいな感じ。

午前6時
看護師さんが検温と尿量のチェックにやってきました。

午前6時半
絶水スタート

午前7時〜7時半
BFがきてくれました。 顔をみた瞬間、なぜだか分からないけど、ちょっと泣きそうになってしまいました。 というタイミングで、母親から電話があり、一言、二言、話したら、「これから成田を飛び立ちます、異国の地での生活が待っています、がんばります」みたいな気持ちになって、これまたちょっと泣きそうになってしまいました。 電話を切って、BFの顔を再び見ると、涙がポロリ。 不安じゃないのに、怖くないのに、気持ちとはうらはらに涙が出てきちゃうなんて・・・不思議な感覚。

看護師さんが持ってきてくれた手術着(ローブ+紙ショーツ+弾性ストッキング)に着替えました。 ピンクのローブ、白の紙ショーツ、白のストッキング(ニーハイ)という組み合わせは、ちょっと色っぽい。 ローブの裾をヒラヒラさせて、ストッキングやショーツを見せるという遊びをして、BFを困らせました。

執刀医Y先生が訪室してくださいました。 「どうだい? 眠れたかい?」 先生はいつもどおり、とても穏やかでやさしい口調。 すると先生は、油性マジックペンで、わたしの上半身に、サラサラと何やらかきはじめました。 どうやら、左右の乳房の位置のマーキングをしてくださったようです。 出来上がったものを鏡で見ると・・・今から「腹踊り」でもするような、なんとも面白い図になっていましたよ。

午前8時15分〜8時半
看護師さんが迎えにきてくれたので、看護師さん、手術着を着た私、私服のBFという御一行様で、手術室@2階へ向かいました。 手術室の待合室で、BFとはしばしのお別れです。 熱い抱擁、涙のキスなどあるかとおもいきや・・・かなりサラッとした感じで別れましたよ。 

手術室に足を踏み入れると、部屋の真中に手術台があって、その回りには機材が、所狭しと置かれていました。 医師・看護師(10名くらい)は全員女性で、えんじ色の手術着を着ていました。 

手術の同意書を再確認した後、手術台へ。 横になったわたしの左右に1人ずつ、頭のところに1人が立っていました。 小さなボリュームで、90年代の流行歌(シャ乱Q、T−BOLANなど)が流れていました(←いったい誰のチョイスなのでしょう?) 

わたしの右にたっている人が、血中酸素濃度計をわたしの右手につけ、頭のところにたっている人が、脳波測定器をわたしの額につけ、左にたっている人が、点滴用の針をわたしの左手の甲につけ、その後、右手と左手を軽く固定されました。 ここまでのひとつひとつの作業を、全部きちんと説明してからしてくださったので、わたしは不安を感じることなく、とてもリラックスしていました。

頭のところにたっている人が、酸素マスクを、わたしの鼻と口を覆うように、軽く被せました。「ゆっくり深呼吸してください」と言われ、そのとおりにゆっくり深呼吸をしました。 わたしは閉所恐怖症なので、マスクをギュッと被せられたらパニクってしまったと思いますが、顔とマスクの間に微妙な隙間を作ってくれていたので、落ち着いて深呼吸を繰り替えることができました。 

左にたっている人が、「麻酔を入れていきます。 ちょっと押されるような感じがしますよ」と言うのを聞き、いよいよだなと一瞬緊張し、わたしの右にたっている人の、わたしの右手を握ってくれているその手を、ぎゅっと握ったことが、手術前の最後の記憶です。
 
午前11時20分
「タニグチさん、終わりましたよ」という執刀医Y先生の声で目が覚めました。 「大丈夫ですか? 今、声はでませんよ」という先生に、「はい、大丈夫です」と答えようと思いましたが、先生のいうとおり声がでません。 と次の瞬間、先生が気管内チューブをスルッと抜いてくださって、声がでるようになりました。 あらためて問いかけてくださる先生。「大丈夫です。 夢を見ていました」と答えるわたしに、「何の夢をみていたんですか」と先生。 「築地でお寿司を食べている夢でした」とわたしがいうと、「そういう患者さん、多いんですよ(苦笑)」と先生。 後で思ったのですが、手術中に、築地でお寿司を食べる夢をみる患者さんなんて、皆無なのでは? 優しいY先生のことですから、会話を合わせてくださったんですね。 先生、ありがとうございます。

手術室のすぐ横にある回復室に移動して、10分〜20分過ごし、容態が安定していることを確認した後、ストレッチャーで病室へ。 

病室に到着した瞬間、心配そうなBFの顔がチラッと見えましたが、わたしの意識がとてもハッキリしていることと、あまりにも元気よくたくさん話していることに驚き、どうやら拍子抜けし、すぐに安心した様子でした。 (ご心配おかけしました。 Thank YOU! )

ストレッチャーからベッドへの移動の際、「わたし、重いよ。大丈夫?」と、2人の看護師さんに声をかけたんです。 すると看護師さんたちは、「大丈夫です!」と自信満々に答えたんですが・・・実際、大丈夫じゃなかったんです(苦笑) 結局、ナースコールで3人目の看護師さんを呼んで、3人がかりで移動させてもらいました。 ちょっと恥ずかしかったよ。 

午前12時
わたしのカラダには、たくさんの管が入っていました。 鼻には酸素チューブ、左手(甲)には点滴、摘出した右乳房(=エキスパンダーが入ったところ)の下にはドレーン、そして尿道カテーテル。 術後当日はベッド上で安静ということですが、こんなにたくさん管が入っているのですから、身動きがとれないので、安静にせざるを得ません。 

そうそう、病室に戻ってきてすぐ、手術が無事に終わった旨、わたしの母親と上司に、BFがメール代筆、送信してくれましたよ。 母も上司も安心したようでした。 Thank YOU!

午後1時半
酸素チューブが外れました。

午後3時半〜
術後4時間がたち、飲水オッケーとなりました。 当日午前6時半以降、何も飲んでいなかったので、喉はカラカラ。 ゴクゴクゴクゴク・・・と麦茶を飲みました。 とても美味しかった! 前日午後6時以降、何も食べていなかったので、お腹はペコペコでしたが、食事は翌日午前6時まで食べられません。←36時間ダイエットです。

術後、傷の痛みは、そんなに強くでませんでした。(一番痛かったのは、0〜10のスケールで、5くらい、術後当日の夜でした) それよりも、ずっと同じ姿勢で横になっていたので、硬い枕(そばがら)と接している後頭部、硬いベッドと接している背骨、尾てい骨、むくんでいる両足が痛かった! 「痛い、痛い」というわたしのために、枕を取って頭をさすってくれたり、腰を押してくれたり、足のマッサージをしてくれたり、手厚く介抱してくれたBFには、心から感謝です。 本当に助かりました。 Thank YOU!

さて、次回は、5月2日(金)「術後1日目」について書きますね。

Wednesday, May 07, 2014

Breast Cancer 14

おかげさまで、5月5日(月)、聖路加国際病院 さんを退院しました。BFが着替えをもって迎えにきてくれましたよ。Thank YOU! 

4月30日(水)
「入院」

午前10時〜12時
BFが迎えにきてくれて、車で病院へ。 

1階入院受付で、必要な書類を提出と、BFが用意してくれた(Thank YOU!)入院時一時預かり金(20万円)を渡し、さあ入院手続きは終了と思ったら、「健康保険限度額適用認定証」がないことが判明。これがないと退院の際の支払いが高額になってしまう・・・と焦る私。するとBFが、保険組合(@銀座)の窓口で申請手続きをしてきてくれると! Thank YOU! 

入院手続き終了後、手続きをしてくれた女性が部屋(7階、727号室)まで案内してくれました。 「まるでビバリーウィルシャーみたいね」と私とBFのテンションはちょっとアップ! 

大きなクリーム色の引き戸(丸い小窓付き)を開けると、左手にクローゼット、正面にクリーム色のカーテンがあります。カーテンを開けると、正面にシングルベッド、右手にトイレ・シャワー、その隣には独立洗面台、左手には大きな窓(ロールカーテン付き)があります。 あいにくの雨でしたが、窓からは隅田川が見え、高層ビルの合間に緑がたくさん見えました。 「ニューヨークのアッパーイーストみたいね」と私とBFのテンションはまたちょっとアップ!


看護師さんより、「入院からの流れ(入院当日〜手術当日〜手術〜手術後〜手術翌日)」の説明、問診、体重測定、検温、血圧測定等があり、その後、麻酔科医とのコンサルのため、麻酔科@4階へ。(このタイミングでBFは保険組合@銀座へ向かってくれました。Thank YOU!)

麻酔科医M先生(男性・50代後半)はとても優しい口調でお話してくれました。 「次々と検査で、ベルトコンベアーに乗ってるみたいで、考える時間がないでしょう? このご時世だからリスクの話をしなくちゃいけないけど、心配することないですよ。わたしがもし女性(で乳がん)だったら、この病院で手術をすると思いますよ。Y先生は年間1,000件も(手術)してるから、安心ですよ。お酒を飲む人は麻酔が効かないっていうけど、そんなことないですよ。寝てる間に終わりますから、心配ないですよ」

麻酔科から戻ると、BFもちょうど保険組合から戻ってきたところでした。6ヶ月有効の「健康保険限度額適用認定証」をゲットしてくれました。Thank YOU!  わたしはそれをすぐ受付に提出、その間にBFは車を移動(←病院地下の駐車場の料金は異常に高いのです!)

そうこうしているうちに、昼食の時間になりました。 (入院中の食事タイムは、朝食8時、昼食12時、夕食18時です) 下記は、入院当日の初・食事(昼食)です。 お魚の天ぷらは少々固かったけど、煮物や和え物はとても美味しかったですよ。 牛乳は苦手なので、りんごジュースに変更してもらいました。(以後ずっと、りんごジュースでした)


午後2時〜5時
術前検査(センチネルの注射と撮影)があるということで、B1階19番核医学室へ。 BFが付き添ってくれました。 Thank YOU! 入口で下履きからスリッパに履き替えるのですが、そのスリッパが衝撃的! なんと黄色地に放射能マークなのです! それもそのはず、この検査(=アイソトープ検査)では、検査薬(=放射性同位元素)を、乳頭近くに注射するからなのです。 注入後一旦部屋に戻り、約1時間半後(午後3時半すぎ)、ガンマカメラ(MRIみたいな形)でセンチネルリンパ節の撮影のため、再び検査室へ。 撮影は約2分くらいで終了。 

部屋でまったりしていると、担当医M先生、執刀医Y先生が訪室してくださいました。 嬉しいサプライズ、安心しました。

午後6時〜
夕食(下記)が運ばれてきたタイミングで、BFは帰宅。 朝からずっと一緒にいてくれて、いろいろ助けてくれて、心強かったし、ありがたかったです。 Thank YOU! 食後、看護師さんに言われたとおり、「アルジネードウォーター」を2本飲みました。 味は、ポカリスエットみたいで、飲みやすかったですよ。 



シャワーを浴びて、BFが買ってくれたパジャマとカーディガンを着て、窓に映る私をセルフィー! 翌朝(約12時間後)手術だというのに、心身共にリラックスしていると感じました。 ずっと支えてくれているBF、そして信頼できる先生方、優しく親切な看護師の皆さんのおかげです。 感謝です。 


「眠れなかったら言ってくださいね、睡眠薬を出しますので」と看護師さんに言われていましたが、消灯時間(午後9時)には自然と眠くなり、睡眠薬は不要でした。

さて、次回は、5月1日(木)「手術」について書きますね。

Sunday, April 27, 2014

Breast Cancer 13

先日、全ての検査・準備が終わり、後は入院・手術を待つばかりというとても心安らかな日々のはずでしたが・・・今朝、母から電話がきました。どうやら手術の日に病院に来たいそう。そして父にこの件、伝えてほしいそう。

なんだか頭にきちゃった。だって、「心配だからつきそうわ」って、自分勝手でしょう、わたしのためを思ってじゃないでしょう?

わたしは今回、両親・家族に内緒で手術を受けるつもりでいました。でも、酔っ払った勢いとあまりにも面倒なことをいう母にイラッときて、ついポロっと言ってしまったんです。

不本意です。

手術をうけるのも、術後の痛みに耐えるのも、術前の情緒不安定さと共存するのも、今後の治療に向き合っていくのも私なんですよ。家族であれ、他人であれ、身代わりにはなれない。だったら、わたしが望むようにしてくださいよ。心配なのはわかりますけど、そこは耐えてくださいよ。わたしがわたしらしくない、弱ってる姿を見せたくないって思ってるんだから、そこは格好つけさせてくださいよ。

とはいえ、わたしに「生」を授けてくれた母の頼みですから、父には手紙を書き、先ほどオンライン・FAX(便利ですね)で送りました。この手紙をもらった父は「は?」って思うと思います。父と母は他人同士ですから、母は父の気持ちが分からないと思いますが、わたしと父は親子ですからね、わかるのですよ。性格も似てますし、言いたくないなら言わなくていいって、きっと思うと思うんですよ。でも言っちゃったからね、「は?」でしょうね。なんで言いたくないのに言うんだ、お前?ってなってると思います。

ごめんなさい。

追記: 送信できなかった! やっぱ、ユニバースって繋がっていて、いい感じにしてくれるのね。

Tuesday, April 22, 2014

Breast Cancer 12

4月22日(火)、担当先生の紹介状を持って、ブレストサージャリークリニック さんへ行ってきました。

午前10時開院のところ、午前8時45分に予約を入れてもらっていました。←さすが、聖路加さんの紹介ですね。

まずは、院長I先生とのコンサル。パワポで、皮膚を伸ばすためのエキスパンダー(=組織拡張器)を入れた後の良い例・悪い例を見せていただきました。それから「魔の1ヶ月(=術後・エキスパンダーを入れた後)」の過ごし方についてアドバイスをいただきました。

その後、写真を数枚とってくださって、エキスパンダー(=組織拡張器)のサイズを決めてもらいました。←I先生、速かったです。暗号のように、ナースの方にサイズを伝えていました。わたしの乳房に触ることなく、サイズ決定です!

I先生とのコンサル後、ナースの方に、エキスパンダーを入れた直後から人工乳房(インプラント)を挿入するまでの流れの説明をしていただきました。とにかく術後1ヶ月は、飛んだり跳ねたりしちゃダメだそう。仕事については、1ヶ月半休みを取ってると伝えると、褒めてもらえました。とにかく、術後1ヶ月が勝負だそう。エキスパンダーに水を入れさえすれば、皮膚とエキスパンダーとの間の隙間がなくなるので、水がたまるやら何やらの問題はなくなり、飛んだり跳ねたりできるそう。

ここまでのコンサル、1時間強でした。半休をとっていましたが、1時間遅刻で出勤できるということがわかり、職場へ向かいました。午前中は良い天気だったし、サボりたい気分大だったんだけど・・・意外と真面目な性格です(苦笑)

さて、いよいよ、手術の段取りが整ってきました。エキスパンダーも用意されたようです。術後につける(=胸を固定するための)ブラも本日購入しました。あとは、手術までの数日間を心静かに、健康に過ごすだけです。

いや・・・入院の準備もしなくちゃね。シャンプーとかタオルとか、そういうのは部屋に用意されてるみたいだけど、パジャマ買ったりとかね、加湿器はいらないの? お湯沸かすポットとかは? 読み物? 音楽? DVD? 着替えは何日分?  

分からないことがたくさんあるので、明日、BFに相談します(苦笑)

Sunday, April 20, 2014

Breast Cancer 11

4月18日(金)、聖路加国際病院 さんへ行ってきました。執刀医のY先生とのコンサルということで、BFも一緒に行ってくれましたよ。Thank YOU!

午前9時半の予約でした。受付のところで、「8人の方が待っていらっしゃいます」と言われ、「こりゃ、1時間半待ちか・・・」とガックリ。前回、前々回、前前々回の経験から、それくらいの待ち時間は覚悟しなくちゃなと思いました。でも実際は、そうではありませんでしたよ。約30分後くらいには執刀医Y先生のオフィスに呼ばれました。(先生ご自身でドアを開けて迎え入れてくださいました。ありがたいです)

まずは、触診。右乳房だけじゃなく、左乳房も診察してくださいました。「自分でここってわかる?」と先生に聞かれ、「あ、はぃ、このあたりです・・・」とわたし。「痛みとかありますか?」と聞かれ、(針生検のせいか)痛みはあるんですけど、なぜか「ないです」と答えてしまいました。←え? なぜ?

触診の後、Y先生はとてもやさしい眼差しで、的確な説明をしてくださりました。

「がんは乳首・乳輪に向かって根を張っていくので、残さず取ったほうがいいでしょう」

「健康な乳房(左)は下垂しているけども、再建すると乳房(右)はそれより上の位置になるので、乳首・乳輪を残すと左右の(乳首・乳輪の)位置がずれます。それよりは取ってしまって後日再建したほうがいいでしょう」

「どこをどれくらい切るかは任せてください、前を大きく切るかもしれないし、前を小さく切って、横からエクスパンダーを入れるかもしれません。リンパへの転移があるかないかは手術してみないと分からないので・・・任せてください」

わたしもBFも、ポジティブな意味で、質門の余地がありませんでした。もちろん手術に対する漠然とした不安はありますけど、先生のカラダ全体から、「わたしに任せてください。大丈夫です」というオーラが出ていたので、もう「まな板の上の鯉」の覚悟ができました。

この後、乳腺科で看護師から手術の説明、入院手続き科で入院の説明・手続きを行い、病院を後にしたのは12時半くらい。←やはり、長かった(苦笑)

ランチは二子玉のお寿司屋さんへ。そこからの⇒蒲田のカラオケ屋さんからの⇒蒲田のスナック「霧島」さんからの⇒環八沿いの中華料理店「虎の子」さん。←何軒はしごしたのよっ! やりすぎよっ!

我ながら、「乳がん」患者とは思えない切れっぷりです。いや、「乳がん」を忘れたかったのかなと思ったりもします。この1ヶ月半くらい、「乳がん」しか考えてこなかったし、BFとの会話も「乳がん」ばかりだったから、こういう風に「乳がん」を知らない人たちと触れ合って馬鹿みたいに大騒ぎするってこと、とても良い機会でした。「息抜き」ってこういうことなのかなって思いました。

つきあってくれたBFには心から感謝です。蒲田のスナック「霧島」さんで、BFは女性陣にモテモテ。池上でスナックを経営していたというTさんからは特に熱烈ラブコール。「やだー! わたしの彼に触らないでー!」とヤキモチをやいたりすれば可愛いんだろうけど・・・いやー、とても誇らしかったです。玄人から愛されるって滅多にないことです。ウソの「好き」と本当の「好き」は、元水商売のわたしにはわかります。お姉さんから「好き」と本当に言われているBFと、ステキなBFと一緒にいられること、とても光栄に思います。いつもありがとう。

Wednesday, April 16, 2014

Breast Cancer 10

4月11日(金)と4月16日(水)、聖路加国際病院 さんへ行ってきました。

11日(金)
担当先生とのコンサルでした。BFが用意してくれた「先生に聞く質門」を持ってわたしひとりで行く予定だったのですが、わたしのヘコタレ具合を見て心配になったのか、急遽、BFも一緒に行ってくれました。 Thank YOU! ただ・・・前回、前々回同様、待ち時間が長かった! 予約は10時だったのに、呼ばれたのは12時半すぎでした(苦笑)さすがにもう慣れたとはいえ、参りました。コンサルは約15分、聞きたいことは全部BFが聞いてくれました。Thank YOU!

16日(水)
14日(月)の20時半ごろ、担当先生から電話があり、「乳腺科の先生方と検証した結果、左乳房の細胞検査をしたほいうがいいということになりました・・・明日か明後日、来ていただけますか」と言われました。翌日15日(火)の21時半ごろ、担当先生からまた電話があり、「明日の9時に予約を入れました。来ていただけますか」と言われ、今日16日(水)行ってきました。

受付のところで、「少々お待ちいただくことになってしまうかと思います・・・9時はすぎてしまうと思います」と言われ、「ちっ・・・また数時間待ちかよっ!」とやさぐれながら乳腺科の外の椅子に座っていたら、9時少しすぎ、担当先生が直々、迎えにきてださいました。Thank YOU! 

いつもとは違う部屋に案内され、まずは先週11日(金)に即答できなかった質門の答えを教えてくださいました。

Q1 オプション1
同時再建
一時再建(エキスパンダー挿入)を5月1日に併せてできるか。
A1 可能です。

Q2 オプション2
5月1日に摘出のみを行い、体力回復を待ち後日に一時再建(エキスパンダー挿入)を行う場合、保険は適用されるのか。されない場合の費用の目安は。オプション1と2、医学的にはどちらが望ましいか。どちらの事例が多いか。
A2 保険適用です。オプション2のほうが費用が増えます。聖路加ではオプション1が多いです。

Q3 オプション3
一時再建が良好に推移した場合、人工乳房ではなく、自家組織再建に切り替えられるのか。その場合、保険は適用されるのか。
A3 可能です。保険適用です。

Q4 オプション4
一時再建が良好でなかった場合に自家再建はできるのか。その場合、保険は適用されるのか。
A4 可能です。保険適用です。Note: 自家再建はすべて保険適用。

その後、乳房再建について、詳しく教えてくださいました。一番良いニュースは、2014年1月から、人工物(インプラント)による再建が保険適用になったということ! 前回のコンサルでは、「エキスパンダーは保険適用で約10万円、インプラントは実費で100万円くらい」と聞いていたので、「ぺしゃんこな胸でもいいかぁ・・・」とか、「飛行機乗って、アメリカ行ってインプラントいれたほうが安いかなぁ・・・」と思っていましたが、今回のコンサルではインプラントも保険適用で約20万円と聞き、エキスパンダーと合わせても30万円くらいで乳房再建ができるなら安いっ!と思ってしまいましたよ(←決して安くはないけどね・・・苦笑)

二番目によいニュースは、がんの位置からして、乳頭・乳輪を温存できそうだということです。もちろん手術中にやっぱり切除ということになる可能性もあるそうですが、これにはホッとしました。温存した場合の再発率は2%ということです。

乳房再建には、もちろん合併症やら何やらリスクがあることはありますが、でも「がん」だからって乳房をとってそれっきりっていうのは、ちょっと辛い。自分では最低でも毎日1回は眺めることになるわけですからね。

さて、長くなりましたが・・・今日の外来は、左乳房のエコー&針生検がメインでした。担当先生は40分くらいかけてエコー、15分くらいかけて針生検(太い針で3回)を。放射線科の先生が撮影したエコーと比較しながら、慎重に「あやしき箇所」を探っていました。針生検の前には、同じ乳腺科の先生にもダブルチェックをお願いしてくださいました。そうやって何度も何度も確認してから、局部麻酔をかけて、太い針でぶすっ!と3回。麻酔がきいているので痛くも痒くもありませんが、ピアスをあける器具みたいに、音だけは大きいので、これで3度目の針生検ですが、またもやビックリしてしまいました。

左乳房に刺した針のところには、絆創膏、その上に分厚いガーゼ、その上に肌色のテープが貼ってあります。明朝、これらを剥がした瞬間が楽しみです。きっと(また)ものすごく大きな痣になってるんだろうなぁ。

Monday, April 14, 2014

Breast Cancer 9

先日4月11日(金)の担当先生との再コンサルについて書こうと思っていた矢先・・・担当先生から電話がありました。

「夜分遅く申し訳ありません。実は、チームでMRIとエコー結果を検証した結果、左乳房の細胞検査をしたほうがいいということになりました。急で申し訳ないのですが、明日か明後日、来ていただくことは可能ですか」

わたしは頭が真っ白になりました。だって、左乳房は、2つの検査後、「問題なし」っていう所見だったでしょう。今更、「問題あり」って何よ・・・

もちろん先生にそんなことは言えませんので、「はい、明後日水曜日の午前中に伺います」と答えました。

というわけで、4月16日(水)、聖路加国際病院 さんへ行ってきます。結果は分かり次第、報告しますね。

Thursday, April 10, 2014

Breast Cancer 8

先週から今週にかけて、聖路加国際病院 さんへ通っていましたよ。

4月1日(火):放射線科の先生2名によるさらに精密なエコー
4月4日(金):担当先生とのコンサル
4月8日(火):婦人科での子宮筋腫のチェック

そして明日4月11日(金)は担当の先生との再コンサルです。

4月1日(火):放射線科の先生2名によるさらに精密なエコー
予定では30分でしたが、実際は1時間くらいかかったと思います。若手の先生がまずじっくり観てくださり、その後、「ダブルチェックです」ということで、シニアの先生が観てくださいました。先生たち、おふたりとも、右の乳房を見ているときに、何度も手がとまりました。何かマーキングをしているらしい瞬間がとてもこわかった。右の乳房に「がん」があるとはわかっていても、それでも何か他のものが発見されるんじゃないかって、とてもこわくなりました。ものすごく長い時間をかけて右の乳房を検査した後、左の乳房の検査。あっという間に終わるかと思いきや、ちょっと立ち止まったりする瞬間があって、その度にいろいろ考えちゃって、不安になりました。1時間という検査の中、時間配分はというと、右が9割、左が1割という感じでしょうか。


4月4日(金):担当先生とのコンサル
様々な検査の結果を聞くということで、BFが同行してくれました。 Thank YOU!
予約時間は10時半でしたが・・・結果、3時間くらい待ちました(苦笑)。大病院だからでしょうか、急患がいるからでしょうかと、何度も何度も自分を納得させようと思いましたが、元々待つことが苦手なわたし、そして病院が嫌いなわたしですから、どんどん機嫌が悪くなって、やさぐれてしまいました。Sorry…

この科が嫌いな理由は、待合室の雰囲気が、とにかく暗いんです。もちろん健康な人なんてたぶんこの病院には来ないでしょうし、何かしら「不安」や「問題」がある人たちが集まっていて、わたしを含め「病人」の「気」が充満している感じ。

ですが・・・「Good things come to those who wait」とあるように、私たちによいニュースがありました! もちろん「がん」であることに変わりはないのですが、わたしの「がん」はあまり悪い子ではないようで、ホルモン治療がかなり有効だということでした。

具体的には・・・浸潤がん、核グレード(スピード)は1〜3のうち2。エストロゲン受容体とプロゲステロン受容体は陽性で、0〜8のうち8.HERSタンパクは陰性。Ki-67(がんの悪性度)は23.4%(14%以下だと悪性度が低い)。リンパへの転移はなさそう。アメリカ人の、わたしと同年齢で同じがんをもつ人たちのデータによると、ホルモン治療をした場合の10年後の生存率は70%、ホルモン治療と化学療法をした場合は80%だそう。

4月8日(火):婦人科での子宮筋腫のチェック
13時の予約。担当の先生曰く、「一緒に(子宮筋腫)とっちゃいましょうか」ということで、診断をうけることになりました。初めてお会いした先生(女性)は、30代でしょうか・・・短髪で、細身、淡々と語り、検査がとても丁寧でした。今までたくさんの婦人科の先生に検査を受けましたけど、こんなに優しく、柔らかく、まったく緊張もせずっていうことはありませんでした。通常、いつも何からしら文句があるのですよ。痛い、硬い、冷たい、違和感等。これからもぜひお世話になりたいと思える先生でした。

先生曰く、「(乳がんと子宮筋腫を)一緒にとるっていうのを選択する人もいますけど・・・胸もお腹も痛いですよ。(子宮筋腫は)問題がないならとらなくてもいいものです。ただ、ホルモン治療をされるわけですよね? それで子宮筋腫が大きくなる人もいますので、こちらで観てもいいですし、今かかっていらっしゃる病院で経過を観てもらってもいいですし。とりあえず半年後に予約をいれておきます。それ以前に、今かかっていらっしゃる病院で、サイズが変わったと診断されたら、予約を早めてきてください」ですって。

いやはや、聖路加で赤ちゃんを産むだろう妊婦さんが9割っていう婦人科での検査でしたから、軽く凹むよね(苦笑)

さて、明日、4月11日(金)は、担当の先生との再コンサルです。ありがたいことに、BFが聞くべき事項を書いてくれましたよ。← わたしはたぶんきっと冷静に質門できないだろうということを想定して。Thank YOU! わたし、明日、がんばります!