Friday, May 30, 2014

Prayer

そうそう、書き忘れていましたが・・・

4月4日(金)、聖路加での担当医M先生とのコンサル後に、BFが明治神宮へ連れていってくれて、「病気平癒」の祈願をお願いしてくれました。 Thank YOU!

手術までの日々、憂うことなく、心にいつも平安がありますように。 
手術が無事に終わりますように、また、術後は一日もはやく回復しますように。

境内には、心地よい風が流れていました。 カラダの中の余計な力が抜けて、心が穏やかになりました。 不思議と涙がポロポロと流れてきました。 隣に座ってるBFも同様に、はらはらと涙を流していました。 「あぁ、この場所に、神様はいるなぁ」としみじみ感じました。

「病気平癒」の御札をいただいてから、約2ヶ月がたち、振り返ると・・・手術までの日々も穏やかに過ごすことができましたし、手術も無事に終わりましたし、術後は、心配されていたこと(例: 感染症、エキスパンダーの入れなおし、傷口の壊死等)は何ひとつ起こらず、経過は極めて良好です。 5月1日から約1ヶ月、休職していましたが、来週月曜日(6月2日)より職場復帰することとなりました。 ありがたいことです。

職場復帰すれば、午前中の早い時間に散歩したり、ランチにビールを飲んだり、化粧なしで1日過ごしたり、携帯ゲームをしたり・・・そういう「自由」はなくなりますが、今まで感じたことのなかった「仕事ができる喜び」を感じられるのではないかと思います。 また、今回、人生初・入院/手術/休職したことにより、いろいろなことを学びました。 きっとこれも、これから仕事をする上で、またこれからの長い人生、生きてくるんじゃないかと思います。

さて、最近、毎朝、近所の池上本門寺へお参りに行っています。 当初はリハビリもかねて散歩してたのですが、ここ数日は、お参りをするために行っていると感じています。

山門の前で一礼し、長い階段を登り、手水舎で身を清め、本堂の入口でまた一礼、お賽銭を入れ、「感謝」のキモチ(&お願い)を伝え、そして本堂を出る際に一礼、長い階段を降り、山門を出たところでまた一礼。

キリスト教も神道も仏教も、神様は、私たちに必要なものはしっかり分かっていらっしゃると思いますので、お願いごとはほんのすこし(例: 家族、親族、友人皆、健康でありますように・・・)で、メインは、日々の感謝のキモチを伝えるようにしています。 

下記の写真撮影は、いつもの素晴らしい写真家=努力家のBFです。

4月4日(金)
聖路加タワーの下、カラダにいいと言われている「アサイー」ジュースを飲んでいます。 いやぁ、酸っぱくて、不味かった(苦笑)


明治神宮での祈願を終え、清々しいキモチで空を見上げると、美しいこの国の国旗が風にたなびいていました。 天皇陛下が日々、この国の民の幸せのためにお祈りしてくださっているということをかみしめ、本当にありがたく、陛下のお心に常に平安があるためにわたしには何ができるかと考えた時、それは、健康であるということだと感じました。
 

手術をしてくれた執刀医Y先生、何度もコンサルしてくれた担当医M先生、新しい胸を作ってくださる形成外科医I先生に、感謝。今までも、今も、これからもきっと、いつも側で支えてくれているBFに感謝。 わたしに命を授けてくれた先祖代々、両親に感謝。 わたしと同じ時代を生きて支えてくれている妹弟、親族、友人・知人に感謝。 休職中、わたしの帰りを待ってくれていた上司・同僚の皆様に感謝。 その他、今日までわたしの人生に関わってくれた全ての人に感謝。

皆様、本当にありがとう。

Wednesday, May 28, 2014

Breast Cancer 19

5月11日(土)
ブレストサージェリークリニック

聖路加を退院するとき、「退院後1週間〜10日以内に、ブレストサージェリークリニックへ行ってください」と言われたので、その通りに行ってきましたよ。 看護師さん、わたしの胸を見るなり、「とてもきれいですよ」と言ってくださって、ホッとしました。 院長I先生も、「(エキスパンダーの)位置、いいですね。 わたしが、『もしうまく(エキスパンダー)が入ってなかったら、取り出してやり直してあげますからね』って言ったの、執刀医Y先生に聞こえちゃったかしら? Y先生、(キレイに出来たって)自画自賛してたでしょう! 毎日見にきたんじゃない?」と。 確かにY先生、毎日訪室してくださいましたけど・・・わたしの術後の経過を心配してのことだと思います(苦笑) 特に問題がないということで、傷にそって貼ってあったテープを、貼り直していただいただけで、終わり。 

5月20日(火)
聖路加国際病院

BFもお休みをとって同行してくれました。 Thank YOU! 退院からそんなに時間もたっていないというのに、わたし、本当にここに入院していたのかしら? 本当にここで手術もしたのかしら?という感じ。 入院中は、院内をあちこち歩きまわって、そこかしこに、わたしの「気」をつけまくっていましたが、その「気」はとっくに消えてなくなってしまっていて、初診の時に感じたようにまた、「居心地」の悪い感じがしました。 悲しいような、嬉しいような、複雑な気持ち。

執刀医Y先生とのコンサルでは、術後に伺ったお話とほぼ同じお話を伺いました。 がんは3㌢ほど、グレードは2、センチネルリンパ腺への微小転移(2㍉以下)あり。 この状態、昔ならば、(再発のリスクを考えて)抗癌剤治療はマストだったようですが、今は、「オンコタイプDX」という、切り取ったがん細胞の遺伝子を調べることにより、再発の可能性と抗癌剤の治療効果を予測ことができる検査があるとのことで、すぐに抗癌剤治療というわけではありませんでした。 

さてこの検査、保険がききません。 とても高額(44万円)ですので、全ての人が、「はい! やります!」とはならないとは思います。 でも、わたしのように、抗癌剤に対して「ぜったいにイヤ!」と拒否反応を示していて、なおかつ、ちょっと頑張れば支払可能な患者(=支払をサポートしてくれる優しいBFがいる人間)に対しては、オススメしてくださるようです。 執刀医Y先生から、「これ、やったほうがいいと思うんですけど・・・いいですか?」って言われたら、「お願いします」っていうしかないですよね(苦笑) というわけで、この検査をすることとなりました。 ただこの検査の代金の支払、なんと! 聖路加の「ギフトショップ」なんですよ!!! 衝撃的すぎます。 (下記、写真参照)

さて、この日一日、たくさんの写真をBFがとってくれました。 ←努力家の写真家です。 Thank YOU!

受付は、1階にあるこの機械で行います。 


受付を済ませ、乳腺科のある2階へ。 何度も何度も何度も何度も乗ったはずの、エスカレーターさえも今はなつかしい!


ブレストセンター@2階。 番号29=にく(肉)だね。← 不謹慎です。


オンコタイプDX検査の支払は、なんと、会計@1階ではなく、ギフトショップ@1階でした! なんで? まったくわかりません。 この紙にはたくさんの高額な検査がリストアップされていましたから、わたし以外にもたくさんの方がギフトショップでクレジットカードを使って高額な検査の支払をしたことでしょう。 


聖路加でのコンサルが終わった後は、BFがランチ@二子玉川の玉姫へ連れていってくれましたよ。 Thank YOU!

今回いただいたのは下記のとおりです。

お刺身盛り合わせ(ヒラメとなんだっけ?) 
どちらも甘くて、脂が乗っていて、美味しかった!


煮あさりを注文したのですが、状態があまりよくないということで、こちらをいただきました。 アジ(かしら?)南蛮漬けと昆布


天ぷら盛り合わせ


ホタテのヒモを炙ったものをサービスでいただきましたよ。 美味しかった!


おつまみ玉子焼き


ここからのにぎりは、BFがいただきました。




おつまみでサーモンを!といったら、ワイン(白)にあうようにとこんな洒落たものを出してくださいましたよ。


食べて飲んで・・・いつもの酔っぱらいです。 オーガニックのヘアオイルを買うのですが、レジが混んでいて。 暇を持て余したらしく、踊ってます。


踊ってます。
(どこにもつかまってないです。酔っぱらいのわりに、バランスいいです)


まだ踊ってます。


えいっ!



5月23日(金)
ブレストサージェリークリニック

傷口もキレイ、皮膚も十分のびたということで、食塩水を入れていただきました。 「まだまだはいりますよ」と看護師さん。 結局、注射器7本分、140ccを入れていただきました。 深呼吸をするとちょっと重い!というくらいがいいようです。 次回は来月22日(日)、また皮膚が伸びたところで、またもっと食塩水を入れる予定です。

この後、BFと、「雲海」@ANAインターコンチネンタル東京で待ち合わせして、ランチをすることになりました。 Thank YOU!

今回いただいたのは下記のとおりです。 撮影はいつもの素晴らしい写真家=努力家のBFです。 Thank YOU!

松花堂弁当をいただきました。 季節の食材をつかってます。 大好きな人と美味しくいただく食事っていうのは、カラダにいいですね。 カラダの中の細胞ひとつひとつが喜んでいると感じましたよ。 ありがたいことです。 ありがとうございます。











Friday, May 16, 2014

Breast Cancer 18

5月5日(月)
「退院」

午前3時半
入院中は毎日、この時間に目が覚めました。 テレビを見て(ほぼ全局ショッピングチャンネルですが・・・)、日が登ってくるのを待っていました。

 午前5時18分
地震。 最大震度5弱(千代田区)。 建物が横にゆらゆら揺れて、ギシギシときしむ音がして怖かったです。 揺れが収まった後、病室の引き戸を開け、廊下を見渡すと、看護師さんたちが病室を回り、患者さんたちの無事を確認していました。 「大丈夫ですか?」と声をかけてくださった看護師さんに、「大丈夫です」とわたし。 

午前5時半
BFから、「だいじょうぶ?」とメッセージ。 嬉しかったです。

午前8時
BFが、着替えの洋服を持って迎えにきてくれました。 Thank YOU!  最後の食事=朝食を一緒に食べましたよ。 

午前9時
担当医M先生が、(たぶんきっとお休みだというのに)様子を見にきてくださいました。 入院中、担当医M先生、執刀医Y先生の訪室は、毎日ありました。 術後の経過がいいと、先生方に言っていただき、とても安心しました。 

看護師さんより、「退院指導計画書」の説明がありました。 退院1週間以内に、形成外科の予約をとること、抗生物質は最後の1錠までしっかり飲み切ること、胸は揺らさないこと等、確認しました。

身支度も終わり、残すは、病室内の「忘れ物チェック」だけです。 晴れ晴れとした笑顔です。 (撮影は、いつもの素晴らしい写真家=努力家のBFです。 Thank YOU!)



午前10時 
廊下ですれ違った看護師さん2名に、「お世話になりました。ありいがとうございました」と挨拶し、BFと一緒に退院手続き・会計@1階へ。 

(自己負担)費用合計は、297,445円。 内、室料は、180,000円。 手術(麻酔+病理検査含む)は、52,473円。 術前・術後診察(アイソトープ検査+投薬/処方+医学管理費含む)は、24,496円。 食事は、3,380円。  

支払には、BFが用意してくれた「入院時一時預かり金(20万円)」を一部充当し、残りも、BFが支払ってくれました。 Thank YOU! 

午前11時
自宅近所のデニーズにて早めのランチ、BFはハンバーグ、わたしはパスタを頂きました。 入院中は(もちろん!)禁酒していたので、数日ぶりにビールを頂きました。 美味しかったですよ! 


ただいまー! 

入院中ずっと一緒にいてくれたリラと。 やっぱり家はいいなぁ。

振り返ればあっという間の、人生初・入院生活でした。 忙しい中、毎日面会にきてくれたBF、毎日訪室してくれた執刀医Y先生・担当医M先生、昼夜問わず毎日看護してくれた看護師の皆さん、大変お世話になりました。 ありがとうございました。

・・・・とこれで全てが終わったわけではありません。 右乳房の再建もありますし、「乳がん」は、「全身病」なので、今後は薬物療法(化学療法・内分泌療法・抗体療法)などの治療が必要になる可能性があるからです。

針生検で細胞検査をした結果、わたしの「がん」には抗体療法は効果ゼロですが、内分泌療法(抗ホルモン療法=女性ホルモンが働かないようにする治療法)は効果大とのことですので、内分泌療法を受けることは視野に入っています。 化学療法は、今のところ受けるつもりはありません。 だって、化学療法でがんが根絶できる!わけではないようですから。 内分泌療法についても、これを受ければぜったいに再発しない!というわけではないようですから、本当はやりたくはありません。 

過去、わたしと同じような「がん」の人たちが、薬物療法を受けたとき、受けなかった時の「生存率」データによると、化学療法と内分泌療法の療法を受けた時の「(10年後の)生存率」は80%、内分泌療法だけだと70%だということですが、これはあくまでも統計で、「生存率」であって、「再発ゼロ」ではありませんし、「QOL(クオリティー・オブ・ライフ=生活の質)ではありません。 

それに、わたしはわたし、他の人とは違います。 それと同じで、わたしの「がん」は他の人の「がん」とは違うのです。 だから、統計でなんて、わたしの「生存率」が測れるもんか!ってことくらい、子供だって簡単にわかりますよね。 

さて、来週20日(火)は、執刀医Y先生とのコンサルがあります。 術後の経過チェック、病理検査の結果、今後の治療についてのお話があると思います。 

また報告しますね。

Sunday, May 11, 2014

Breast Cancer 17

5月3日(土)
「術後2日目」

午前3時半
ドレーン以外の管は全て取れたので、自由に動きまわることはできますが、この時間に起きても、外はまだ暗いですし、テレビはほぼ全局ショッピングチャンネルですし、売店は開いていないですし・・・やることがなくて参りました。 前夜の夕食が午後6時と早いので、お腹もすきました。(前日、BFが買ってくれた鮭のおにぎりを食べました。 Thank YOU!)

午前6時
看護師さんの訪室(検温、血圧検査、傷のチェック等)。

午前7時半
BFがきてくれました。 Thank YOU!

午前8時
朝食。BFが購入してきてくれたサンドイッチも食べちゃいました。 Thank YOU!

午前9時
看護師、医師の訪室。 ドレーンから出てきている液は黄色で、血液が混じらなくなってきました。看護師さんいわく、ゴールデンウィーク最終日には退院できるかもとのこと。

午前10時
地下の売店でパジャマ(半袖)購入。 スターバックスでアイスコーヒー購入。

午後2時〜
看護師さんに、シャンプーをしてもらいました。 これまでは、BFが、「洗わないシャンプー」で、髪の毛をキレイにしてくれていました。Thank YOU!

終日
やることがとにかくなくて・・・院内をぶらぶらして過ごしました。 ガーデン@6階や、地下1階の売店や、1階の売店、スターバックスなど。

5月4日(日)
「術後3日目」

午前3時半
起床時間はほぼ同じです。 前日に夜食(朝食?)を買い忘れたので、黒胡椒おせんべいを食べて、空腹をしのぎました。 

午前6時
看護師さんの訪室(検温、血圧検査、傷のチェック等)。

午前7時半
BFがきてくれました。 買ってくれた(これまで着ていた)パジャマを洗濯してくれました。 Thank YOU!

午前8時
BFと一緒に朝食。 

午前9時
突然、女医3名の訪室。 「今からドレーンを抜きます。 (ベッドに)横になってください」 言われたとおり横になると、「ちょっと変な感じがしますよ」 そう言って、女医#1がドレーンの管をにゅるっと抜いてくださいました。 尿道カテーテル同様、例えるならば、タンポンを抜くときの感じ。 にゅるるるる・・・。 抜いたところに、テープみたいなものを貼り、その上に数枚重ねたガーゼを貼ってくださいました。 「明日、退院です」と女医#2。 わたしが、「へ? あのでも、まだ、あの・・・」と訳の分からないことを口走ると、女医#3が、「ドレーンから出ている液も60㍉から30㍉に減りましたから、大丈夫です」と。 あまりの急展開に気持ちがついていきませんでした。 とにもかくにも、超人的な回復力で、翌日退院ということが決定しました。

午前10時
執刀医Y先生訪室。 胸の傷口に貼ってあったオブラートみたいな膜を剥がして、縫い目にそって肌色のテープを貼ってくださいました。 術後の経過はとてもよいとのこと。

午前12時
昼食。 ずっと麺が食べたかった! テレパシーが通じたのかしら? お蕎麦、美味しかったです。 それよりも、えび団子、美味しかった! 



午後1時
母が面会にきてくれました。 翌日退院だから来なくてもいいよとは言ったんですけど・・・母は東京に来たかったようです(苦笑) 

午後2時
看護師さんの訪室。 ドレーンの管を抜いた後、ガーゼを貼っていたのですが、それを取って、なんとバンドエイドを貼ってくださいました。

そうそう、術後1日目に、BFが、リラを連れてきてくれたのです。 Thank YOU! 痛みに強いわたしですが、やっぱりちょっとは痛かったのと、右側に寝返りを打てなかったので、リラが横で寝てくれることは、とても助かりました。リラは、医師、看護師の方々に大人気でしたよ。 担当医M先生は、リラがベッドでだらーんと寝ているところを目撃し、「あ、リラックマ、寝てる!」って言ってました。



終日
翌日退院と思うと、感慨深く・・・看護師さんたちからは、「え? もう退院しちゃうの?」っていう声もあって・・・寂しがっていただけるってこと、嬉しかったですけど、でも「またきます!」とも言えないですよね(苦笑) 

今回の入院・手術の経験から、学ぶことはたくさんありました。 

ひとつは、「頼る」こと。 術後1日目、管がたくさん入っていて、自分ひとりでは何もできませんでした。 たくさんの人がわたしのためにたくさんのことをしてくれる。 それを受け入れること。 感謝すること。

もうひとつは、なんか「自信」がつきました。 化粧もしてない、きれいな服も着てない、いい香りもしない、おっぱいは片方ない・・・というわたしですけど、たくさんの人がわたしを大事に扱ってくれました。 ←サービス業だからでしょう!といえばそれまでですけどね(苦笑) BFが言っていましたが、わたしの病室からはいつも笑い声が聞こえていたんですって。 確かにいつも、看護師さんたちと、とりとめのない会話をして、笑っていました。 今のままでいい! 飾らなくても、人を魅了する「力」がわたしにはある! と思いましたよ。 

さて、次回は、5月5日(月)「退院」について書きますね。

Saturday, May 10, 2014

Breast Cancer 16

5月2日(金) 
「術後1日目」

午前3時半
前夜は、テレビを見ながら麦茶を飲むこと以外にすることがなく、午後9時くらいには自然と眠くなり、寝てしまったので、目が覚めるのは早かったです。 カラダに入っている数本の管のせいで、自由に身動きをとることはできなかったので、ベッドの上部や下部を上げたり下げたりして、ベッドとカラダの接地面を微妙にずらして、痛みを軽減しようとしていました。 前夜同様、テレビを見ながら麦茶を飲むこと以外にすることがなく、ただひたすら時間が経つのを待っていました。 傷口の痛みは、0〜10のスケールで3くらい。

午前5時半
看護師さんは、患者さんの病室を回り、声をかけて起こしているようでした。 「おはようございます!」と言うと、「おはようございます。 早い(起床)ですね」と看護師さん。

午前6時
看護師さんによる検温、血圧、尿量のチェック。 どれも問題なし。 

点滴のチューブをみじかく切って封印した様子。手の甲には点滴の針が刺さったまま、みじかく切ったチューブと一緒にネットで固定。 管、ひとつ抜けた!

午前7時
BFが来てくれました。 Thank YOU! 

午前7時半
看護師さんが尿道カテーテルを抜いてくださいました。 「ちょっと変な感じしますよー」といいながら、スルスルと。 例えるなら、タンポンを抜く感じで、にょろっと出ていきました。 管、ふたつめ抜けた!

午後8時
待ちに待った、断食36時間あけの、食事です。 おかゆがメインで、メロンと、おかずは1〜2品だったような・・・(覚えていません) BFと一緒に少しずつ少しずつ食べました。 

午後9時半
看護師さんが、手の甲に入っていた点滴用の針を抜いてくださいました。 あとは、胸の下に入っているドレーンが抜けるのを待つばかりです。 (後日、この手の甲の点滴後は、想定通り、青あざになります 苦笑)

午後10時
BFと一緒に、6階にある院内ガーデンへ。 下記の写真の撮影は、素晴らしい写真家=努力家のBFです。 術後1日目とは思えない、ものすごく元気なわたしを撮ってくれました。 Thank YOU!

良い笑顔です。 (首から下げているのは、ドレーンの先、血液やら浸出液やら何やらがたまるバッグです)


いやー、シャバの空気はいいなぁ。 ビールが飲みたいな、おぃ。


桜の季節に、聖路加タワーをバックに、隅田川のほとりで撮影した写真があります。 この写真は、そのバージョン2で、タワーの反対側での撮影です。


午後12時
昼食メインは、お魚。 BFのランチは、1階の売店で買ったお弁当。 一口、二口、交換して、美味しくいただきましたよ。

午後1時
(乳がん経験者)ボランティアの方が訪室してくださいました。 彼女は現在57歳。 可愛らしいネイルをして、品の良い服装、アクセサリー。 年令よりも若く見えます。 彼女は、44歳の時に手術(全摘+リンパ節切除 ←当時はこれがデフォだったよう)、13年後の今、再発はしていないそう。「あれはダメ、これもダメ」ということを自分にかすことなく、好きなものを飲食し、好きな運動(ゴルフ)をしているそう。 

「わたしち(=乳がん経験者)は、これからもずっと(乳がんの)再発のリスクと共存していかなくてはなりません。 わたしも今日までずっと、定期的に検査をし、その検査の前日は毎回とても落ち込むし、検査結果を聞く日は毎回不安になります。 でも、『再発するかもしれない』と恐れながら生きるのは、つまらないでしょう。 再発したらしたで、その時、考えればいいし、素晴らしい先生方に対処をお任せすればいいんです。 それまでは、思いっきり『生きる』んですよ」

午後2時〜
BFと一緒にお昼寝。 

午後6時
夕食の献立は・・・覚えてません! でも美味しかったことは覚えていますよ。

午後7時〜
担当医M先生の訪室。 傷はキレイだとのこと。 (胸と腕を)動かしてはダメですよ!とのこと。 看護師さんいわく、ドレーンから出てきてる液の色が薄くなったとのこと。

さて、次回は、5月3日(土)〜4日(日)「術後2〜3日目」について書きますね。

Thursday, May 08, 2014

Breast Cancer 15

5月1日(木)
「手術」

午前0時
(就寝中)絶食スタート

午前3時半
(起床)前夜午後9時半くらいに寝たせいか、午前3時半には目が覚めてしまいました。(これ以降しばらく、この就寝・起床パターンが続いています) 日の出が早くなったとはいえ、外はまだ真っ暗。 テレビをつけると、全ての局がショッピングチャンネル状態。 

午前5時
「アルジネードウォーター」を2本飲みました。

午前5時半
シャワーを浴びました。 手術後は、カラダのあちこちに「管」が入るらしく、それが抜けるまではシャワーを浴びれないとのことだったので、いつもより丁寧に洗いました。 なんだか「儀式」みたいな感じ。

午前6時
看護師さんが検温と尿量のチェックにやってきました。

午前6時半
絶水スタート

午前7時〜7時半
BFがきてくれました。 顔をみた瞬間、なぜだか分からないけど、ちょっと泣きそうになってしまいました。 というタイミングで、母親から電話があり、一言、二言、話したら、「これから成田を飛び立ちます、異国の地での生活が待っています、がんばります」みたいな気持ちになって、これまたちょっと泣きそうになってしまいました。 電話を切って、BFの顔を再び見ると、涙がポロリ。 不安じゃないのに、怖くないのに、気持ちとはうらはらに涙が出てきちゃうなんて・・・不思議な感覚。

看護師さんが持ってきてくれた手術着(ローブ+紙ショーツ+弾性ストッキング)に着替えました。 ピンクのローブ、白の紙ショーツ、白のストッキング(ニーハイ)という組み合わせは、ちょっと色っぽい。 ローブの裾をヒラヒラさせて、ストッキングやショーツを見せるという遊びをして、BFを困らせました。

執刀医Y先生が訪室してくださいました。 「どうだい? 眠れたかい?」 先生はいつもどおり、とても穏やかでやさしい口調。 すると先生は、油性マジックペンで、わたしの上半身に、サラサラと何やらかきはじめました。 どうやら、左右の乳房の位置のマーキングをしてくださったようです。 出来上がったものを鏡で見ると・・・今から「腹踊り」でもするような、なんとも面白い図になっていましたよ。

午前8時15分〜8時半
看護師さんが迎えにきてくれたので、看護師さん、手術着を着た私、私服のBFという御一行様で、手術室@2階へ向かいました。 手術室の待合室で、BFとはしばしのお別れです。 熱い抱擁、涙のキスなどあるかとおもいきや・・・かなりサラッとした感じで別れましたよ。 

手術室に足を踏み入れると、部屋の真中に手術台があって、その回りには機材が、所狭しと置かれていました。 医師・看護師(10名くらい)は全員女性で、えんじ色の手術着を着ていました。 

手術の同意書を再確認した後、手術台へ。 横になったわたしの左右に1人ずつ、頭のところに1人が立っていました。 小さなボリュームで、90年代の流行歌(シャ乱Q、T−BOLANなど)が流れていました(←いったい誰のチョイスなのでしょう?) 

わたしの右にたっている人が、血中酸素濃度計をわたしの右手につけ、頭のところにたっている人が、脳波測定器をわたしの額につけ、左にたっている人が、点滴用の針をわたしの左手の甲につけ、その後、右手と左手を軽く固定されました。 ここまでのひとつひとつの作業を、全部きちんと説明してからしてくださったので、わたしは不安を感じることなく、とてもリラックスしていました。

頭のところにたっている人が、酸素マスクを、わたしの鼻と口を覆うように、軽く被せました。「ゆっくり深呼吸してください」と言われ、そのとおりにゆっくり深呼吸をしました。 わたしは閉所恐怖症なので、マスクをギュッと被せられたらパニクってしまったと思いますが、顔とマスクの間に微妙な隙間を作ってくれていたので、落ち着いて深呼吸を繰り替えることができました。 

左にたっている人が、「麻酔を入れていきます。 ちょっと押されるような感じがしますよ」と言うのを聞き、いよいよだなと一瞬緊張し、わたしの右にたっている人の、わたしの右手を握ってくれているその手を、ぎゅっと握ったことが、手術前の最後の記憶です。
 
午前11時20分
「タニグチさん、終わりましたよ」という執刀医Y先生の声で目が覚めました。 「大丈夫ですか? 今、声はでませんよ」という先生に、「はい、大丈夫です」と答えようと思いましたが、先生のいうとおり声がでません。 と次の瞬間、先生が気管内チューブをスルッと抜いてくださって、声がでるようになりました。 あらためて問いかけてくださる先生。「大丈夫です。 夢を見ていました」と答えるわたしに、「何の夢をみていたんですか」と先生。 「築地でお寿司を食べている夢でした」とわたしがいうと、「そういう患者さん、多いんですよ(苦笑)」と先生。 後で思ったのですが、手術中に、築地でお寿司を食べる夢をみる患者さんなんて、皆無なのでは? 優しいY先生のことですから、会話を合わせてくださったんですね。 先生、ありがとうございます。

手術室のすぐ横にある回復室に移動して、10分〜20分過ごし、容態が安定していることを確認した後、ストレッチャーで病室へ。 

病室に到着した瞬間、心配そうなBFの顔がチラッと見えましたが、わたしの意識がとてもハッキリしていることと、あまりにも元気よくたくさん話していることに驚き、どうやら拍子抜けし、すぐに安心した様子でした。 (ご心配おかけしました。 Thank YOU! )

ストレッチャーからベッドへの移動の際、「わたし、重いよ。大丈夫?」と、2人の看護師さんに声をかけたんです。 すると看護師さんたちは、「大丈夫です!」と自信満々に答えたんですが・・・実際、大丈夫じゃなかったんです(苦笑) 結局、ナースコールで3人目の看護師さんを呼んで、3人がかりで移動させてもらいました。 ちょっと恥ずかしかったよ。 

午前12時
わたしのカラダには、たくさんの管が入っていました。 鼻には酸素チューブ、左手(甲)には点滴、摘出した右乳房(=エキスパンダーが入ったところ)の下にはドレーン、そして尿道カテーテル。 術後当日はベッド上で安静ということですが、こんなにたくさん管が入っているのですから、身動きがとれないので、安静にせざるを得ません。 

そうそう、病室に戻ってきてすぐ、手術が無事に終わった旨、わたしの母親と上司に、BFがメール代筆、送信してくれましたよ。 母も上司も安心したようでした。 Thank YOU!

午後1時半
酸素チューブが外れました。

午後3時半〜
術後4時間がたち、飲水オッケーとなりました。 当日午前6時半以降、何も飲んでいなかったので、喉はカラカラ。 ゴクゴクゴクゴク・・・と麦茶を飲みました。 とても美味しかった! 前日午後6時以降、何も食べていなかったので、お腹はペコペコでしたが、食事は翌日午前6時まで食べられません。←36時間ダイエットです。

術後、傷の痛みは、そんなに強くでませんでした。(一番痛かったのは、0〜10のスケールで、5くらい、術後当日の夜でした) それよりも、ずっと同じ姿勢で横になっていたので、硬い枕(そばがら)と接している後頭部、硬いベッドと接している背骨、尾てい骨、むくんでいる両足が痛かった! 「痛い、痛い」というわたしのために、枕を取って頭をさすってくれたり、腰を押してくれたり、足のマッサージをしてくれたり、手厚く介抱してくれたBFには、心から感謝です。 本当に助かりました。 Thank YOU!

さて、次回は、5月2日(金)「術後1日目」について書きますね。

Wednesday, May 07, 2014

Breast Cancer 14

おかげさまで、5月5日(月)、聖路加国際病院 さんを退院しました。BFが着替えをもって迎えにきてくれましたよ。Thank YOU! 

4月30日(水)
「入院」

午前10時〜12時
BFが迎えにきてくれて、車で病院へ。 

1階入院受付で、必要な書類を提出と、BFが用意してくれた(Thank YOU!)入院時一時預かり金(20万円)を渡し、さあ入院手続きは終了と思ったら、「健康保険限度額適用認定証」がないことが判明。これがないと退院の際の支払いが高額になってしまう・・・と焦る私。するとBFが、保険組合(@銀座)の窓口で申請手続きをしてきてくれると! Thank YOU! 

入院手続き終了後、手続きをしてくれた女性が部屋(7階、727号室)まで案内してくれました。 「まるでビバリーウィルシャーみたいね」と私とBFのテンションはちょっとアップ! 

大きなクリーム色の引き戸(丸い小窓付き)を開けると、左手にクローゼット、正面にクリーム色のカーテンがあります。カーテンを開けると、正面にシングルベッド、右手にトイレ・シャワー、その隣には独立洗面台、左手には大きな窓(ロールカーテン付き)があります。 あいにくの雨でしたが、窓からは隅田川が見え、高層ビルの合間に緑がたくさん見えました。 「ニューヨークのアッパーイーストみたいね」と私とBFのテンションはまたちょっとアップ!


看護師さんより、「入院からの流れ(入院当日〜手術当日〜手術〜手術後〜手術翌日)」の説明、問診、体重測定、検温、血圧測定等があり、その後、麻酔科医とのコンサルのため、麻酔科@4階へ。(このタイミングでBFは保険組合@銀座へ向かってくれました。Thank YOU!)

麻酔科医M先生(男性・50代後半)はとても優しい口調でお話してくれました。 「次々と検査で、ベルトコンベアーに乗ってるみたいで、考える時間がないでしょう? このご時世だからリスクの話をしなくちゃいけないけど、心配することないですよ。わたしがもし女性(で乳がん)だったら、この病院で手術をすると思いますよ。Y先生は年間1,000件も(手術)してるから、安心ですよ。お酒を飲む人は麻酔が効かないっていうけど、そんなことないですよ。寝てる間に終わりますから、心配ないですよ」

麻酔科から戻ると、BFもちょうど保険組合から戻ってきたところでした。6ヶ月有効の「健康保険限度額適用認定証」をゲットしてくれました。Thank YOU!  わたしはそれをすぐ受付に提出、その間にBFは車を移動(←病院地下の駐車場の料金は異常に高いのです!)

そうこうしているうちに、昼食の時間になりました。 (入院中の食事タイムは、朝食8時、昼食12時、夕食18時です) 下記は、入院当日の初・食事(昼食)です。 お魚の天ぷらは少々固かったけど、煮物や和え物はとても美味しかったですよ。 牛乳は苦手なので、りんごジュースに変更してもらいました。(以後ずっと、りんごジュースでした)


午後2時〜5時
術前検査(センチネルの注射と撮影)があるということで、B1階19番核医学室へ。 BFが付き添ってくれました。 Thank YOU! 入口で下履きからスリッパに履き替えるのですが、そのスリッパが衝撃的! なんと黄色地に放射能マークなのです! それもそのはず、この検査(=アイソトープ検査)では、検査薬(=放射性同位元素)を、乳頭近くに注射するからなのです。 注入後一旦部屋に戻り、約1時間半後(午後3時半すぎ)、ガンマカメラ(MRIみたいな形)でセンチネルリンパ節の撮影のため、再び検査室へ。 撮影は約2分くらいで終了。 

部屋でまったりしていると、担当医M先生、執刀医Y先生が訪室してくださいました。 嬉しいサプライズ、安心しました。

午後6時〜
夕食(下記)が運ばれてきたタイミングで、BFは帰宅。 朝からずっと一緒にいてくれて、いろいろ助けてくれて、心強かったし、ありがたかったです。 Thank YOU! 食後、看護師さんに言われたとおり、「アルジネードウォーター」を2本飲みました。 味は、ポカリスエットみたいで、飲みやすかったですよ。 



シャワーを浴びて、BFが買ってくれたパジャマとカーディガンを着て、窓に映る私をセルフィー! 翌朝(約12時間後)手術だというのに、心身共にリラックスしていると感じました。 ずっと支えてくれているBF、そして信頼できる先生方、優しく親切な看護師の皆さんのおかげです。 感謝です。 


「眠れなかったら言ってくださいね、睡眠薬を出しますので」と看護師さんに言われていましたが、消灯時間(午後9時)には自然と眠くなり、睡眠薬は不要でした。

さて、次回は、5月1日(木)「手術」について書きますね。