Sunday, February 07, 2021

I AM LOVED

保育園に通っていた頃、毎日とても寂しかったことを覚えています。お友だちはお迎えがきて次々と帰っていく中、私は、大きなスヌーピーのぬいぐるみと遊んだり、オルガンを弾いたりして、母が迎えに来るのを待っていました。それでもなかなか母はこなくて、待ちくたびれて、まだかまだかと、保育園の門の横にある木に登って待っていました。そして母の姿を見つけるとすぐに遊戯室に走り戻り、何事もなかったかのようなふりをしていました。「綾ちゃん、お母さんお迎えにきたよ!」と先生に言われて、本当は小躍りしたい気分なのに、「あ、そう」なんて子供ながらに平静を装っていました。本当は甘えたかったけど、お母さんは仕事で疲れているし、ご飯の支度もあるし、妹の世話もしなくちゃいけないし、私がはしゃいで騒ぐとおばあちゃんやお父さんにお母さんが怒られてしまうから、我慢していました。本当はとても寂しかった。妹はおばあちゃんと一緒に家にいられるのに、なんで私は朝から晩まで保育園に行かされるのかな、なんでお迎えが一番最後なのかな、もしかしたら私は要らない子なのかな、愛されていないのかなと、幼子心に思ったりしていました。小さな子どもだった私は、毎日寂しくて、小さな心は毎日傷ついていました。

両親は当時、今の私よりはるかに若く、仕事と子育てを両立しようと必死だったんだと思います。両親が休みの日には、あちこち連れていってくれたことをよく覚えていますし、たくさんの写真が残っていますし、写真の中の両親はとても優しく私を見つめていて、私を愛してくれていたんだということはひしひしと伝わってきます。もし両親が愛してくれていなかったら、私は生きてこれなかっただろうし、両親のおかげで今日まで生きながらえることができたんだということは、今の私にはわかります。でも、当時の幼い私にはそれがわからなかったんだと思います。そして勝手に傷ついてしまったんだと思います。

幼少期でなくとも、成人してからでも、傷を負ってしまった心が癒えるのには、とてつもなく長い時間がかかるように思います。こうして今、幼少期を振り返ってこのブログを書いている最中、自然と涙がポロポロとこぼれてきます。朝の7時47分ですよ、シラフなのにですよ。

傷が完全に癒える日はくるのかしら。それはわからないけど、希望はあります。ゆっくり確実に着実に癒えていると感じていますから。全てはこの約11年間、ほぼ毎日一緒にいてくれているBFのおかげです。雨の日も風の日も晴れの日も雪の日も、良いときも悪いときも、私が暴れても、すぐにポロポロと涙を流しても、甘えることができなくても、幼児に戻ったかのようにぬいぐるみを抱きしめても、どんなに私が不安定でも、いつもどんなときでも変わらずそばにいて支えてくれているBFのおかげです。Thank YOU! 

私は愛されていて、必要とされています。BFの長年の努力(=愛の注入)の成果です。そう感じることができるようになり、寂しさを感じることは少なくなり、心の平安を保つことができています。日々大切にしてくれるBFに感謝。そして命を与えてくれて大切に育ててくれた両親に感謝です。

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