Tuesday, March 11, 2008

最愛の妹

毎朝、目が覚めた2秒後にするのは、メールチェック。 今日のスケジュールのリマインダー、今日の天気予報、ベッドタイム(22時半~23時)以降に入ってきた友達からのメールの数々を一気に読む。 

今朝はその中に、妹からのメールが混ざっていた。 着信は午前3時1分。 「近いうちに(亡夫)に会いにいきます。 身勝手をお許しください。」 思わず手が、足が、カラダを流れる血の最後の一滴までもが凍ってしまったように感じた。 

昨年、一昨年と不幸が続いた。 一昨年の3月に母の母が、9月には父の母が、そして昨年5月には妹の夫、私の義弟が亡くなった。 祖母2人は共に90歳を超えていたので天命をまっとうした感があったが、義弟の死は違った。 

享年34歳、負債を抱えたことを苦にして、職場での首吊り自殺だった。 遺書は7通残されていて、そのうちの3通は妹に宛てたものだった。 その中には何度も試みた
が死ねなかったこと、どれだけ妹を愛していたかということ、負債をつくってしまったことの謝罪、妹との思い出の回想や、妹の今後の心配などが書かれていたという。 

彼の突然の死は私たち家族の生きる気力を殺いでしまった。 彼の死をどう受け入れたらいいのか、誰にもその術が見つからなかった。 どこにもぶつけられない苛立ちを抱え、「もっと死ぬべき人はいいぱいいるのに」 と悪態をつく日もあった。 残された私たちは皆、自分の無力さを悔やんだ。 


なぜ救えなかったんだろう。 こんなに近くにいたのに。 なぜ悩みを打ち明けてくれなかったんだろう。 いくつもいくつも沸き起こってくる 「なぜ?」 の答えはどこにも見当たらなかった。 毎晩、彼と一緒に晩ご飯を食べていた母と妹は特に激しく自分たちを責めた。

私たち家族は、義弟の死を悲しむ時間の余裕も与えられず、莫大な負債をどうするかということに悩まされた。 その額は専業主婦の妹に背負えるものではなかったけれど、どうしても彼との思い出のたくさん詰まった家を手放したくない妹は、(すぐに)遺産放棄の手続きをしなかった。 そのためその負債までもを負の遺産として引き継ぐこととなってしまった。 結果、妹は自己破産という選択をせざるを得ず、結局、どうしても守りたかった家も売却処分することなってしまった。

昨日、自己破産の書類上の手続きが終わった。 そして妹に残ったのは空虚感。 夫を失い、財産を失い、社会的な信用も自己破産という形で失い、これから先の数年間は、まるでプリズナーのように、制限のかかった生活を強いられることとなる。 そんな中で妹はいったい何を希望にして生きていけばいいのだろう? 

妹からのメールに返す言葉がなかった。 でもすぐに何かを返さなくちゃいけないような気がして、今朝見た夢の話を書いた。 それは、妹と一緒に買い物をしている最中、お財布を盗まれて、探してみたら店内で見つかったけど、その中身は空っぽで、あまりの怒りと悔しさとで、外へ出て大声でGo to Hell と叫んだ。 その喉からしぼりだすような悪魔のような自分の声に驚いて目が覚めた、というものだった。 

「死ぬな」 とか 「生きていればきっといいことがある」 とか 「いつかまたきっと好きな人にめぐり合える」 とか 「天国の彼の分も生きなくちゃダメ」 とか 「あなたはたくさんの人に愛されているのよ」 とか 「人はみな平等」 とか 「人生は山あり谷あり」 とか 「生きたいと思っても生きられない人もいるのよ」 とか、そんな自分でも全く信じられないような言葉を、最愛の妹に送ることなんて出来なかった。 そんな浮ついた言葉よりも、今朝みた夢の話のほうが(体験したことという意味では)リアルだったから、迷わず夢の話を書くことを選んだ。  

「昨日は会えなくて残念だったね。 また会おうね。」 未来につなげたい一心で最後の一行そう付け加え、送信ボタンを押した。 時刻は6時26分だった。

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