Sunday, March 30, 2008

Letters With Stamps

1990年に初渡米してから、1999年に帰国するまで頂いた手紙を、久しぶりに読み返してみた。 ずっとクローゼットの奥、年代物のスーツケースにしまって封印していたもの。 50%以上は家族からのものだと思っていたら、意外にもその割合は1990年から1991年までにしか当てはまらず、それ以降のものは全て友達やボーイフレンドたちからのものだった。

好きで好きでどうしようもなかった彼が、家族と一緒にオーランドへ行ってしまったお正月休みにくれた手紙。 「5日分カードを書きました。 毎日1通づつ開けてください。 もし郵便が遅れて、1月5日以降に着いたら、6時間おきくらいにあけて、時間調整をして味わってください」 1月6日分の手紙にはこう書いてあった。 「たった5日間の別れがこんなに苦しくて寂しいものだとは分かりませんでした。 この封書を読んでいる貴女と今日はやっと同じ街の夜景の下に戻れると思うと 胸がいっぱいです、なんてことを今日6日の私はきっと思っていますよ」

仲良くしていた精神科医の友達からの手紙にはこう書いてあった。 「(あなたとの)出会いは私には何か運命的なものを感じさせるものでした。 NYのいろいろ楽しいところを紹介してもらったりしていただいただけでなく、私の今までの人生で欠落していた部分を充足させていただいたように思います。 精神的に成長できたように感じます。時にはつらく苦しいこともありましたが、それも重要なことだと思います。 感謝しております」 

10枚以上になる長い長い手紙をくれた男の子は、手紙の最後のほうにこう書いていた。 「(あなた)のことをつかみきれないから、つい突っ走ってしまう。 (あなた)の心の重荷になるだろうとわかっていても、愛してるだの口走ってしまう。 電話もガンガンかけてしまう。 すまないと思っています」

雪の降る中、NJから駆けつけてくれた人の手紙は、「いつもすみません」から始まっていた。 「最近2箇所ほど、別の店を訪ねてみたのですが、確かに内装とかは比較にならないほど豪華で、女の子の数も桁が違うのには驚かされました。 が、やはり貴女ほど、一生懸命接客している女性はなかなか見当たりませんでした。 貴女といれるこのとき、この瞬間、私は言葉で表現できない幸せを感じています。 貴女に会えて、本当に幸せです。 愛しています。 心の底から貴女を」

もらった手紙の全てに、私に対する愛が込められていて、私を心配する気もちが溢れていた。 あぁ、私は、みんなにそんな風に思われていたのに、ものすごく大切にされていたのに、ちっとも彼らの気持ちが分かってなくて、いつも寂しい寂しいって言ってばかりいて、なんてダメなヤツだったんだろう。 今でこそ大きな組織に入りこんで、それはとてもラッキーなことで、全てが順調にすすんでいるように見えるかもしれないけど、実は今も内側はあの頃と同じで寂しくて寂しくて、昔の私と今の私は思考も嗜好も全く変わっていないような気がする。

昔の友達との疎遠になって、新しいネットワークが出来だけど、でもそれは顔ぶれが変わっただけで、私の彼らとの付き合い方は今も昔もまったく同じで、ただ私と関わる人たちが私に接する中で何かを感じてそして成長していく。 それなのに私は相変わらずで、取り残されていくんじゃないかな。 そう思うとむしょうに不安になってきた。

これからはメールじゃなくて、たまには手紙を、切手を貼った手紙を、愛する人たちに書いてみようかな、と思った午後。

No comments: