Thursday, March 06, 2008

「トジティブ」

昔は単純に信じられた。 「好き」と言われればすんなり受け入れられた。 でも今の私はいちいち「なぜ?」と思ってしまう。 好きになるには理由が必要でしょ? 理由がはっきり見えなければ、その「好き」を信じることができない。

理由なんてわからないけどただ「好き」だと心が叫んでる、そういう感情があることは知っている。 そんな風に「好き」になったことも過去にはあったし、その相手から同じように「好き」になってもらった経験もある。 でも多くの恋愛を重ねてきた今の私にとってそれは、幻想のようなもの。

 
例えばAが私を「好き」だという時、その「好き」は分かりやすい。 長年お客様にサービスすることを職業としてきた彼は多くのスタッフを使う立場となり、現場から遠のき、お客様とダイレクト関わる機会を失い、お客様の喜ぶ顔を見ることができず、お客様からの賞賛も得られず、どの方向へ向かっているのか確認する術がなく、それはとてつもなく幸せな状況なんだけれども、不安を感じるようになってしまった。 誰でもいいからサービスしたい。 誰かの喜ぶ顔が見たい。 自分のチカラが他人に及んでいることを確認したい。 彼は現状に対してリアルな不満はないし、「欠け」の部分を補修してほしいわけではないから、その対象は本当に誰でよくて、ただ唯一リクエストがあるとすれば、根拠のない「不安」を見透かしても何も言わないでいてくれる(または関心のない)人であってほしいということくらい。 そしてその対象に私がぴったり当てはまっているから、彼は私を「好き」という。


BFが私を「好き」だというたびに、その理由が見えなくて悲しくなってしまう。 彼の「好き」を信じることができない。 いったい私に何を求めているのだろう? 私の(恋愛)経験? それとも(かなり偏った)人脈? どうやらお金ではなさそうだ(苦笑)。 理由なんてわからないけどただ「好き」だと心が叫んでる、そんな風に彼が私を想っていると結論づけるほど私は無垢・無傷ではないし、 そんな期待を1%以上抱くほど私はリスク管理がなっていないわけではない。 

開きかけた心が閉じようとしている。 ふと元彼の言葉を思い出している私。 「トジティブ」 心が閉じている状態を彼はそう呼んでいた。 繊細だった彼の心の動きを鈍感な私が100%共感できるわけはないけど、今のこの状態、「トジティブ」 っていうんじゃないかしら? 久しぶりに元彼に会っていろいろ話がしたいなぁと思う。

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