Wednesday, May 15, 2013

Lunch @ Sarashina Horii

今日は、BFと一緒に、総本家 更科堀井@麻布十番でランチをしました。
Thank YOU!

私たち、よくディナーで、麻布永坂 更科本店@麻布十番に行くんですよ。お蕎麦はもちろん美味しいですけど、メニューがとにかく豊富! お造り、煮物、焼き物、揚げ物などなど・・・とても手間がかかっていて素晴らしいので、アラカルトで数品注文して、それを楽しみながらお酒を呑み(←わたしだけですけど 苦笑)、最後の〆にお蕎麦をいただくというスタイルがデフォルトです。

このエリア、お蕎麦の激戦区!というか、更科そばのお店が3店舗あるんです、それも、お互いにものすごく近い!!

で、BFが調べてくれたんですけどね、どうやら、この3店舗、ライバル店です。そのライバル具合は、「吉野家、すき家、松屋」の競争なんかとは比べ物にならないくらい!ものすごく長い期間をかけて、「俺が本家だ!」という争いをしてきたそうなんです。

今回、初めて訪れた、総本家 更科堀井さんのメニューの中にその歴史(このお店の見解です)が記されていました。何もメニューに書かなくても・・・と、他人のわたしは思いますが、当人たちにしてみれば、深刻で、どれくらい根深い争いだったのかということが想像できますね。

【引用】
堀井家の伝によると、創業は寛政元年(1789年)。初代は、信州特産の信濃布を商っていたのがそば屋に転じたもので、領主・保科家の江戸屋敷から程近い麻布永坂町に店を構えた。看板は「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」。「更科」とは、信州そばの集散地だった更級の「級」の音に保科家から許された「科」の字を当てたものと伝えられる。  当時から大名屋敷や有力寺院などに出入りしていたが、明治時代半ばの最盛期には、皇后や宮家などにも出前を届けていたという。看板商品は白いさらしなそばと変わりそば。それらに使うそば粉の挽き方を改良し、現在のさらしな粉に近い粉にしたのも、この店の功績とされる。  また、この時期、土産のそばを目籠詰めにして売り出して、こちらも麻布永坂「更科」名物として大いに評判になったという。各地に「更科」が増えたのは、この永坂の繁栄にあやかろうとしたもの、という説が有力のようだ。しかし、さしもの名店も昭和初期の恐慌のあたりから家産に陰りが見えて、昭和十六年、ついに廃業に追い込まれるに至った。良造さんは(現八代目当主)「親父が芸者遊びに耽って、店まで潰してしまったそうです」と笑うが、そもそも戦時下で、出資していた銀行も倒産するなど、時代の嵐に飲み込まれてしまった側面も大いにあるようだ。  戦後、店は再建されたが、外部の人たちも入った会社組織となっていたことから、「永坂更科」や「布屋太兵衛」の登録商標は堀井家の手を離れることとなる。さまざまな曲折があったそうだが、昭和五十九年十二月、良造さんは代々の地である麻布を離れることなく、麻布十番商店街の一角に「総本家更科堀井」を開店する。  江戸時代中期以来二〇〇年余に及ぶ家業の伝統を、創業の血筋を引く堀井家の手で再興したいとの思いからの開店であった。ちなみに、現在、麻布十番界隈には三店の「更科」があるが他の二店はまったく別の経営である。

さてさて、今回頂いたのは、下記のとおりです。
(撮影=素晴らしい写真家・BF)

「かき揚げもり」についてくるのかき揚げ
(まあるいです♡ プリプリの大きなエビがたくさん入っています。
衣はさくさくです)


「小海老天もり」についてくる揚げ物とお蕎麦


炭水化物好きなふたりですから、一人1枚ずつじゃ足りないかもということで、BFとが追加注文してくれた「太うち(=田舎風そば)」
(食感が素晴らしい! ガムみたいに噛む感じです。蕎麦の香りも、「もり」のお蕎麦よりも大きく感じます)





















食べる前に、割り箸の袋を、「船」の形に折ってます。
(10代後半からずっとやってます 箸置きです 笑)



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