Sunday, April 06, 2008

Casita II

抜栓が無事終わって妙な達成感に包まれながら、私たちはメインダイニングのテーブルへと案内された。 それはお店の一番奥のコーナー席で、これがアメリカだったら なんでこんな目立たない席に案内するのよ。 私たちってそんなに見栄えのしない客なの? と怒りたくなるところだけど、ここは日本、奥座敷が上座。 窓の外には車のテールランプがバースデーキャンドルのように輝いている。 ニューヨークのペニンシュラホテルの最上階にあるルーフトップバーから5番街を眺めているような不思議な気分になった。 スタッフも全員日本人、周囲のお客様も日本人だというのに、ここって日本だよね。 海外のホテルのレストランじゃないよね、って思わず彼に確認してしまった。 気がつくとテーブルサイドにはお店のスタッフがスタンバイしていて、それは、あら、いつ来たの?って思うくらい静かな登場だった。 ギャルソンはその存在を気づかれないようにサーブするのがいいんだと昔のBFが言っていたのを思い出しながら、そのスタッフの差し出すおしぼりを手に取った。 その瞬間、温められたおしぼりの湯気と一緒にフワっと香るレモングラスの匂い。 テーブル上には私たちに宛てたメッセージカードが置いてあった。 私のカードには、お誕生日おめでとうございます。 今夜のひとときを存分におくつろぎください。 最上級の演出をしようというお店の意気込みが伝わってきた。 と同時にこれから始まる数時間に対する期待が一気に高まった。 

まるで一冊の本のようなメニューを手に、彼はオーダーに戸惑っていた。 黒いジャケットをスマートに着こなす20代後半のスタッフがお勧めの説明をする。 お酒を飲むことがメインで、パスタとかそういう重い食べ物を食べる習慣がない私たちは、彼の薦めるアサリのパスタには一切興味を示さず、お肉だと40分くらい焼く時間がかかりますので今オーダーしておいたほうがよろしいのではと言う彼のサジェスチョンも無視して、でも彼のイチオシの白アスパラガスのフリットには胃袋が反応したのでそれと、そのほかのアペタイザーを数品、オーダーした。

私たちは信じられないスピードでお酒を飲む。 お店の人たちが気づくころには、私たちのグラスは空っぽになっているので、いつも彼がサーブしなくてはならなかった。 その日も、先ほど抜栓したばかりのシャンパンがクーラーに横たわっている時間はほとんどなくて、でもスタッフは私たちのグラスが空くか空かないかの絶妙なタイミングでリフィルしてくれた。 隣の席では 明日出国してしばらく帰ってこないんですよ というカップルが最後の東京の夜を思い出深いものにしようとしていた。 後ろの席ではスリーブレスのドレスを着た女性と初老の男性が静かに会話していた。 彼が 「最近めずらしいよね、ああいう服を着てる女性って」 というのを、ふーんと軽く流しながら、あら私なんてディナーっていえば、お店とエスコートしてくれる男性にリスペクトして、いつもちゃんとシャワーを浴びて、服を着替えて、香りを付け替えて、お客様の中で一番大切にされようとものすごい神経を張り詰めて椅子に腰掛けているのよ、いつもそうやって臨んできだけど、ここは日本だから今日は手加減しているのよ って言いたかったけど、それをグっとこらえて、窓の外の夜景を見ながら一口シャンパンを飲んだ。

オーダーした料理が次々と運ばれてくる。 それを運ぶのは、その料理を作ったであろうシェフだった。  「お待たせしました、アヤコさま。 こちらは・・・」 で始まる料理の説明を聞きながら、私はどこかの小国の王族にでもなったような気分になっていた。 シャンパンの酔いは、そのほかのお酒の酔いと比べて、圧倒的に気持ちよさが違う。 ビールは最初の一杯くらいならアッパー系みたいに働き気合が入る。 ワインは一口くちに含んだ瞬間からどんどん体が重くなっていく。 日本酒は、あれ、きかないな、全然酔わないな、と思っているうちに腰がくだけてしまう。 ウォッカはビールと日本酒の混合みたいな酔い方で、ついつい飲みすぎてしまって翌日ひどい目に合う。 ジンはビールの100倍元気になる。 その他茶色のお酒は体に合わないので飲まないけど、たぶんきっとシャンパンの酔い方とは違うだろう。 シャンパンは、ホントに今までたくさん飲んだけど、少しずつ少しずつ緊張がほどけていく、その酔い方がたまらなく好きだ。 夕暮れ時に空がオレンジから紫に変わるように、ゆっくりと崩れていく。 Xみたいな明確な境界線は見えないけど、ある瞬間から多幸感でいっぱいになる。 この世に存在する飲み物の中で、一番美しい酔い方が出来るものだと、私は信じている。 ・・・みたいなことをホントは彼に伝えたかったけど、かなり短縮してしまったから、きっと彼には私のいわんとしていることは伝わっていなかっただろう。 相変わらず、酔っ払いのアヤコが、支離滅裂なことを言い始めた、と思ったに違いない。

「お料理、いかがですか?」 と黒いスーツのスタッフが声をかけた。 その頃には私も彼もほろ酔いで、普段の饒舌さに拍車がかかっていた。 「あのバーカウンターにいるの、高橋社長ですよね。 彼の本を読んでこのお店に来たいと思って、今日は来ました」 と彼は言った。 あら、私の誕生日だからじゃなくて、結局そういうことなのね。 なんだ、お仕事だったのね、と私は酔いがさめるくらいガッカリしたけど、それは彼には言わないでおこうと思った。 黒いスーツのスタッフが席を離れた瞬間から、彼の視線は、バーカウンターで静かに飲んでいる高橋社長に釘付けだった。 私と高橋社長どっちが好きなのよ? という私に、彼はアヤコに決まってるじゃん、といいながら、でもまるで女子高生みたいに目をキラキラさせて、高橋社長を見つめていた。 そして数分後、私にとっては想定内だったけれども、その、彼の尊敬してやまない高橋社長が私たちのテ-ブルに挨拶にやってきた。

To be continued...

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