Tuesday, September 05, 2006

祖母の死。

先生は余命3ヶ月と言っていたのに、
おばあちゃんは、入院してから40日で逝ってしまった。
その最期の瞬間はあっという間にやってきた。
確か先生は、「危ない兆候がではじめてから12時間くらいですね・・・」
と言っていたのに、結局、危ない兆候が出てから、
10分もたたないうちに逝ってしまった。

土曜日の朝、私が病院へ行った時、モルヒネの量は前日までの2倍になっていた。
翌日、痛みがさらに大きくなったのでそれを増量した。
そしてその午後、暴れるほど苦しがったのでさらに増量した。
そして呼吸困難、心肺停止。
モルヒネの量がおばあちゃんの許容量を超えた瞬間だった。
OD (オーバー・ドース)
でも家族全員が選んだ道だから、納得できる結果だと思うしかない。
「おばあちゃんが苦しむことだけはだめだ」
それがみんなの願い。みんなの心はひとつ。

お通夜は信じられないくらいスムーズに進んだ。
誰も必要以上に泣いたり取り乱したりせず、おばあちゃんの死を受け入れた。
親戚一同が集まり、近況を報告しあって時間を過ごした。

そして告別式。
9年前、51歳の若さで亡くなった前住職の後を継いだ現住職の澄んだ声が響く。
メロディアスな浄土真宗の読経に包まれながら、式は着々と進んでいく。
みんなで花をたむける。おばあちゃんの願い。花に包まれて見送られたい、
いつもそういっていたおばあちゃん。

おばあちゃんの周りを色とりどりの花々で飾る。
「綺麗だよ、かあちゃん」 叔父が語りかける。
かあちゃん、良く頑張ったな、と父。
「お疲れ様、かあちゃん、かあちゃん・・・」
父と叔父がおばあちゃんの額を両手で包み込む。

父が挨拶をする。
どんなときにも冷静沈着、用意周到な父が、
言葉につまり、涙をこらえている。
「最後の親を亡くしました・・・」と言って泣きじゃくる父。
90歳まで日向で独り生活していたおばあちゃん。
兄弟姉妹の世話をし、常に社会の出来事に興味を持ち、
周囲に心配をかけまいと気を配り、
社会の「定規」を知りつつも自分の「定規」を重んじ、
常にお洒落だったおばあちゃん。
「本当に、根性のある女でした」と父は言った。

亡くなる前日、モルヒネの影響下、朦朧としている意識の中、
「はさまっとる、はさまっとる」と言ったおばあちゃん。
「はさまっとるの、とれたよ」と繰り返す父。
それを見た私は何かココロが動いてしまった。
しかし何も伝えぬまま。

そしておばあちゃんが亡くなった夜のこと。
「おばあちゃんが『はさまっとる』って言ったの、お父さんのお兄ちゃん、
交通事故で亡くなった長男のことではないの?」
当時、現場検証が終わるまで、長男はトラックにはさまったままだったらしい。
トラックに轢かれたまま、はさまれたまま、動かすことができなかったらしい。
おばあちゃんはその姿を見続けていた。
ずっとずっと見続けていた。

父はしばらく愕然としていた後、「おぉ、それは分からなかった・・・
お前のいうのは正しいかもしれない・・・俺も感受性は強いが、お前はさらに強いな。
ただ、そんな風だと人生破綻するかもしれないぞ」と言った。
あぁ、そうかもしれない。私は人生、失敗するかもしれない。
この研ぎ澄まされた感性のために・・・。

火葬場ではさらに物事がスピードアップした。
そしてあっという間におばあちゃんは骨だけになった。
その骨を見てボロボロ泣きじゃくる父。
かあちゃんは立派だ。90歳にしてこれほど立派な骨だよ。
毎日の労働が体を鍛えていたからだ。かあちゃんは牛乳も飲んでいたな。
かあちゃん、かあちゃん・・・

1人の人間の命が消えるとき、その人に関わった人間たちの人生観が変わる。
今日私たちは家族の絆を再度思い知らされたし、と同時に、
これから先どう生きていくかということを考えさせられた。
私は、「きみ」と生きていく、と思った。
確かにいろいろ語るべき問題はあるだろう。
だけど、私は、「きみ」と生きていきたいと、
つくづく&しみじみ、思った。

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