Thursday, December 17, 2009

京都のYおばさんの死

昨夜、母からの電話。

「京都のYおばさんが昨日の夕方亡くなったって」
「複雑な家庭だから、ほら、子供は養子だし、経済的に苦しいからって、お式はやらないそうよ」
「弔電よりも、お花代よりも、ちょっとでも(生活の)足しにしてもらえたらって思うから、お金を送ろうと思ってるんだけど」

ええ、もちろん。 お金、送りましょうよ。わたしの分は立て替えてください。 年末年始に帰省したときに、返しますから。

京都のYおばさんは、母のいとこにあたる人。 でも血のつながりは、ない。 母方の家系図は、とても複雑で、兄弟が兄弟じゃないことだらけだ。 

あれは、2005年だっただろうか。 母が急に、「京都のYおばさんに会いたい」と言い出した。 

母は当時、祖母の在宅介護をしていて、ものすごく疲れていて、たった1日だけと父に了解を得て、京都のYおばさんに会いに行くことを決めた。 母には、自分の出生について、どうしても、Yおばさんに聞きたいことがあったのだ。 

わたしは、当時つきあっていたBFと、彦根城見学をしようという約束があったので、前日に京都に入った。 弟は当時、神戸で生活していたので、「来い!」と呼び寄せた。 そして、3人は京都で落ち合った。

待ち合わせの場所で、久しぶりに会ったYおばさんは、痴呆症が始まっていた。 仲良くしているトモダチにつれられて待ち合わせ場所に現れたおばさんには、以前の元気で陽気な面影はなく、その目にはぼんやりと雲がかかっているような感じで、心ここにあらず、という様子だった。

母は、親戚一同が集まっている席で偶然に聞いてしまったこと、祖母と母の間に血縁関係はないということを、どうしても確かめたくて、必死にYおばさんを問い詰めた。 

「ねえ、お母さんなんでしょう」
「そうでしょう、そうだといって」
「おばさん、知ってるんでしょう」
「ねえ、おしえて」

Yおばさんからは、「あ~」とか「う~」とか、まるで動物の鳴き声のような答えしかかえってこなくて、ふたりの会話はまるで空虚だった。

昨夜の電話を切る間際、母が言った。

「あのとき、あやちゃんに、連れていってもらって、本当に良かったって思ってるの。 だから、お礼がいいたくて、それで電話したの」

こうして、Yおばさんが亡くなり、母と祖母の関係を知ってるはず人間を、母はまた1人失った。 67歳の母は、自分の生誕の真実に、いつの日か辿りつけるのだろうか。 

「一瞬一瞬を後悔しないように生きよう」

誰かが死ぬたび、そうリマインドされるのはどうかと思う。 でもこの世を去っていく人たちが、生きるわたしたちに残してくれるメッセージの1つは、たぶんそういうことじゃないのかな。 「あしたでいいや~」なんて力を制御して、今日できることを明日に引き伸ばすことは、できるだけしないようにしたい。 そう強く思う。

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