Sunday, July 08, 2007

30数年前の記憶を辿って

南大沢に行く時はいつも菊名経由だったが、今回は稲田堤経由で行くことにした。実はこの稲田堤、実は、私の生まれた土地である。 というわけで、南大沢のアウトレットに直行のつもりだったが、途中下車(経由地なので、どちらにしても下車します・・・)して、昔住んでいた家の探索をしてみることにした。
 
7歳になる寸前まで住んでいたので、かなり記憶に残っているはずだったが、駅に降り立った瞬間、愕然とした。 現在の稲田堤は私の記憶の中のものとはまったく違っていたのだ。 あるはずの目印のお店がない! 子供の目線でみていた町並みは、今の目線でみるよりずっとずっと大きくみえていたので、距離感がおかしい!! 道端でうちわを配っていた人に、「京王線はどこですか?」と聞くと、「この角を曲がって真っ直ぐです」 と教えてくれた。 その角にあるはずの同級生の女の子のお家が経営していたレストランとそのお向かいのおもちゃ屋は消えてしまっていた。 代わりに、日本全国どこにでもあるチェーン店が建っていた。



JRの駅から京王線の駅までの道は1直線で、随分距離があったような気がしていたが、実際にはあっという間で、11センチヒールの私の足でも5分とかからなかった。  その道の途中、ちょうど半分くらいの距離のところに、私と私の家族が住んでいたアパートがあった。 当時、今から30数年前は、木造2階建て、お風呂なし、4畳半と6畳の2間の古くて汚いアパートだったが、今では、その姿は跡形もなかった。 鉄筋コンクリート、数階建て(エレベーター付)の、明るいクリーム色の外観のマンションに変身していた。 その2階には、昔も今も変わらず、私と私の家族にとてもよくしてくれた優しいご夫婦が住んでいるはずなので、訪ねてみることにした。 近所のお菓子屋さんでシュークリームを買い、思い切ってベルを鳴らしてみた。 しかし、残念ながら不在。

諦めきれず、近所をブラブラしてみたが、当時とすっかり様子が変わってしまっているので、他の誰を訪ねていいのやら、まったく思いつかない。 ふとその時、当時、アパートのすぐ目の前に商店があって、軒先にはおもちゃのパチンコ台があって、そこでよく遊ばせてもらったことを思い出した。 「すみません、Tさんはこのあたりでしたか?」 とタバコ屋さんの前にいた初老の男性に声をかけた。 すると、「Tさん? 俺んちだよ」 と男性は答えた。 あまりの偶然にビックリしながらも、30数年前にA荘に住んでいたことを伝え、2階に住んでいたご夫婦はお元気かどうかを訊ねた。 すると、つい最近、ご主人が倒れて柿生の病院に入院していて、奥様は毎日面会に通っているという。 柿生へは日を改めて行くことを決意、シュークリームはTさんと奥から出てきてくださったTさんの奥様に召し上がっていただくことにし、しばらくそこで立ち話をした。 

「あがっていきなさいよ」と何度も何度も言ってくださったTさんと奥様。 「また来ますので、その時はぜひ」と言いながら、頭を下げ、後ろ髪ひかれる思いでその場を離れた。 とてもお元気そうなTさんも奥様ももう80歳台、入院しているご主人とご主人を支える奥様も80歳台。 「また来ます」の「また」はあまり遠くないうちに実現したほうがいい。

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