Friday, August 18, 2006

To be with or not to be with...

あれは4月半ばの午後。
置きっぱなしにしていたパヴァロッティのCDやカバラの本をバッグに詰め、逃げるようにして彼の部屋を後にした。あれから4ヶ月弱がたち、久しぶりに彼に会った。

約束した駅の改札の前で待っていると、彼が後ろから声をかけた。一度家に戻ってからタクシーでやってきたらしい。私の顔を見るなり彼は、クリスマスプレゼントを開けたときの子供のように興奮と喜びの入り混じった表情をみせた。最期に会ってから、ずいぶん長い時間がたったような気もするし、つい最近のことだったような気もする。彼は相変わらず、必死に獲得した宝物を見るような目で、私を見つめる。そして、その宝物がいつかほかの誰かに横取りされてしまうのではないかと、ビクビクしている。

また、あっという間に機嫌が悪くなってしまう私の顔色を、うかがっている。彼が、「迷える子羊」のような目をして私を見つめるとき、私の中には、非情な欲求が湧き上がってしまう。そんな頼りない弱い存在は叩き潰したいと、性悪なアイデアばかりが浮かんでしまう。せっかくの再会の今日、あぁ、そんな風に思いませんように・・・。神様どうかお願いします・・・。

彼と付き合い始めたのは2年前の冬、7ヶ月一緒にいて夏に別れた。

1998年、お互いNYで生活していたころに、一度顔を合わせてはいるが、当時の2人はお互いの想いが行き違い、ディナーさえセットすることができなかった。彼はまだ30代後半であちこちの女性に目移りしていたし、私は20代後半でステディーなBFと同棲していた。2年前の2月、お互いの共通の友人が来日した際、3人でディナーをとって以来、連絡を取り合うようになった。

初めて彼のアパートへ足を踏み入れた瞬間、とても懐かしい気持ちになった。
ずっとそこに住んでいたような感覚。これから先ずっとそこに住むような感覚。その空間の何もかもがしっくりくる感じだった。キッチンもリビングもスタディールームもベッドルームもバスルームも、その全てが、私が頭の中で描くとおりのデザインのままにそこにあった。開け放した窓から柔らかい風が入り、部屋の中を走る。いい「気」がめぐる空間だと感じた瞬間、ちらっと彼との将来を意識した。

2人のデートはいつもその居心地のよい部屋の中だった。

どこかに行こうと思えば行けたし、実際彼は私をドライブに何度も誘った。それでも私はその部屋から出ることを選ばなかった。下界にこれ以上心地よい空間があるというの?

彼の部屋はペントハウス。
屋上もついていたので、都内で行われる週末の花火は大体見ることができた。ローテーブルと折りたたみ椅子を運び、簡単なおつまみとビールをセットすれば、喧騒を避け、特等席で花火を見ることができた。花火が終われば部屋に戻り、レコードを聴いた。時には夜だというのに大音量で聞くこともあったし、時には語り合うことに夢中になり、音楽はBGMでしかなかった。そうやって美しい思い出をたくさんつくった。そしてたくさんの贅沢な時間が過ぎていった。あっという間に7ヶ月が過ぎていった。

その朝はいつもの朝となんら変わりがなかった。

いつもどおり6時半に私が起きシャワーを浴び、化粧を始めたころ、7時すぎにノロノロと彼が起きシャワーを浴びた。平日はいつもは私が7時半ごろに部屋を先に出るのだが、その日から2週間のフランス出張に出る彼は、東京エアポートターミナルまで行く途中、私を職場の前でドロップ・オフすると言った。1ヶ月に1度のペースで海外出張があった彼は、出張に出かける朝はいつもそうやって
職場までのライドをくれた。それは今までも何度もあった朝の光景だったので、彼はきっとまさかそれが最後のシーンになるとは思っていなかっただろう。いつものように「送ってくれてありがとう。気をつけてね」といいながら私はタクシーを降りた。車が見えなくなるまで手を振りながら私は、もう二度と会うことはないだろう彼に心の中で「さようなら」を何度も何度も繰り返した。

私たちは駅から歩いてすぐのところにある居酒屋に入った。

席に通され生ビールを注文した後すぐ、「シャネルの本店に行って頼まれていたガーデニアを買ってきたんだよ」、と彼は言った。「でもすぐに、会社の女の子にあげちゃったけどね」、と言って、ちょっと恥ずかしそうにちょっと悔しそうな顔をしてメニューを開き、食事をオーダーする。ああ、あの日、彼がパリで私のためにガーデニアを買っているとき、私は新しいBFと高層階にあるレストランで日本酒を飲んでいたんだ。彼が国際電話をかけてきてメッセージを残してくれたとき、私とそのBFはリバーサイドのレストランでカリフォルニアワインを飲んでいたんだ。そのときすでに私の左指にはプロミス・リングが光っていた。出会ってからまだ1週間もたっていないというのに、そのBFとの関係は急スピードで進展していたんだ・・・。

結局、その新しいBFとは婚約し、半年ほど同棲したが、結婚には至らず、私はひどく傷ついた。

しかしそんな私を癒してくれたのは、他でもない、彼だった。新しいBFができれば音信普通になり、BFと別れたとたん、駆け込み寺のように彼のアパートに転がり込む、また新しいBFができればそこから出て行く私。そんな身勝手な私を、いつも優しく受け止めてくれる彼。その彼が今、目の前で、エビスビールを飲んでいる。ジョッキをテーブルに置くたびに私を見つめ、再会できたことをココロの底から喜び、満面の笑顔を浮かべている。この瞬間、私の中に、意地悪な発想は浮かんでこないことに気づき驚く。その瞬間、彼をみる私の視線が変わったことに気づく。私と同じ目線で物事を見ることができる頼もしい存在として彼がそこにいることに気づく。

振り返れば、私は彼を何度も何度も裏切って傷つけてきた。

それでも彼は、私が傷ついて動けないとき、その傷を癒してくれていた。仕返しをしようと思えばできたはずなのに!こんなに愛され、大切にされているというのに、なぜその気持ちにこたえることができないの?と思う。彼を物足りないと感じる日もあるかもしれない。でも私をこれほど大切にしてくれる人は他にはいないことは確かだ。NYで初めて顔を会わせた日、あれからお互い別々の道を歩んできた。
それでも何度となくその道は寄り添い、つかず離れず距離でお互いを大切に思ってきた。これは何かを物語ってはいないのだろうか?何かの前触れではないだろうか?

彼をもう一度見つめる。ホウレンソウのおひたしをすする彼。

額に少し汗をかいている。彼が私を見つめる。そして目を細めて笑う。
彼の額の汗をおしぼりでぬぐう私。彼が恥ずかしそうな顔をして下を向く。
今日の意地悪はこのくらいにしておこうとその時私は思った。

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