Sunday, November 10, 2013

Dreams Come True!



 土曜日、BFが、わたしが長年尊敬する坂本龍一様の講演会@バーニーズニューヨーク東京へ連れて行ってくれましたよ。Thank YOU so very much!

今からさかのぼること33年前のことです。1981年にリリースされた、彼の所属するYMOというグループのアルバム(カセットテープ)『Technodelic』を、翌年1982年の新春に、八王子の親戚のおばあさんからもらったお年玉で買い、そこから、坂本龍一様への「信仰心」はスタートしました。わたしは当時小学校5年生、11歳でした。

高橋幸宏様、細野晴臣様の作った曲もそれはそれは衝撃的で、幼子ココロが震えましたが、わたしは気がつくといつも坂本龍一様の作った曲をリピートして聞いていました。

両親が共働きだったので、わたしは、4歳から6歳まで、保育園にかよっていました。母のお迎えは遅くて、保育園の同級生たちが次々と帰っていく中、わたしはいつもいちばん最後のお迎えでした。みんなが帰った後は、スヌーピーのぬいぐるみと遊んだり、オルガンをひいたり、保育園の門のところにある木に登ったりして、そうやって毎日、母のお迎えを待っていました。

いつも弾いていたのはピアノではなく、(電子音の)オルガンだったので、それはそれはとてもナチュラルな流れで、小学校1年生の時に、「エレクトーンを習いたい!」と言い出し、両親はその願いを叶えてくれました。その頃、弟が生まれたので、母は、3人の子供たちを育てることに専念することとなり、父の収入を助けるため、家で「エレクトーン教室」を始めました。

練習が嫌いだったので、レッスンのときはいつも初見で、先生には練習していないことがバレバレで、いつも駄目だしされていましたけど、本番に強いというかなんというか、級とりも順調で、コンクールにも参加したりしていたので、将来は横浜スタジアムでエレクトーンを演奏するのかなぁなんて、そんな夢を見ていた時代でした。(遠い目・・・)

YMOの音を始めて聞いたときは、その音の深みに衝撃を受けました。当時のわたしは、両手/両足で、必死になって、リズムを刻み、様々な音色・ドラムの音を出し、抑揚を付けて演奏していたというのに、その音がとても陳腐に感じられました。わたしの出力する音の数万倍の威力が、YMOの音色にはありました! (← あたりまえですけどね) 

長くなりましたが・・・

数十年来、思い続けた坂本龍一様を、ものすごく近い位置で、生で、見ることができ、声をきき、何度か(勘違いかもしれませんが 苦笑)視線も会い・・・もうなんというか、ウソみたいというか、本当だったのかしらという感じです。他のお客様たちは(バーニーズニューヨーク東京社長を含め)、大興奮して、坂本龍一様にまとわりついていらっしゃいましたけど、素直じゃないわたしは、「別に会いたかったわけじゃないけどね」という斜めな態度をとりつづけていました。そこが可愛くない!とはわかっていましたけど、キャラじゃないですから、「きゃー!わー!」っていう、そういうことができないんです。それに、わたしの中では坂本龍一様は「神」ですので、同じ空間で同じ空気を吸っているというだけでもう十分で、遠くからそっとチラ見するというのが精一杯で、近寄ってお声がけするとか、一緒に写真をとっていただくとか、そういうことは恐れ多くて、とてもじゃないけどできませんでしたよ。

さて、本来ならば、坂本龍一様がお話になった「森を守ろう」というプロジェクトをもっとPRしなくちゃいけないんでしょうけど・・・それはこのウェブサイトでご覧くださいませ。⇒ moreTrees

今回のこの once in a life timeの機会を、BFに感謝します。坂本龍一様が、懐が大きく、好奇心旺盛で、繊細かつ純粋で、柔軟性に富み、コンプレックスがまったくなく、非常に穏やかな方だということがわかり、わたしが長年憧れ続けた方がそういう素晴らしい方だということがわかり、とても嬉しかったし、わたしは無意識にいつもそういう方に惹かれるんだなぁということがわかりましたし。そして、坂本龍一様と同じような性質をもったBFと出会え、そして今も一緒にいられることに、ココロから感謝しています。Thank YOU!

追記: 生・坂本龍一様は、(長年思い描いていた)姿とは違って、とても可愛い印象の方でした。背は小さくて、お腹はちょっとぽっこりしていて、優しい「おじいさん」って感じの方でした。

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