Sunday, September 16, 2012

Bloom Where God Has Planted You 

8月下旬、母からメールがきました。 

「お父さんが、渡辺和子さんの『置かれた場所で咲きなさい』という本を読みたいといっているので本屋さんで探したんだけど、入荷には1週間くらいかかるというので・・・もしできれば探して送ってほしいんだけど・・・」 

早速、某アマゾンさんで購入し、翌日到着のアレンジをしました。 わたしはまだ読んでいませんが、某アマゾンさんの内容紹介は下記のとおりです。

 置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。 
咲けない時は、根を下へ下へと降ろしましょう。 
「時間の使い方は、そのまま、いのちの使い方なのですよ。
置かれたところで咲いていてください」 
結婚しても、就職しても、子育てをしても、
「こんなはずじゃなかった」と思うことが、次から次に出てきます。
そんな時にも、その状況の中で「咲く」努力をしてほしいのです。 
どうしても咲けない時もあります。
雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。
その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。
次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。 
現実が変わらないなら、悩みに対する心の持ちようを変えてみる。 
いい出会いにするためには、自分が苦労をして出会いを育てなければならない。
心にポッカリ開いた穴からこれまで見えなかったものが見えてくる。
希望には叶わないものもあるが、大切なのは希望を持ち続けること。 
信頼は98%。あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておく。 
「ていねいに生きる」とは、自分に与えられた試練を感謝すること。

渡辺和子さんという方は、18才で洗礼をうけていらっしゃいます。幼少時の体験(=9歳の時に二・二六事件でわずか1mのところで父親が48発の銃弾に倒れるのを目のあたりにし、大変な衝撃を受ける)がクリスチャンへの道へ進むきっかけになったのかもしれません。その後、うつ病を乗り越え、マザー・テレサの通訳という大役をこなし、69才という高齢でカルカッタを訪問し、現在は、学校法人ノートルダム清心学園の理事長をなさっていらっしゃいます。 

さて、昨日の宮崎の祖母の法事の際に感じたのですが・・・

父は今、とても苦しんでいるようでした。経済的には何の心配もないですし、身体的にもそれといって問題ないですけど、ココロの平安がない状態でした。自分の中を駆け巡る様々な想いをどうコントロールしたらいいのかそれが分からず、それができない自分に苛立っている様子でした。

もともと宗教に対して、あまりよいイメージを持っていない父ですから、キリストの教えに耳を傾けるという、そうせざるを得ない状況というのは、とてつもなく苦しい状態なのだと思います。そういう自分を許せないという矛盾した状態も、さらに父を苦しめているんじゃないかと思います。 

よくあることですけど、自分の中に問題を抱えてる人っていうのは、必要以上に、社会の問題に対して「声」を上げたがるというか。そうすることによって、自分の問題を後回しにできるからでしょうね。

父の場合もそれに当てはまるような気がします。 

あがいている自分に目を向けるのがつらくて、今の政権の問題とか、世の中に起こっている不合理な問題とかに対して、ものすごく大きな「声」を持っています。そして、目の前にいる母や、子供たちの「足りない部分」がとても気になるようです。それに対してあれこれ「声」を出しているんだと思います。 

「かんべんしてくれよ!放っておいてくれよ!」っていう声を、母や妹・弟から聞きます。長女の(コーディネーター役の)わたしは、「わかるよ、わかるよ」といいつつも、父のあがいている状態も心配でなりません。 

たぶん、父が変わらない限り、つまり、今の置かれた状況を、本当の意味で受け入れ、その状況をありがたいと思い、頭を垂れるという日がくるまで、今の状態は続くんじゃないかなと思っています。日々、生活をともにする母や、近所で生活する妹の心労は続きますし、少し離れたところで生活するわたしは何もできず、日々、楽しく生活することに罪悪感を覚え続けることでしょう。でも、その変化を、「はやくしろよ!」と、父に強制することはできませんし、ゆるやかに父のココロが動き、変わることを祈るだけです。

 さて、キリスト教の話に戻りますが、聖書・マタイ7章3節です。 

「なぜ、あなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の梁には気がつかないのですか。見なさい。自分の目には梁があるではありませんか。」 

自分が自分として完璧になることなどありえません。なのになぜ他人に完璧を求めるのでしょうか。 わたしはただ、質問を投げかけるだけです。そして、もし、何かわたしに出来ることがあれば、喜んで耳を傾けます。足も運びます。汗も流します。お役に立てることがあれば・・・。 

今日という安息日に、家族や親戚、そして縁があって出会った方々全てのココロの平安を祈っています。

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