Monday, February 20, 2006

DEDICATED TO MY FRIEND "S"

悪友S

その昔、私はよく飲んだし、飲んでもあまり酔わなかった。
ブランデー以外の茶色の酒はあまり得意ではなかったが、
だいたい何でも飲んだ。
私には、一つの種類の酒を一ヶ月から半年くらい好んで飲みつづけて
飽きた頃に違う種類に変えるという変なパターンがあって、
その当時は日本酒に凝っていた。

私はまだニューヨークに来て間もなくて、友人もあまりいなかった。
繁華街であるイーストビレッジのアパートで独り生活していると、
夜は必ず人恋しくなった。
そのあたりは、何処からともなく人が集まってきて、
いつも騒がしく活気に満ちていた。
特に夕暮れになると昼間はあまり見かけないタイプの人間が集まってきて、
その人波の中にいると安心した。
私の部屋はシンプルすぎて生活感がなく、
そんな部屋で独り窓の外を眺めていると、
彼らの世界からは一生隔離されてしまったような錯覚に陥ってしまう。
そんな夜は決まって歩いて30秒のところにある日本酒バーへと
足が向いてしまうのだった。

その店のマネージャーはゲイだったが、
私に対してはライバル視する必要もなかったようで
「妹」のように可愛がってくれた。
その面倒見のいい「姉」は利き酒の資格をもっていて、
いつも数種類の日本酒をまるでフランス料理のコースのように出しくれた。
私はその中に美しく組み立てられた起承転結の物語にいつも感動していた。
その店は、外国人が日本に持つイメージが所狭しとディスプレイされていて、
富士山や芸者の写真はもちろんのこと、凧とか駒とか簾や暖簾といったものが
あちこちに置いてあった。

客の8割は白人、あとの2割がチャイニーズまたはコリアン系で、
日本人はほとんどいなかった。
その客たちは「男山」や「酔水」などを好んで飲んでいた。
約80種類以上ある日本酒の中から1つをチョイスするのは至難の技ではあったが、
きっとそれが理由でその2種に人気があるというわけではないと思う。
名前の長さが短くて発音がしやすいからかもしれないと思ったが、それも違う気がする。

ニューヨークに住む日本人のほとんどは、その店のような雰囲気をあまり好まない。
そして西洋人が好んで入るような日本料理店は
(NOBUやボンドストリートなどの例外もあるが)大抵は不味いと思っているから行かない。
彼らは、アメリカ的な雰囲気のある場所に憧れていて、
しかし本格的な西洋の香りがする場所は苦手で、
アジア的な匂いがする場所は軽視していたりする。
そして憧れのアメリカ的な場所に疲れると、日本料理店や居酒屋などに行って、
ニューヨークライフをエンジョイしていますみたいなことを大声で言う。
隣の席の明らかに観光客と分かるような日本人グループに聞こえるように
わざと英単語を交えながら語る。
私は、「姉」の日本酒バーにニューヨーク在住の日本人が来ないのは、
そういうことを言っても優越感に浸れないからだと思っていた。

「姉」は客のオーダーを聞いてからグラスを決める。
漆器の升に並々と冷酒を注ぐこともあったし、ワンカップ大関のようなグラスで
熱燗を差し出すこともあった。
中国の皇帝が使ったような徳利とお猪口の時もあれば、
ベネチアングラスや江戸切子の時もあった。
私はそのチョイスをいつも「姉」に任せていた。
「姉」の選ぶ日本酒の流れ、その起承転結がなにより好きだったし、信頼していた。
その日は「古都の竹風」という京都の冷酒からはじまり、
背の高いシャンパングラスで各地の日本酒を冷酒で7、8杯飲んで
そろそろ帰ろうかというところへ、Sがやってきた。

Sは私同様、たくさんお酒を飲む。
しかし彼は私と違って茶色のお酒が好きだった。
ロックで浴びるように飲んでいた。
Sが話しかけてきた。すぐに店を出ればよかったのだが、
私を引き止めるその泣き出しそうな笑顔に負けてしまった。
結局更に数杯の冷酒を飲み、店を出たのは1時半くらいになってしまった。
Sと一緒に店を出てタクシーに乗り込む私に「姉」は何故か冷たかった。
そういえばSに対してはいつも冷たい。
Sにはゲイを苛立たせるオーラがあるのかもしれないと、私は思った。

Sのアパートは28丁目のフィフスにあった。
商社員でもなくマスコミ関係でもないただのフリーターのSが
どうしてそんな良いロケーションに住めるのかはいつも不思議だった。
手動のエレベーターのある古いビルディングだったが、
部屋の天井の高く、広いキッチンと大きな窓のある1DKだった。

Sはミッドタウンのピアノバーでバーテンダーをしていた。
時給10ドルくらいで1日8時間働いたとしても月に1600ドルくらいにしかならない。
それからすればマンハッタンのそんな場所に住めるわけはなかった。
いつだったか聞いたことがあった。
「なんでこんないい部屋に住めるの?」
「今の彼女のことが前の奥さんにばれてクイーンズの家を追い出された。
それでここへ、彼女の部屋へ転がり込んでそのまま。
彼女は旅行代理店に勤めているツアコンで、ア
メリカ国内のツアーに添乗することが多いけど、
ヨーロッパとかに行くと一週間も帰ってこないこともある。」
最初、彼女と聞いて年下の女性を想像したが、彼の話、雰囲気から
どうやら随分年上の女性のような気がしてきた。
Sは初めて会った時、自分は24歳で私より年下だと言った。
そして私のことを「おばさん」と呼んだ。
その後実は34歳だということが発覚してからもそう呼ぶことを止めなかった。

Sは5ミリ四方の小さな紙きれを差し出した。
何か文字のようなものが書いてあったが途中で切れていたので、
解読は不可能だった。
キッチンの壁時計に目をやると午前2時を少し過ぎたところだった。
手の平の上でその紙を持て余しどうすればいいのか分からず眺めていると、
しばらく噛んでから飲み込めばいいとSが言った。

Sが音楽を選ぶ。
普段私が聞かない種類のCDが並んでいる中からPrimal Screamを選んで、
「Rock」という曲をリピート演奏にした。
その曲のビデオはMTVか何かで見たことがあった。
私は歌詞のある曲や汗を感じさせる曲が苦手だった。
この曲はその両方を持っていてあまり得意ではないなずだったのに、
何故か妙に耳に残った。
その後しばらくしてもそれは頭の中で流れつづけて、
あまりにも気になったので、タイムズスクエアの巨大CDストアーでそのCDを買ったくらいだ。
その曲がリピート演奏されている。

目を閉じてはいなかった。
部屋の中は、ライトは消してあったが外の光が窓からは差し込んでいたから
真っ暗でもなかった。
室内のものはぼんやりと見ることが出来た。
キッチンにあるグラスや食器の数々、ベットカバーの柔らかそうな素材、
ガラステーブルの冷たそうな表面などがよく見えた。
しかし私はそれとは別の景色を見ていた。
目を開いているのに映像が見えるなんて!
眠っているわけではないのでそれは夢ではなかった。
何故見えるのか分からなかったが、とても興味深い映像が次々と流れていった。

その1つ1つは関連性があるようでなく、ふとした瞬間に切り替わる。
そのきっかけは音だったり、感触だったり、匂いだったり、
ほんの少しの変化だったのではないかと思う。
予測はできなかったし、見たい映像が見れるわけでもなかった。
ある時私は大理石の建造物の中を静かに歩いていた。
その映像は表面がショッキングピンクに染まっていた。
またある時私は大きな木の下に腰を下ろしていた。
私はシースルーに近い金糸で織られた柔らかい衣服を着ていて
頭の上から足の先までたくさんの装飾品を着けていた。
私の目の前にどこかの王族の王子のような格好をした男性が座っていて、
私と彼の周囲にはたくさんの着飾った女性たちがいた。
様々は設定で様々なストーリーの映像が現れては消えていった。
それらが突然途切れた時、ふと回りを見渡してみた。
キッチンの壁時計は11時を指していた。
あまりピンと来なかった。午後11時か午前11時か。
最後にそれを見た時、確か午前2時を少し過ぎていた。
あれからはきっと30分くらいしか経っていないはずだから、
翌朝の11時はありえない。
しかし時間が戻るはずもないから、
過ぎてしまった夜の11時を繰り返しているとは思えない。
時計が壊れたのかもしれない。

壁時計から視線を戻すと目の前にSがいた。
「時計壊れてるんじゃない?」
「え?壊れてないよ。そんなこといいから早く」
そのSの意味がわからずにしばらく呆然としていたが、
とりあえずSの部屋へ着いた時から今までのことを思い出してみる。
あの小さな紙のことを思い出す。
ああ、あれ飲み込んだんだっけ。
Primal Screamの曲がエンドレスで流れていた。
美しい映像の数々。
30分少々しか経っていないと感じていたその間に、
実は9時間もが過ぎていたと気づくのに数分かかった。
そしてその9時間の間に一体何が起きていたのかを知った瞬間、
私はSの部屋を飛び出した。

ビルの外に出ると、白昼の眩しすぎる光が突き刺さってくる。
ドラキュラは日の光に当たると灰になってしまうというが、
その感覚を味わったようだった。
体中が燃えてなくなくなってしまうようだった。
急いで日陰に入らなくては消えてしまう。
タクシーを止め滑り込む。
外よりはいくらかましだったが、それでも車内は眩しくて、私は身体を丸めた。
そしてそのままの姿勢で私をのせたタクシーはマンハッタンを南下していった。
体中が重く痛い。中でも特に腰の右下と顎の付け根が痛かった。

部屋に戻りとりあえず気分を落ち着かせようとバスタブにお湯を張った。
そのお湯の流れとその音。
底に溜まっていたお湯の輪が最初は小さかったのに
どんどん大きく広がっていく。湖のようにその水面は静かに揺れている。
窓が開いている。
その下には大きな木があって、その葉が擦れ合う音が聞こえる。
うるさい近所の騒音が何故かその日は聞こえない。
まるで雪の日のようにしーんとしていて、騒音はどこかに吸収されてしまったようだ。
普段は聞こえるはずのない向かいのカフェのコーヒーメーカーから出る
湯気の音とかドリップする音とか、ピザ屋のオーブンの中の
生地が膨れていく音とかが聞こえてきた。
それは今まで聞いた全てのどんな音楽よりも美しく心に響いて、
私は感動で泣いてしまった。
そしてその涙は止まることなく流れつづけた。

それからSも私も急に忙しくなり会うことはなかったが、
久しぶりに時間が出来たのでSのバイト先のバーで行ってみた。
バーカウンターの中のSは、営業トークに徹していてつまらなかった。
もう帰ろうと思っていた時、Sは目で「行け」という合図を送った。
それは今までも何度も送られた合図だったので、
私は静かに席を立ち女性用の化粧室へ向かいそこでSを待った。

数分遅れでやってきたSと私の間であの小さな紙とその夜のことについて
語られることはなかったが、その時2人の間には
脆くて強い絆が出来ていたことにお互い気づいた。
悪友っていうのはこうやって秘密を共有しあって信頼関係を築いていくものなんだろうなあ
と思ったら思いっきり笑ってしまった。
「笑うなよ、人が来るだろ」というSは見たこともないような真面目な顔をして
胸ポケットから銀紙を取り出し、シンクの上で広げようとしていた。
ああ、また秘密が増えちゃうなあと思いつつ、
私は悪友Sとのこれから始まる遊びに目を輝かせていた。

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