Monday, February 20, 2006

BORDERLINE - DEDICATED TO MY CHEF

==THEN==

ある夏の日の思い出。
脳内アドレナリンが出ているせいか、何だか胃がワサワサしていて
喉が締めつけられるようで食欲もあまりなかった。
せっかくの日曜日なのに困ったな、ゆっくりしたいのに。
「そうだダウナーの力を借りよう」と思いついた私は、
ビールを2ダース買い込んできて、まだ16時だというのに
狭いアパートの部屋で一人飲み始めた。
風通しの悪い部屋に座り嫌でも吸い込んでしまう熱気をはらうように
ビールを流し込むと、何故か切なく泣きたい気分になってしまった。
そして次の瞬間、
数年前のあのクイーンズのアパートの2階の西側角部屋に私はいた。

開け放した窓からは、1階のアイリッシュ・パブのクーラーから出る温風が
下を通る車の排気ガスと一緒になって入り込んできて、
それはまるで盆地に溜まる空気のようにそこに留まって出て行かない。
額や鼻の下、首筋、胸の下、膝の後ろに汗が溜まる。
じっとりと部屋も私の体も重く湿ってきて、
押しつぶされてしまいそうな錯覚に陥って苦しくなる。
何か冷たいもの、雪の結晶のような澄んだ尖った何かを、
肺いっぱいに吸い込みたい。
毛細血管に乗って染みこんでいくそれで、体内の熱を冷ましたいと思う。

その日もいつものように、コロナを飲んでいた。
BFは酔うといつもこう言っていた、
「ほんと、メキシコ人は賢いし、商売上手だよな。
例えば、コロナってさ、他のビールに比べて、かなり減りが速いと思わない?
まあ、美味しいからっていうのもあるけど、実際それだけじゃないくてさ。
コロナの瓶の底には、目に見えないくらいの小さな穴がいくつも開けてあるんだよ、
知ってた?
ゆっくり飲んで、ビール代、節約しようなんて思ってる連中に、
そうさせないためにね。
穴からは、どんどんビールが染み出ていくようになっていて、
かなりの量が、コースターに吸い込まれて消えてしまう。
結局、次から次へと、通常の倍くらいのペースで、
コロナの瓶を開けることになってしまうのは、そのせいだよ。
だから、こっち、消費者に出来る唯一の抵抗は、
詮を抜いたと同時にほとんどを飲み干すしかない。
コースターに飲ませるか、それとも自分が飲むか、なんてね。」

彼の話を半分冗談で、半分本気で聞きながら、私はゆっくりとラインを引いていた。
日中の気温が30度を超える真夏日、少し陽が傾き始めたばかりの頃に
スタートすると身体的にかなり楽だった。
それになんだか1日を無駄遣い出来たような贅沢感があって、
夕日がいつもより美しく見えたり、意味もなく涙がこぼれたりして、
そういうことによって罪悪感も軽減したりした。
これが夜の11時、12時からのスタートだとそうはいかない。
どうしても寝るのは翌朝の10時、11時になってしまって、
これが夏だったりすると暑くてとても寝ることなんてできない。
夕方まで何度も寝返りを打って、そのだるさは夜まで続いてしまう。

たまには自制心が働いて、
早朝4時とか5時に切り上げることが出来たりもすることもあった。
その時マンハッタンにいたとしたらそれはとてもラッキーなことだった。
まだ気温が上がる前、夜が白々と明ける頃にタクシーでクイーンズボロを渡る。
その時運賃の7ドル50をケチって1ドル50の地下鉄に乗ってしまうと、
その時間に切り上げた意味がない。
いつも通るローワーより、この時は遠回りでもアッパーのほうがいい。
視界をさえぎるものが何もないから。
タクシーの後部座席から振り返って見るマンハッタンの景色は、
まさに「劇的」という言葉がぴったりだった。
青白い空に浮かび上がるように聳え立つ高層ビルの群れ。
しっとりとしていて本当に綺麗だった。
これを見るためにニューヨークに来たのかもしれないと思わせるような、
そういう心を震わせる感動的な景色だった。

1本目のラインの後は、まず異物が混入してきた違和感を強く感じる。
その後それに対する肉体の無条件の反射がある。
喉が張り付いてしまって何も通らないように感じたり、
心拍数が上がって体中の血管が脈打っているように感じたり、
無意識に歯を強く食いしばってしまったり。
そうしないと内臓が全て口から出てしまいそうなくらい、
ザワザワと動いているように感じるからだ。
それが少し収まってきたころ、最初のラインから30分後くらいに、2本目。
その後は3本目、4本目とその間隔はどんどん短くなっていって、
心拍数に注意をはらって、まだいけるかなとか、もうちょっと待とうとか思いつつ、
やっぱり3分おきに次、次、となってしまって、最後には体中が痛い結果となる。

細く美しいラインでいうと7本目くらいに、
それまで普通に話していた隣に座っている悪友を急に押し倒したくなったり、
または押し倒してもらいたくなったりする瞬間がある。
でも私も悪友はそんなことは決してしない。
頭ではそれを望んではいないことを、ただ身体がそう反応するだけだと知っているから、
そういうことにはならない。
アルコールやその他のものではそうはいかないんじゃないかなと思う。
なし崩し的に流れていってしまうような気がする。
この圧倒的な違い、高揚感と冷静さが同居することを可能にするということ、
それが好きな理由の一つでもあった。
明らかな気分の高揚がそこにはあるが、それと同時に異常なほど冷静な部分が生まれる。
高揚感に没頭してしまうことを許さないという感じがとても好きだった。

===NOW===

自分のボーダーラインを知る、そこにボーダーラインがあるということを体感する、
ということは、その後の私の人生のいい経験になったと思ってる。
ぎりぎりのところへ行かなくては、いつかはエッジに上らなくては、
いつまでも自分や社会の枠組みの中でうだうだしてしまう。
できること、できないこと、枠を広げられる可能性があること、
それをするときにはリスクが伴うこと、そういうことを頭で知るのではなくて体感すること。
どんな方法でもそういう瞬間を味わえたことは、私とってはとても大事だったと思う。

6 comments:

Anonymous said...

こんな時間に読むことのできた、このたのしさは僕だけのものです。ありがとう。

Anonymous said...

あなたの話は一編のドラマを読む都市的な雰囲気が
感じられましたニューヨークの話..そして時間を読みながら..
なつかしきアメリカの生活が浮び上がりました. -korsysroot

carrie said...

korsysrootさん、優しいメッセージありがとうございます。

korsysrootさんも、アメリカにいらっしゃったのですね・・・。


私の独り言に耳を傾けてくれて、ありがとうございます。

carrie said...

doraroさん、なかなかお話できないけど、いつかまたお話できる日を楽しみにしています。

doradoさんのサイト、とても好きです。すべてのコメントに優しさがあふれていますよね。いつも癒されています。

Anonymous said...

私の先生たちはいつもお前熱心にしてください. いつもいつも..それほど話したんですが,
私の経験はそれは決して助けされないです. 幸せになってください..お前..よりも..東京に学生たちたくさん勉強するように誘導したいです. あなたが日本に引き続きあったら...申し訳ありません..余裕ない話をずっと少なかったです. それではまた..

Anonymous said...

人間たちは平凡ながらも,大事な存在なので,彼らの幸せな権利は尊重されなければならないです. ところが人は生の時間の中でいつも後悔しながら生きて行く不完全な存在でもあります. 青少年たちはそれでもっと既成世代の役目が強調されることか分からないんですね. ただ生の目標や幸せの尺度が違うが...今我が社会と世界は多くの人才を要しているという点で個人的なやりがいもあります. 春が来ています. それでは ..