Monday, December 23, 2013

Brain Tumor - Part 4



Ave Maria Caccini

 12月1日、父からメールがきた。

「(父の)体調は回復した。安心方、K(父の弟=わたしの叔父)も順調に快方中。今月中にお前とお母さんに、Kの見舞いをお願いしたい。見舞い品は不用。二回目の見舞金を当方で用意。」

わたしはすぐに返信した。

「(お父さんの)体調回復してよかったです。K叔父さんのお見舞いの件、了解です。お母さんと日程調整します。」

そして一昨日、また父からメール。

「Kの見舞いの件は如何、Mさん(K叔父さんの奥さん=わたしの叔母)の都合もあるので事前に折衛方。」

すぐに返信。母とメールをしあって、23日(月)にしようという話をしていると伝えた。

そして今日、母と相模大野駅で待ち合わせして、北里大学病院へ行ってきた。

この病院、叔父は、二度目の入院。実は、今から約10年前、強迫性障害で、約6ヶ月入院したことがある。当時の叔父はまだサラリーマン現役の54歳。突然の発症で、家族、親族全員がどうしたらいいものやらと心配した記憶がある。この病院にお世話になるきっかけは、NYC在住時代にお世話になったF先生のアドバイスのおかげ。(先生、当時はお世話になりました。ありがとうございます)

叔父は、10月24日に入院。そしてすぐに手術。術後は放射線治療を受けて今に至る。今日はどんな調子なのか、まったく情報が(父から)なかったため、とても不安だった。もし、ベッドから起きれなかったら、もし髪の毛が抜け落ちていたら、もしやせ細っていたら・・・たくさんの「もし」が頭の中で渦巻いていた。

受付で面会手続きをして叔父の病室のある階へ。ナースセンターで叔父の名前を告げると、廊下の一番奥の病室とのこと。いくつかの個室の前を通り病室へ向かう。開いているドアからは人工呼吸器がつけられた方の姿が見えて、不安が大きくなる。

病室は大部屋で、それぞれのベッドはカーテンで仕切られていて、そのほとんどが閉まっていた。唯一開いているカーテンがひとつ。そこが叔父のベッドだった。

「こんにちは!」

わたしと母が声をかけると、叔父は、シャワーを浴びたばかりだったらしく、ドライヤーで髪の毛を乾かしている最中。

髪の毛は、抜け落ちていなかった。元気だったころ同様、ふさふさのキレイな白髪(白と黒の霜降り)だった。やせ細ってもいなかった。顔色は、ちょっと黒っぽくなった気がしたけど、肌ツヤはよく、目力もあり、安心。

しばらくベッド脇で話していたけど、ソファーのある広場へ行こうということで、叔父はパジャマの上にフリースを羽織り、ふさふさの髪の毛の上に毛糸の帽子をかぶった。

自動販売機でお茶を買って、4人でたわいのない話をした。叔父はちょっとした冗談を言った後、「綾子のキツイ目線が怖いからなぁ」とポツリ。たぶん9月に会った時、先祖のお墓を八王子に移した時のことを言ったんだと思う。わたしは特に何も言わなかった。ただ、あの時のわたしと、今日のわたしの気持ちは違うと、きっと分かってくれるだろうと思いつつ、笑った。

しばらくすると、とりとめのない会話が途切れ、居心地の悪い沈黙が。すかさず叔母が、「あやちゃん、新しい大使、ほら、なんだっけ・・・」と。予期せぬタイミングだったけど、まあいいか。「あ、わたし、大使館、辞めたんですよ。1年半前に」と告白。叔父、叔母、そして母も唖然。みんな、ちょっとガッカリしていたようだったが、経緯も、現状も説明したし、「わたしは今、幸せです」というメッセージは伝わったと思う。

17時になると、コーラス隊(お医者様たち+ナースの皆様たち)が、クリスマスの格好をして、現れた。どうやら、月に1度のミニコンサートの日だったよう。この日を待ちわびていた方々がたくさん、病室からやってきた。自力で歩ける方、車いすに乗った方、点滴中の方、頭に包帯を巻いた方、左右のどちらかに麻痺がある方・・・コーラス隊は、賛美歌、クリスマス・ソング、日本の歌謡曲(美空ひばりの川の流れのように他)などを歌ってくださった。

コーラス隊が、カッチーニのアヴェ・マリアを歌って下さった時、わたしの涙腺はマックスで開いてしまった。世間は、(クリスチャンでもないくせに!)「クリスマスだから騒ごうぜー!」と浮かれている。目の前に広がる情景とそれを比較して、ものすごく大きな、怒りに近い思いが湧いてきた。来年のこのクリスマス時期、叔父や、今ここにいる患者さんたちは皆、どうしているんだろう。元気でいるだろうか。生きているんだろうか。そう思ったら、苦しくなった。この曲の後、涙を拭きながら、自分たちの病室に戻っていった患者さんたちも数人いた。わたしは両手で涙を拭き続けたけど、いくつかの涙は首までつたってしまった。

「すごいー! うまいー!」

コンサート終了後、わたしは全力でアホっぽい明るさを演出した。でもきっと叔父は、わたしの考えたこと、思ったこと、全部、お見通しだったと思う。叔父は、人生の先輩だし、父(叔父の兄)の娘ですからね。血がつながっていますからね。

帰り際、母が叔父に、お見舞金を渡した。叔父も叔母も、「前回、もらったから・・・」と言って受け取るのを躊躇していたけど、「わたしたち、宅急便みたいなものなんですよ。父がもってけっていうから」とわたしが言うと、叔父はメガネの下で、泣いていた。

母とは、相模大野の和食屋さんで夕食を共にし、ロマンスカーに乗せて、別れた。

往復4時間かけて、たった1時間のお見舞いに来る母、弟を深く愛する父の思い、気遣い。そんな両親に対して、何もできない自分の不甲斐なさが本当に申し訳ない。いつも自分、自分、自分・・・そんな自分が恥ずかしい。

わたしが元気でなくては、回りを幸せにできないとは思うけど、今日みた光景はあまりにもショックで・・・どう折り合いをつければいいのか、今はまったく分からない。

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