Monday, November 04, 2013

Brain Tumor

先週木曜日、父からメールがきた。

「K(父の弟=わたしの叔父)が脳腫瘍で入院。M(父の義理妹=わたしの叔母)さんから、手術前に来てくれとの話あり今週、日曜、3日に見舞いに行く予定。本人が意識しないように激励してくるよ。」

そして昨日、父は相模大野の病院へ行ってきた。父から、叔父の容態に関する報告はまだないが、昨夜、母と電話で話をした。母は、父から、断片しか聞かされていない様子で、状況の全体像を把握していないようだったが、父から聞かされた話の中には「Grade IV」というイヤなキーワードがあったようだ。

振り返れば、9月上旬、祖母の「改葬」の際、1年半ぶりくらいに再会した叔父は、なんだかとても「短気」に見えた。基本的に、タニグチ家の人間は皆「短気」だけれど、その中でも特に「短気」な父とわたしが、「そんなにカリカリしなくても・・・」と思うくらい、叔父は「短気」を抑えきれずにいた。段取りが少し悪かった叔母や、墓地管理事務所のスタッフの方、食事先のお店のウェイトレスに対して、声を荒らげたり、横柄な態度をとったりしていた。 今思えば、叔父はものすごく体調が悪かったのかもしれない。自分のことで精一杯で、周囲に気遣いが出来ずにいたのかもしれない。

 母によると、父は、今回の「改葬」の件で、叔父に対して「ネガティブ」な感情を抱いてしまったこと、それにより叔父との関係が悪くなってしまったこと等、猛省している様子だそう。 「ふたりきりの兄弟、仲良くしなくちゃダメだよ」祖母が亡くなる前、父と叔父に残した言葉を、思い出したのだろう。

ギクシャクしていた父と叔父の関係だったが、今回の叔父の脳腫瘍の手術という、想定外のニュースにより、父と叔父のココロ、ふたりの関係は、近づいたように感じる。叔父は、たったひとりの「兄」を頼り、また父は、たったひとりの「弟」をなんとか励ましたいと思い、叔父の入院する病院へ向かった。

「何かあったら全力で助ける」酔うといつも父は、口癖のように言っている。

海外で生活しつつ、まったく結果の出せない私のために、経済的なサポートを続けてくれた父の「忍耐」と「愛」の大きさを身に染みて感じているわたしは、「きっとそうしてくれるんだろうなぁ・・・」と、父を信じていた。しかし、父の、あまりにも自由すぎる、身勝手にもとれる素行を長年、身近で見てきた母、妹、弟は、「酔っぱらいがまた、できもしないくせに大きなこと言ってる・・・」と、失笑していた。長年連れ添った母は、特に猜疑心が強く、「病気になっても面倒みてもらえないだろうから、自分でなんとかしなくちゃ」と、言っていた。そんな母、妹、弟を見て、「なんで信じてあげられないのだろう」とわたしは思っていたが、そういう場面に出くわしていないがゆえ、仕方ないかもしれないとも思っていた。

今回の父の姿をみて、わたしの中では、父の言葉の重みが増したし、父を信じる思いは、確信へと変わった。母、妹、弟にも、そうであってほしいと思っている。

繰り返すになってしまうけれど、「改葬」の際、叔父が父への相談もなく、身勝手に何もかもを決めてしまい、父はあんなに悔しく、哀しい思いをしたというのに、そんな叔父を赦し、叔父の元へ駆けつけることができる父の、その懐の大きさをみせつけられた今回、父に対する尊敬の念はさらに大きくなった。わたしも父のようでありたいと強く思ったし、父の遺伝子を受け継いているのだから、きっとできると思った。

今の父は、精神的に弱っているだろうから、叔父の容態については、今週後半くらいに聞いてみようと思う。

(ここが「可愛くない女」なんだろうね。「ねぇ、どうだった? 詳しく話して?」ってまとわりつけば、可愛いんだろうけどね 苦笑)

2 comments:

Juichi said...

腫瘍が脳のどこにできているのかによりますが、もし叔父さんが以前はそういう性格の人でなかったのなら、脳腫瘍による症状の可能性がありますね。

carrie said...

先生、ありがとうございます。叔父は、今から10年弱前、強迫神経症で某K病院に数年、入院したことがあります。しかし、すっかり元気になりましたので、まさか今回、こういう病気になるとは思っていませんでした。とてもビックリしています。